45.コウカン条件

 数日後、話し合いの場は設けられた。

 4刻の鐘に、応接室で。そういうことだったので、私も仕事を早上がりして参加する。

 ランクさんは、もう数日後には新しい仕事に発つ筈だったのだが、その予定もキャンセルしたらしい。なんだか申し訳ない。

 本人は、これはもう少しゆっくりしろって言う神様の思し召しだね。と笑っていたが。


 先に応接室のソファに身を沈めているテリエル嬢とカエルは、もうずっと渋面を張り付けていた。

 理由の1つに、向こうが話し合いのメンバーを指定してきたせいもあるのだが、聞いたところそれほど変なことは言っていないと思う。プロラトル夫妻とカエル、私、ビヒトさん。それが神官サマが指定したメンバーだった。


 ビヒトさんをわざわざ指定する辺りがちょっとだけ引っかかるけど、何でも屋的なところがある彼を知っていれば、二度手間を省く意味でもおかしくは無い。

 私は張りつめた空気に居心地の悪い思いをしながら、なんとなく窓の外を眺めていた。


 4刻の鐘と共に来客を告げるベルが鳴った。

 玄関で待機していたビヒトさんに連れられて、神官サマがやってくる。一緒に来た従者はドアの外で一礼してそのまま脇に控えていた。


 お茶道具を乗せたワゴンを持ってきたアレッタも、すぐに部屋を出て行き、後はビヒトさんとカエルが引き継ぐようだ。

 神官サマは以前にも使った旋石つむじいしのあしらわれた魔道具を発動させ、隔離された空間を作り出した。テーブルの上に置かれる、ことり、という音がいやに大きく聞こえた気がした。


「初めに、私の不徳の致すところによりユエさんを巻き込んでしまったこと、お詫び申し上げます。面目次第もございません」


 深々と頭を下げる神官サマに、まあまあとランクさんは席を勧めた。

 彼がいなかったら、多分誰も椅子を勧めなかったんじゃないかと思う程、空気は冷たかった。ご主人がいるうちに云々は、かなり正しかったのだと言える。


「では、時間も惜しいことですので本題に入らせていただきますが、今回のことで直接係わってしまったユエさんと、代書屋のジョットさんは中央神殿から審問会の証人として召集されることとなります。酒場の方にも関係者が聞き込みに入ると思いますが、そちらはそれほど問題は無いでしょう」


 一度間を開けて、彼は皆の顔を見渡した。


「私も被害者として中央に赴くこととなります。あちらからの誘いを断り続けてきたのですが、こればかりは断りきれません。ですので、ユエさんには私が同行しようと思います」


 カエルがお茶を注ぐ手を止めて、神官サマの方を睨みつけた。すぐにビヒトさんに促されて元の作業に戻ったけれど。


「そのままユエを帝国に――教団に盗られないという保証は?」

「宣誓の時にもお伝えしましたが、ユエさんに『繋ぐ者』の加護は見えません。私が視えない物を他の者に見えるとは思えないので、『青い月』の加護を誰かが視たとしても、それだけで彼女をどうこうしようとは思わないでしょう」


 全員の手元にお茶のカップが行き渡り、カエルとビヒトさんも席に着く。

 神官サマは一口お茶に口を付けると、少しだけ微笑んだ。


「けれど貴方はユエが通訳をこなせることを知っているでしょう?」


 ランクさんは組んだ手に顎を当てて、探るような視線を神官サマに向けた。


「そうですね。教団の独自の言語まで訳してくれます。とても便利で、お抱えとして控えさせたいくらいです。そういう意味で、私は私なりにあちらには渡したくないと思ってるのですが」

「それだけ?」

「お友達は、大切にしますよ?」

「友達?」


 カエルが割って入った。こちらを訝しげに見る。

 私はちょっと手を上げて仕方なしに答えた。


「一応、友達、らしいです」


 いつの間に! と視線で責められる。ホント、なんでだろうね?


