46.アマノ岩戸

 その日、夕食の時間になってもカエルは姿を見せなかった。

 基本的に仕事はきちんとこなす彼にしては珍しいと言える。ビヒトさんが私を呼びに来たついでに声を掛けに行ったのだが、部屋から出る様子はないようだ。


 テリエル嬢は多少元気が無かったものの、ランクさんはいつも通りだった。

 いい機会だったので、カエルの代わりに給仕してくれようとしてくれた女の子にコツなどを聞いて、自分でやらせてもらったりもした。


 気になっていたので、アレッタにカエルの夕食を用意するなら私が持っていきたいと伝えてみた。

 快く応じてくれたので、食事を終えた後配膳室でしばし待つ。


「はい、これ。よろしく頼むね! せっかく元気になったんだから、食事を抜いて体調崩すなんてもっての外だからね!」


 アレッタの剣幕に気圧されつつも、しっかりとトレーを受け取る。


「カエルはいつもお茶のポットとかも持ってきてくれるんですけど……」

「坊ちゃまの部屋にはその辺の物は揃ってますから。病気じゃないなら御自分でなさいますよ」


 へぇ、と感心して、そういえば彼の部屋には行ったことが無いなと今更ながら気が付いた。

 大体傍に居るから呼びに行くことも無いし、連絡などは私が伝えられる方だ。

 途中でコケたりしたら絶対馬鹿にされるので、なるべく気を付けながら階段を登った。こちらの服装に大分慣れたとはいえ、まだ長いスカートは踏みそうになる。スウェットやジーンズが懐かしい。


 一番の難関を越えて、渡り廊下のドアもクリアすると足取りは軽くなった。スープが冷めてしまう時間は掛かっていないはず。

 ドアをノックしてみたが、返事はなかった。

 もう一度ノックして声を掛ける。


「カエル? 寝ちゃった? 夕食持ってきたんだけど」


 誰も居ないかのように、何の反応もなかった。本当に部屋に居るのか疑いたくなる。


「カーエールー。開けちゃうぞ」


 ドアノブに手を掛けてカチャリと回すが、開かない。鍵が掛かっているのではなく、ドアの向こうに何か置いてありそうな感じ。


「……いらない」


 ぼそりと力の無い声が、意外と近くから聞こえてきて驚いた。


「そこに居るの? 少しでも食べた方がいいよ? スープだけでも」

「いらない」


 取りつく島もないな。


「神官サマに何言われたのか知らないけど、あんまり気にしない方がいいよ? あの人、カエルを挑発して楽しんでるがあるから」

「……聞いてなかったのか?」

「なんか道具使ってたでしょ? 誰も聞こえてないと思うよ」


 ビヒトさんは読唇術くらい出来そうだけどね。


「……そう……か」

「食べる気になった?」

「ならん」

「強情だなぁ」


 それでも、少し声に張りが戻ってきていた。


「アレッタに怒られるよ。とりあえず受け取って?」

「いらん」

「もったいないおばけが出るよ」

「……なんだそれ」


 ちょっとだけ声に笑みが混じった。


「物を粗末にする人のとこに出るんだよ」

「じゃあ、置いといてくれ。後で……気が向いたら、受け取る」


 食べる、じゃないのが残念なとこだが、これ以上言っても無駄だろうな。

 溜息を吐いてドアの脇に置く。一応金属製のカバーを掛けてあるので大丈夫だろう。

 そのまま私もドアの前に座り込んだ。背中をドアにもたれかけて、カエルを感じようと意識を集中させる。


「ねぇ、カエル。聞いてもいい?」

「駄目だ」


 即答かよ!


