44.フオンな来客

 週2回あった礼拝が2度ともない日が続き、なんとなくピリリとした空気が漂っていた。

 一番内情を知っているだろう代書屋さんに聞いてみても、向こうの誘いを断り続けているという事くらいしか分からないそうだ。


 そもそも、位が上がるというのはいいことではないのかと、凡人な私は思うのだが、一度その位に就いていて落とされた身には、深く考える処があるのかもしれない。

 どちらにしても私に関係あるのは日々のお客の入りくらいだ。

 ちょっと忙しすぎたから、今くらいで丁度いいのかも。


 ランチタイムもとうに過ぎ、だらりとした雰囲気になってきたので上に上がろうかなと思い始めた頃、階段を下りてくる黒い神官服が見えた。

 今日は代書屋さんはもう出て行った後だ。

 彼は迷わずにカウンターまで来ると、私の前に腰掛けた。珍しく疲れて見える。


「代書屋さんは帰りましたよ?」

「いえ、今日はユエに」


 そう言った割にはそのまま黙り込んでしまったので、私は仕方なくお茶を入れてあげる。

 カモミールティーのようなハーブティーだ。


「お疲れですね。どうぞ。サービスにしときます」


 じっとカップの中を覗き込んだまま、神官サマは目を細めた。

 こんな物でも何か見えるんだろうか。そう思うような視線だった。


「いえ、すみません。お代は払います。ありがとうございます。ユエは優しいですね」


 カップに口を付けて、彼はやっといつものように薄く微笑んだ。


「別にいいんですよ? カエルの淹れるものほど美味しくないですから」

「そういえば、彼はいないのですか?」

「ここしばらく礼拝が無いので暇なんですよ。ヘルプも必要ないくらいです」

「それは……失礼しましたと言うべきでしょうか」

「いえ、別に」


 カエルが来なくても困ることはほとんどない。舌の肥えた常連さんが残念がる程度だ。


「でも、そうですか。彼が来ない状況ですか……」


 神官サマは顎に手を当てて、何か思案する。

 やがてふっと息を吐くと諦めたように口を開いた。


「ユエ、しばらくお店をお休みしませんか?」

「はぁ?」

「ジョットさんに聞いているとは思いますが、ちょっと厄介な人がこちらに通ってまして……」


 それと私が店を休むのがどうして繋がるんだ。


「なんだか埒が明かないので、目先を変えてこちらでお酒と料理でもてなそうかなと。予約でもして貸し切ればいいのでしょうが、向こうも気紛れにやってきますので、動向が掴み難く……この位の時間ならば空いているようですし、ただ、貴女が」


 こちらを向いた瞳が、迷いの色を見せていた。


「……いない方が、いいのかな、と」

「このくらいの時間ならば、私はここではなく上に居ることも多いので、それでは駄目なんですか? 田舎の店の従業員にそれ程気を配る人ですか?」


 視線が下を向く。こんなに自信なさげな彼は初めて見る。


「いいえ……いいえ。ただちょっと不確定要素が多すぎて、少しでも排除しておきたいだけなのです。では、ユエ、この時間に姿を見せないでいてくれますか?」


 懇願するような表情かおに納得できないまでも、そのくらいならと了承した。

 これが演技だったのなら脱帽するしかない。私を休ませたい演技って何だということになるが。

 お茶代とチップの銅貨1枚をきっちり支払って、彼は帰って行った。


「何だと思う?」


 ずっと傍で聞いていたクロウに尋ねてみた。


「さあ。ま、うちもユエに休まれると結構痛いからな」

「神官サマ絡みじゃ、カエルに代役もお願いできないからね……」

「気にするほどでもないんじゃね? 念の為、くらいな感じだっただろ?」


 だよねーと、そんな話はそのまま日々の忙しさに紛れてしまった。


 ◇ ◆ ◇


 1週間、は経っていないと思う。

 階段から降りてくる白い神官服を見て、思い出せるくらいには近い日だった。

 彼らの顔を見る前に、私は慌てて厨房へと逃げ込む。姿を見せなきゃいいんだよね?


