9.誰がタメに鐘は鳴る
次の日の朝御飯はビヒトさんが運んできた。
カエルはまだ怒ってるのかと思えば、恒例の健康チェック中だとか。
そういえば、いつもより早い……かも?
「教会側から出来るだけ早く来るようにと、昨夜遅くに連絡がありまして……支度が出来次第出発いたしますので、ユエ様もお早めに準備をお願いします」
そう言って1度上から下まで視線を走らせる。
「仕立てのお召し物は間に合いませんので……初日に着ていた紺のお洋服が宜しいかと」
今日は予定が無いと思っていたので膝丈のチュニックを着ていた。
苦笑いして、はいと答える。
「
「纏めた方が良いですかね……」
今、髪の長さは肩に届かないくらいで1つに纏めるのには心許ない。
多少の寝癖ならば水で濡らして手櫛で梳くくらいで直るのだが。
ふぅむと顎に手を当てて首を傾げているビヒトさん。
「……時間が無いことですし、ブラシで整えるくらいで妥協しますか。ユエ様はもう少しご自分に手をかけた方が宜しいですよ」
にっこり笑って無精するなと言われても。
自分には効率重視なんです。ごめんなさい。
アレッタに届けさせましょう、と言ってビヒトさんは出て行った。
私はそのままご飯を食べてから(今日はちゃんとフォークとスプーン付きだった)クローゼットを開ける。
ちょっとかっちりした感じの方が良さそうなので、ブラトップも変えた方がいいだろう。
肩の辺りから上がレースの、ハイネック風のブラトップを探す。あれなら丈も膝下まであったし、袖口もレースでちょっと広がってて余所行き感が出るんじゃない?
ぽいっと着てた物を脱いでお嬢風ブラトップに変える。
紺のワンピースを手に取ったところでノックがした。
「はーい。どうぞー」
「ユエ、飯は……」
言いかけたカエルがこちらを見て、慌ててドアを閉めた。
「着替えてんのに、何で許可を出す?!」
ドアの向こうから怒声が聞こえてきた。
着てるじゃん。どんだけ
「アレッタかと思ったんだよー」
ワンピースに頭を潜らせながら笑いをこらえる。
きちんとスカートが捲れてないか確認してから、ドアを開けてカエルを迎え入れた。
「見られて減る物もないし、1枚着てるんだから大丈夫だよ」
「それ以上減ったら益々お子様だしな」
胸か? 胸のことかー?!
いらだち紛れにそういうことは言える癖に。行動が伴わないヤツだ。
はたとカエルがグレーの執事服仕様なのに気付く。白手袋まできっちりだ。
「カエルもきっちりなんだね」
「お嬢に着せられた。それより、飯、どうした?」
「ビヒトさんが持ってきてくれたよ。下げた方がいい?」
と言ってもキッチンまで持っていっていいものか。
「アレッタが来る予定なのか?」
「うん。ブラシを持って」
ちょうどその時ノックの音がした。
「噂をすれば。どうぞー」
入ってきたアレッタは、カエルを見て少し驚いていたが、すぐに取り繕う。
「ブラシ持ってきたよ。化粧道具も。綺麗にするんだろ? やってやるから座りな」
私は椅子を引っ張り出して、大人しく座る。
アレッタはブラシで丁寧に髪を梳きながら、躊躇いがちに口を開いた。
「そんな恰好してるってことは、カエル坊ちゃまも行くのかい? ついこの間まで寝込んでたのに……その……教会に行けるほど回復してるとは……」
「お嬢のお墨付きがある。体調は問題ない。そこの、恥じらいを忘れたヤツのせいで、不調も何処かに逃げ出したんだろうさ」
別に、恥じらいを忘れてなんかないよ? 多分、きっと。たまに何処かに置き忘れることはあるかもしれないけど……
アレッタはくすりと笑った。
「さっきのかい? 坊ちゃまがあんな大声出すなんて初めて聞いた気がするよ。ユエ、カエル坊ちゃまはこんなでもうちの奥様より箱入りなんだ。あんまり刺激しないでおくれ。いつ倒れるかと、皆ハラハラしちまうよ」
「坊ちゃまはよせって……別に、箱入りって訳じゃ……」
カエルの姿は見えないが、声に力が無い。多少の自覚はあるのかも?
「ミスタ・ビヒトが優秀すぎてこちらに仕事が回ってこないのに、坊ちゃままでその手伝いに回られたら、あたしらの仕事は上がったりじゃないか。皆、ここ数日は解雇されるんじゃないかって戦々恐々としているよ」
「お嬢が解雇なんてするはずがない。ちょっと、色々あったんだ」
「……だろうね」
「今日が過ぎれば、だんだん元に戻るだろ」
「坊ちゃまの体調だけは戻らないで欲しいけどね」
いつの間にか左サイドが片編み込みされて、耳の後ろ辺りで留められている。
化粧は粉をはたいて紅を引くくらいの薄化粧だった。
「うん。ユエはこのくらいがいいね。ちゃんと成人して見えるようになった」
カラカラと笑って、満足そうに頷く。
「美人の神官さんに丸め込まれるんじゃないよ」
冗談めかしてウィンクすると、アレッタは食器も持って出て行った。
「美人?」
眉を顰めて不思議そうにカエルが呟く。
「カエルは教会に行ったこと無いの?」
「ないな。お嬢が毛嫌いしてるし。元々街に下りたことも無い」
超箱入りだった!
「今回も渋られたんだが、押し切った。これからちょいちょい行くことになる気がするから、先に周囲に顔を見せておきたい」
ん?