「……、駄目だ。何を聞かれても……上手く、答えられない……」

「……そっか。じゃあまた今度にする」


 カエルが身じろぎする気配がした。


「――あのね、私この加護があって良かったと思ったよ。私自身は全く自覚無いんだけど、カエルの役に立ってるんだよね? 通訳もそうだけど、それがなければきっと私、ここで生きていけなかったと思うから」


 小さく、息を呑むのが聞こえてくる。


「前にも言ったけど、カエルは私を利用してて良いんだからね? 役に立つユエでいさせて?」


 なんとなく伝えたかったことを言い切ったのでそれきり私は黙った。

 姿は見えなかったけど、もう少しカエルと居たくてその場に留まる。


 帝都までの行程は楽しい旅行ではないけど、海の向こうに行けるのは嬉しい。砂漠も見られるのかもしれない。

 その旅の間に少しはカエルの話が聞けるといいな。必要なら、私の話もしてもいいよ。あんまり面白くないけど。


 結構な時間そうやってぼんやりと過ごしたので、すっかり身体が冷えてしまった。

 小さくくしゃみをしたら驚いた声で、「まだいたのか!? 帰れ!」と怒られた。

 自分だってずっとそこに居た癖に。

 顔は見せてくれなかったけど、怒る元気が出てきたなら、まあいいかとその場を後にする。


 朝になってもカエルが出てこなかったら、この天岩戸を開けるのに私は何をすれば良いだろう? やっぱり酒盛り?

 安直すぎる自分の頭の構造に溜息を吐いて、私は布団に潜り込んだのだった。


 ◇ ◆ ◇


 心配は杞憂だったと言っておこう。ある程度は。

 カエルはいつものように朝食を持って私の部屋をノックした。まだ表情に陰りはあって口数は少なかったものの、心配する程でもなくなっていた。


 いつ出発してもいいように旅の下準備をしておくと言ったカエルに見送られて、お屋敷を出る。

 やっぱり行けない等と言われなくて良かったと、ちょっとほっとした。


 ランチタイムに久しぶりに顔を出した、こちらも冴えない表情かおの代書屋さんを捕まえて、今回の事の顛末を問い質した。全て偶然はあり得ない。


「……僕もねぇ、あんな流血沙汰になるとは思ってなかったから」


 それはそれは深い溜息と共に彼は吐き出した。


「何度かこっちに来てただろ? でも、見てても犬猿の仲って言うか……まぁ、ある程度一方的に向こうがルーメン主教のこと気に食わないっていう雰囲気だったんだ。俺は顔だけで上に取り入ろうとするヤツは認めない。でも総主教がお呼びなのだから戻ってこい。とか、必要なのは『神眼』だけなのだから、それを抉り出してしまえばいい。とか平気で言うんだよ」


 さすがに僕も気分良くなくて、と渋い顔をする。


「そんなでも最初は低姿勢で対応してたんだけどね。結局は断る訳でしょ? 向こうはそれでまた面白くなくて言葉がキツくなるし……最後の数回は僕に気を使ってか、2人だけで話し合ってて」

「2人だけで?」

「うん。従者も部屋の外に出して、ドアの前で待機してた。まあ、結果は変わらない感じだったけど。そうだよね。何処までも平行線だ」


 私は少し違うことを考えていた。

 2人だけで、誰にも邪魔されず、彼はその人に仕向けたのだ。


「せめてもう少し打ち解けたいと、ルーメン主教が昼食に誘ってね。向こうもお酒好きみたいだったし、僕はずっと仲介してたよしみとこの酒場の常連だからって理由で同行したんだけど……」


 もうひとつ、彼は溜息を吐いた。


「……いや、なんとなくは分かってたんだ。お酒入って煽られたら、手を出すくらいはしそうだなって。それが僕の想像よりちょっと……かなり? 過激だったんだよね……。ルーメン主教もあれ、分かってやってた節があるし? 冷静過ぎだもの。彼が焦ってたのはユエちゃんが出て来てからで――」


 そこで代書屋さんはじっと私を見つめた。


「彼は僕を巻き込む想定はしてたけど、ユエちゃんはそうじゃなかったんだと思う」

「……そう、ですね。少し前に、店を休めないか言われましたし……予定付近の時間に姿を見せないようにも言われてましたから……」

「……言われてたの?」


 代書屋さんが呆れた顔になった。


「う。だって、目の前で食品用とはいえナイフを振り上げてるのを見たら、店の者としては止めなくちゃとか、思うじゃないですか……こちらに背中を向けてたし……飛びつける距離だったし……」