「心配であれば帝都まで何方どなたか付けて下さって構いませんよ? 会場までは入れないですが、神殿までは行けるでしょう」

「それは……」


 ランクさんがテリエル嬢の顔を見た。

 恐らくビヒトさんは手放せない。カエルは――体調と教団関係の避けっぷりを見ると彼女は行かせないと言うんじゃないだろうか。

 ランクさんが来てくれるというのは、もしかして有りかもしれないけど。


「――俺が行く」


 テリエル嬢が何か言う前に、神官サマを見つめながらカエルが言った。

 神官サマはその視線を正面から受けて満足げに深く深く笑み、悪事を企てるかのように瞳を光らせた。


「カエル! ちょっと、港町まで行けたからって!」

「……大丈夫でしょう。ユエがいれば」


 神官サマの言葉に、一斉に視線がそちらに向く。

 心なしかテリエル嬢の顔が青褪めた。


「……どういう」

「言葉通りですよ? ユエがいれば、彼の体調は悪くなり得ない。貴女も分かっているはずでは?」


 沈黙が辺りを支配した。

 皆は言葉の意味を理解しているようだが、私には今一つ分からない。

 カエルもテリエル嬢も完全に血の気が引いている。

 ゆっくりとこちらを見たカエルの瞳が、聞くなと懇願しているかのようだった。


「『青い月』の加護は彼の為だけにある、と予想しているのですが……情報が足りないのでまだ不確定です。彼がユエの護衛として付いて来てくれるのなら、ワスティタにある『青い月』の見える湖の位置をお教えしてもよろしいですよ? 興味、ありませんか?」


 青い月、にぴくりと反応して、恐る恐るテリエル嬢が口を開いた。


「いつから……何故……」

「以前から趣味で民俗学をかじっていまして……まぁ、興味を持った理由がその湖で見た月なんですが。色々と調べていくうちに、この辺りにも伝承が残っていると知りましてね。とある方の推薦もあってこちらに留まっているのですが、この家の警戒が強すぎて近寄ることも出来なかったというのが現状です。私としては是非お互いの情報を交換出来ればと……ああ、言っておきますが本当に個人的な趣味ですよ。教団とは何の関係もありませんし、纏めたものも渡していません。各地の伝承など、結構お役に立つと思うのですが」


 椅子に沈み込むように背中を預けたテリエル嬢は片手で顔を覆った。

 研究者としては喉から手が出るほど欲しい情報なんじゃないだろうか。


「……俺が、行くならというのは」

「審問会の後でいいのですが、そのワスティタの湖まで一緒に来てほしいのです。一般の女性を連れて砂漠を渡るのは、私一人では少々きついので。ミスター・ビヒトクラスなら散歩するようなものでしょうが……彼がいれば、ユエを連れてでも砂漠越え出来るでしょう?」


 確かめるようにビヒトさんを見やると、ビヒトさんは少しだけカエルに視線を移してから頷いた。


「問題無く」

「貴方方がそこに行くも行かぬもご自由に。言った通りミスター・ビヒトがいれば問題無く行ける所です」


 神官サマは懐から一枚の折りたたまれた紙を取り出してテーブルの上に置いた。


「審問会への旅費、滞在費などはこちらで全て持ちますのでご心配なく。もちろん、彼の分も。行く時にパエニンスラに寄るかもしれませんが……細かい日程はまた後日ということで」