 しゃがみこんで、しばらくしてからそろそろと様子を窺うと、丁度正面に体格のいい白い神官服の背中が見えた。この角度からはその人が壁となって神官サマは見えない。

 普段とは違う雰囲気に常連さん達が何人か席を立つ気配がした。

 カウンターからは代書屋さんの声が聞こえた気がする。昼は来てなかったから、神官サマ達と一緒に来たのだろうか。


 クロウから注文を聞いて料理の盛り付けを手伝う。食前酒、サラダから始まって肉料理や1品もの、コースの様だなと思っていた。食事中に葡萄酒だった飲み物が、うちではあまり出ない火酒に変わった辺りで少し不安になった。

 あの人はそんなにお酒に強いのだろうか。


 よくは聞こえないが、何かぐちぐちと文句をつけているのは判る。

 毎回こんな感じならば、疲れた顔をするのも当然かもしれない。

 神官サマが何か二言三言言い返した瞬間、がたりと白い服の人が立ち上がった。

さらに何か告げられて、彼は手元にあったものを掴むとその手を振り抜いた。


 もうお客さんも少なくなった店内にざわめきが広がって、何人かが立ち上がる。

 緩慢な動作でもう一度振り被った手元を見て、私は無意識に飛び出した。

 これがを振り回していたなら、私は出て行かなかっただろう。見せつけるように高々と振り上げたその腕に私はしがみついた。


「やめてください! 何するんですか!」


 慌てて近づいてくる代書屋さんの気配と、目の前で頬から血を流しながら驚き立ち上がる神官サマを横目に、固く握られた掌をこじ開けようと焦っていた。


「ユエちゃん、離して!」

「代書屋さん! 彼を押さえてて!」

「危ないから!」


 代書屋さんは舌打ちをして、私が掴んでいる腕を引き下げると、そのまま腕を背中に回した。もう抵抗は無く、力が入らないのか、ようやく指からナイフが離れていく。床に落ちるカランという乾いた音が、どこか現実から乖離して聞こえた。


 神官サマの顔の傷はかなり深いようで、ぼたぼたと彼の金糸の刺繍の入った白い祭祀服を赤く染め続けていた。

 何か綺麗な布を、と踵を返しかけて彼に腕を掴まれる。


「止血しないと……!」

「……どうして」

「え?」


 動きを止めた一瞬の隙に、私は彼に抱き上げられていた。


「え? 何?」

「誰かお屋敷に連絡を。ジョット、後で私の部屋までお連れして。はとりあえず帰します」


 代書屋さんは溜息を吐きながら分かりましたと頷いた。

 代書屋さんに腕を捻りあげられている神官は、呆然と神官サマを見上げていた。まるで自分が何故そうしているのか分からないというように。


 私も何故自分がそうされているのか分からなかった。

 階段を上がり、ルベルゴさんに謝罪の言葉を述べると、神官サマは早足で教会へと向かう。


「何処へ行くんですか!? 止血しないと。降ろしてください」

「暴れないで。同じ言葉を返しますよ。全く、傷のひとつもつけない様にと思って出てくるなと言ったのに」

「え?」


 そう言われて初めて自分の左の掌から血が流れていて、神官サマの服を汚していることに気が付いた。

 焦りすぎてナイフの刃を握っていたらしい。

 傷を見てようやくじくりと痛みが湧いてきた。


「面倒なことになりますからね。なるべくフォローはしますが、覚悟しておいて下さい。……本当に……初めて会った時から、貴女だけは思い通りにいくことが無い」


 怒りなのか、諦めなのか、彼の瞳が少しだけ揺れた。

 前にも訪れた彼の私室のベッドに座らされ、怪我した方の手を組むように繋がれた。


「……っつ……何を」

「少し、我慢して下さい」


 傷口が熱を持ったかと思うと、以前にも感じたちりちりぞわぞわする感覚がやってくる。


「っこれ、神官サマも出来るんですか!?」

「出来ませんよ。あなたはシスター・マーテルに治してもらったのです」

「は?」


 意味が分からない。


「そういうことにしておいて下さい。面倒がありませんので」

「……これも、ナイショなんですか?」

「敵が多いので、切り札は多めに持っておかなければ生き残れないのですよ」


 血まみれの顔でそういうことを言われるとちょっと怖い。

 ああ、本当に止血しないと……

 もう自分の手でいいかと繋がれていない方の手を出したら、あっさりと避けられた。


「避けないでください。止血できません」

「大丈夫ですよ。これくらいでは死にはしません。胸を一突き、くらいするかと思いましたが、顔を狙うとは思った以上に俗物でしたね」

「気になるんですよ! タオルでも下さい。……ってか、こうなること予想してたんですか!?」


 彼は小首を傾げて微笑んだ。

 可愛い子ぶったってダメだぞ!