「ちょいちょい?」
カエルは深い溜息をついた。
「お前が、いつまでも
「身の潔白が保証されたら、ひとりで行くよ。子供じゃないんだから」
むーっと口を尖らせると、鼻で笑われた。
「トラブルを起こす未来しか見えん」
反論しようとしたらローブを押し付けられた。
「用意が出来たら行くぞ。精々お子様だと侮られないようにするんだな」
そう言って、自分もコートを羽織る。今日は濃いグレーの、ウエスト辺りをベルトで絞る、どこぞの軍服のようなかっちりとしたロングコートだった。
上背があると、こういうのはとにかく似合う。くそう。
なんか悔しかったので、格好いいと褒めるのは止めにした。
ちなみに、玄関ホールで待っていたビヒトさんも同じ物を着ていて、思わず飛びついた私を華麗にスルーしてくれました。
ちぇ。あのコートにスリスリしたかったよぅ。
「カエル様、こちらを」
ビヒトさんはカエルに剣を手渡していた。
いつもカエルが腰の後ろに携えている短剣より少し細身で長い。
それをベルトの金具に固定して、カエルはちょっと顔を顰めた。
「やっぱちょっと重いな」
「そこは、慣れですな」
ビヒトさんがにやりと笑う。
「教会に行くのに剣がいるの?」
何となく不安になって口に出す。
「護衛の体で行くからな。無いとおかしいだろ」
なるほど。
◇ ◆ ◇
馬車の中はピリリとしていた。
いつもはお喋りなイメージのあるテリエル嬢も、今日は窓の外を見ながら難しい顔をしている。
御者台にいるビヒトさんは、歩いても行ける距離なのですぐですよ、と言っていたけど、慣れない馬車の道のりはとても長く感じた。
それにしても、ビヒトさんて万能。悪魔だったりしないよね?
本人は人手が無かったので何でも出来るようになったのだとか言ってたけど、そんなことを言われると過去が滅茶苦茶気になる。
穏やかそうだけど、波瀾万丈の人生なんだろうか。
ちょっと妄想が膨らんできたところで、馬車は停まった。
「ユエ」
ドアが開く前に、テリエル嬢に声を掛けられる。
「宣誓中は私達手が出せないわ。嘘はバレるけれども、言わないという選択は出来るはず。余計な質問には答えなくていいから、あなた自身のことは素直に答えてらっしゃい」
それは、余計な質問をされるかもしれないということだろうか。
不思議に思いながらも、私はこくりと頷いた。
ドアが開き、カエルがひょいと飛び降りる。
続いて飛び降りようとしたらカエルに睨まれた。手袋を嵌めた手が差し出される。
エスコートだと気付くまでに数秒要して、やっと私はその手を取ったのだった。
馬車を降りると目の前には10m程のカナートがあって、その両脇に煉瓦の小道が続いていた。緑豊かな小道を進むとやがてステンドグラスの嵌まった両開きのドアが見えてくる。
扉を開けるとチリン、と澄んだ鈴の音がした。水の匂いと、仄かに花のような甘い香りがする。
そこはアトリウムのように天井が一部ガラス張りになっていて、中央に壷を傾けた女の人の像が水車に水を注いでいた。
よく見ると上部から階段状に水が流れていて、水車は歯車に繋がっている。幾つかの歯車は中央の時計のような物を動かしているようだ。
文字盤の数字部分がいやに多いけど、これ、時計だよね?
うん。目盛りが25個ある。
水時計だ!
溢れた水は蓮に似た葉がそこかしこに浮く、流線型に周りを囲まれた池で一旦溜まり、波紋を揺らしている。
思わず駆け寄ってまじまじと見つめると、ちょうど時計がジャストの時間を指した。
リンゴーンと時を告げる鐘が鳴る。
とても近いはずのその鐘の音は、不思議と屋敷で聞くのと変わらない音量だった。
と同時に丸い葉の間から幾つかの水柱が上がる。
ほわぁ、と変な声が漏れた。
「勝手に動くな」
いつの間にか後ろに立っていたカエルがぼそりと言う。
「来たぞ」
私だけに聞こえる小声で告げて、素知らぬ顔をして下がっていく。
見ると、奥の扉から白い神官服を着た天使が入って来るところだった。
銀の長髪は胸元に届く程で、アトリウムに降り注ぐ陽光をきらきらと反射している。
カエルは私より頭1つ分くらい背が高いが、それよりももう少し高いかもしれない。ビヒトさんと同じくらいかも。
伏し目がちにさらさらと衣擦れの音をさせて、こちらにゆっくりと近付いてくるその背に翼が見えないのが不思議だった。
なるほど、これはご婦人達が騒ぐのも頷けるかもしれない。
「急なお呼び立て、申し訳ございませんでした。お越しいただき有難く存じます」
テリエル嬢から少し離れたところで足を止め、そう言って彼は目礼した。
「本日、宣誓されるというのはどちらの……」
ぐるりと私達を見回して、彼は私に目を留める。
琥珀色の瞳が細められた。
「……水時計は気に入りましたか? とても、素敵でしょう?」
私は慌てて彼の前まで進み出て、お嬢様の挨拶をする。
「ユエです。よろしくお願いします」
「あなたなのですね。どうぞこちらへ」
優雅な動きで私を促し、踵を返すと先程入ってきたドアを開けて振り返り、にっこりと微笑んだ。
ヴィヴィの言うとおり、耳馴染みの良い低音の声。
気持ち良ささえ感じる気がして、私は少し舌先を噛んで正気を保とうとした。
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