 立ち上がり、魔道具に手を伸ばした神官サマにカエルが低い声で囁いた。


「わざとユエを巻き込んだ訳じゃあるまいな」


 神官サマは動きを止めて、じっとカエルを見つめる。


「いいえ。それは本意では無かったと、はっきり言えます。私にとっても綱渡りになりますから。――しかし、それを利用して貴方方に付け入ろうと考えたのは否定しません」


 カエルは椅子を蹴り倒してテーブルの上に乗り、神官サマの胸ぐらを掴み上げた。

 神官サマは焦るでもなく、手にした魔道具を2度テーブルに打ち付け、カエルに何か話しかけた。唇は動いているのに、こちらには何も聞こえなかった。

 一度カエルが握った拳を振り上げたが、ふるふると震えるそれが振り下ろされることは無かった。

 しばらくしてから神官サマを開放し、緩慢にこちらを振り返るカエルの顔に表情は無く、虚ろな人形のようにも見えた。


「カエル君、下りて」


 ランクさんの言葉に素直に従うと、彼はそのまま部屋を出て行った。


「ではまた、近いうちに」


 いつの間にか音が帰ってきたらしい。神官サマは一礼するとカエルの後を追うように出て行く。ドアの横で控えていた従者が追随するのがちらりと見えた。

 残された皆の溜息が合唱のようで、私はひとり取り残されたような気分を味わっていた。


 ◇ ◆ ◇


「……あの……なんか、ごめんなさい」


 いたたまれなくなって、謝罪の言葉を口にしていた。

 テリエル嬢をよしよしと腕の中で慰めているランクさんが、困ったような顔でこちらを見る。


「ユエが悪いわけじゃないでしょ? どうにもならない星回りっていうのはあるもんだよ。それに、まだ誰も何も不利益はこうむってない」


 私も溜息を吐いて部屋に戻ろうと立ち上がったら、ビヒトさんがそっと寄ってきて、無言で私を促した。

 黙って彼についていくと、行き着いたのは2階のバルコニーだった。

 そこには、いつの間にか小さな白いテーブルと椅子が置かれていて、ビヒトさんが少しだけ椅子を引いた。

 椅子に腰掛けるとずっと持っていたのか、オレンジの香りのついた水の入ったコップを差し出される。


「ユエ様は何も聞きませんね。色々聞きたいことがあるでしょうに……」


 ビヒトさんは後ろ手を組んで村を見下ろした。


「カエル様が――坊ちゃまがそれに救われてきたのは事実ですが、少し甘えすぎたのかもしれませんね」

「カエルは、私が居れば本当にずっと元気でいられるの?」

「恐らく。しかし、それを貴女に強制する気は無いのです。少なくとも坊ちゃまは」


 今までの言動を思い出してみる。私を離したくなさそうだったのはテリエル嬢だ。

 ああ、そうかと少し納得した。


「あの、洞窟……」


 どう聞いていいのか分からなくて、上手く言葉が繋がらない。

 聞かないんじゃない。何を聞けばいいのか判らないのだ。


「最近は行くことも減りましたね。以前はあそこが坊ちゃまの命を繋いでおりました。私が担いで行ったり、担いで出たり……」


 懐かしそうにビヒトさんは笑った。


「お小さい頃の方がまだ動けていましたから、お嬢様に連れられて山の方まで行って倒れたこともありましたね」

「あの月は何なの? 何か悪い物なの?」


 こちらを見たビヒトさんが私ではなく、何かその向こうを覗いていた。


「さあ。私には解りかねます。あれはそこにあるもので、無いものですので」


 首を傾げると、彼は小さく溜息を吐いた。


「あの月が見えている時に、あの天井の穴から地上へ出ると、もうあの月は見えなくなるのです。地下で見える物が地上で見えないなど、さしもの私もすぐには信じられませんでした。しかし、無いものの筈なのに現実に影響は及ぼす……」


 ゆっくりとかぶりを振る。


「理解しようとしてはいけないのかもしれませんね」

「あの穴から、外に出たの?」

「はい。何でも確かめねば気が済まぬ性分ですので」

「じゃあ……」


 聞こうかどうか少し迷った。


「あの岩の上にあった、祠のような物を知ってる?」

「ホコラ?」

「何かを祀ったような跡が、あった、気がするんです」


 暫く思案して、ビヒトさんは残念そうに首を振った。


「私は気が付きませんでした。祭祀の話でしたら、恐らく坊ちゃまの方が詳しいですよ……ですが、それをお話しするには坊ちゃまの生まれる前まで遡らねばなりません」

「……話してくれるでしょうか」

「坊ちゃまが、この先もユエ様とおられるおつもりなら、いつかは話さねばならぬ事です。裏を返せば、ユエ様がこの先ここを離れて生きていくおつもりなら、聞かないでいて頂きたい。そして、それが貴女の為でもあると言っておきます。残念ながら詳しいことを私の口から話せる時期は、もう過ぎてしまいました」


 落ちていた視線を上げると、優しさを湛えた薄茶の瞳が師としての厳しさも孕ませて私を見つめていた。


「カエルレウムが自分で話せなければ、どのみち駄目になる」


 その時だけ、ビヒトさんじゃないみたいだった。

 ――いや、こちらがビヒトさんなのかもしれない。


 私は空いてしまった時間を温泉に沈むことに費やした。

 どうするのが正解か判らない。

 聞くなと言うなら聞かなくてもいい。カエルの為にここに居ろと言われれば居よう。

 でも、私の好きなようにしていいと言われると困る。とても困る。

 好きなように出来る程、私はこの世界に染まっていない。確固たる何かも積み上げていない。


 カエルは腹黒神官に何を言われたのかな……気にしなけりゃいいのに……




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