 半眼のまま、更に溜息を重ねて、彼はフォークで皿のパスタを食べるでもなくつついていた。


「普通は動けなくなるもんじゃないの?」

「そこは、店員補正というか。うちの店で何してくれてんの?! って。振り回してた訳じゃなかったのも、あんまり怖くなかったというか」

「カエル君があんなに心配する理由が良く分かったよ。分かりやすいようで、時々思ってもない行動をするんだもん」


 私はそっと目を逸らした。ナンノコトカナー。


「一筆添えて大主教を送り返したけど、お陰で教団内が蜂の巣をつついたような騒ぎになってて、港町は元々主教しかいないとこだし、中央から求められる状況説明に、結局現場に居た僕が何度も対応しなくちゃいけなくて、ようやく一息ついたのが昨日だよ」

「えーと……お疲れ様?」

「お疲れだよ! 労いのキスの1つでも欲しいよ!」


 勢いのままそう言って、代書屋さんは拗ねたように下を向いた。


「でも、カエル君許してくれそうにないし。狡いんだから」

「えー? そこ、カエルの許可がいるの?」

「僕、最初から彼の中では要注意人物でしょ? 自分が割と軽いのも自覚してるから、気を付けてはいるんだけど」


 彼は肩を竦めてみせる。

 てか、自覚はあるんだ。


「あの夜、なんかあったでしょ。ま、いいんだけどね。なんとなく、そんな気はしてたから」

「え? えーと……大したことは……」


 代書屋さんは可笑しそうに笑った。


「大したことじゃないことはあったのね。ホント、そう言うとこは分かりやすいのにね」


 言うべき言葉が見つからなくて、私はそわそわしながら黙り込んだ。


「攫われた現場に颯爽と助けにいける彼が羨ましいよ。やっぱり、カッコイイもんね。悔しいけど、仕方ない」


 彼なりの切り替えの早さなのか、持ち前の軽さなのか、爽やかに言い切る。


「……でも、今は監視の目もないし……労いのキス、くれてもいいんだよ?」


 ちょっと顔を寄せて、悪戯っぽく瞳を輝かせて彼は囁いた。

 あ、あれ? これは本気? 冗談?


「……えーと、あげられません? 多分、鐘1つも経たないうちにカエルの耳に入ると思います」

「…………だよねー」


 代書屋さんにしては、今のはちょっとドキドキした。彼は開き直ると怖いかもしれない。伊達に教団内でうまく立ち回ってはいないのだなと、妙に納得した。


「ともかく、近いうちに総主教命で召集があるだろうから、準備だけはしておいた方がいいよ。向こうでは見たままを答えてれば問題は無いはずだから。今度はさすがにルーメン主教の言うことちゃんと聞きなよ? 中央のこと一番よく知ってるだろうからね」

「ジョットさんも一緒に行くんですよね?」

「多分ね。港町から合流とか、向こうで別行動とかはあるかもしれないけど」

「本当に、大変ですね……」


 代書屋さんなのに、全然本業出来てないんじゃないだろうか。


「この騒動が落ち着くまでは、もう諦めたよ。色々任されてる時点で信用を取り付けたと思っておくしかないからね。まさかユエちゃんをあちこち奔走させるわけにもいかないでしょう? 本人は怪我人だし。ホントにどこまで計算なんだか」


 思い出したように冷めたパスタを口にして、代書屋さんはぶつぶつとぼやいた。

 なんだか、私以外は全部そろばんずくみたいな言い方をしてなかったっけ?

 その私もカエルを挑発するのに使われた気がするし。転んでも絶対タダでは起きないよね。


「そういえば、お家から誰か付いて行かないの?」

「カエルが来てくれると、思います」


 やっぱり、と彼は頷いた。


「でも、思いますって? 決定じゃないの?」

「神官サマに何か言われたみたいで……ちょっと落ち込んでるんです。あの2人も水と油っていうか……」

「あー……わかる、ような? つまり、道中はそういうメンバーなのね?」


 今から胃が痛くなりそう、だよね。

 思わず出た溜息は、代書屋さんのそれと重なって、落ちていった。




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