「彼がしたいと思っていたことをさせてあげただけですよ。何をしたいかは彼しか知りません。どうして私に予測できましょう?」


 嘘だ。自分を嫌っていると言ってたじゃないか。予測なんて簡単にできる。


「避けようとも、してなかった」


 初めのが避けられなかったのだとしても、二度目の緩慢な動きには反応できたはずだ。私が出来たのだから。


「私、自分を大切にしない人は、嫌いです」


 彼はふふ、と笑って、だから休んでほしかったのに、と呟いた。

 ちりちりぞわぞわはまだ続いている。思ったより深かったのだろうか。


「ユエは誰が迎えに来ると思いますか?」


 話の矛先を変えたかったのか、唐突に彼は聞いた。

 誰? 酒場にいたなら、カエルだろうけど……


「ビヒトさん、かな?」

「彼は来ませんか?」

「カエル? うーん……来る、かもね。くらい?」


 旅行の時からカエルの行動はちょっと読み辛い。だから、もしかしたら来てくれるかも、しれない。

 そろりと、手の離れる感覚があった。もう痛くは無い。

 神官サマがじっと傷口を確認して、少しだけ眉を顰めた。


「シスター・マーテルほどは上手くできませんね。面目ありません」


 それからいいことを思い付いたというように、唇の端を持ち上げた。


「舐めて治すんでしたか」

「え!?」


 何をする間もなく、彼は傷のあった所を舌先でなぞる様に舐めた。

 血の色がそこだけ薄くなる。


「ちょ……やめ……」


 抵抗すると、彼はあっさりと手を離した。


「案外普通ですね。もっと違う味がするのかと思いました」


 もう! マッドな人のすることはわからん!


 どきどきしながらじっくりと掌を眺めて見ると、傷のあった辺りがうっすらと赤く色づいていた。血の跡で分かり辛いが、手を洗えばどこが傷口だったのか分かる感じだ。

 彼はようやくくタオルを取り出して顔に当てると、私の血で汚れた自分の手をもう一度ぺろりと舐めた。


 あれ。私、吸血鬼と一緒にいるのかな?

 そう思えるほど現実離れした光景だった。


「ひ、ひとの血は舐めるものじゃないですよ!」

「ああ、すみません。こんな機会はもうないかと思いまして」


 もうなくても、普通の人はそんなことしないからね!


「別に美味しかったりしないでしょう?」

「そうですね。普通です。普通すぎて納得できません」

「納得って何ですか!? 普通で当たり前でしょう?」

「ユエが普通じゃないので、その血液も違ってて欲しかったですね」


 人を何だと思ってるんだ!


「普通じゃない人に普通じゃないなんて言われたく――」

「ユエっ!」


 乱暴にドアを開け放って、カエルが血相を変えて飛び込んできた。かなり息が切れている。ずっと走ってきたのだろうか?


「怪我したって……!」


 かなりスプラッタな感じの神官サマを睨みつけると、血の跡の残る私の左手をそっと掴み上げた。


「治してもらったから、大丈夫だよ。もう痛くもないし」

「……そうか」


 ほっと一息つくと、本当に傷が無いのか確認し始めた。

 少しして、開いたドアを代書屋さんがノックする。


「大主教はお帰り頂きました。お迎えは、先走ってもう到着済みですね」

「有難うございます。これから少し面倒になりますが、引き続き宜しくお願いします」

「はい……ユエちゃん、大丈夫? 無茶するんだから……」


 代書屋さんもこちらに来て、カエルの隣から覗き込んだ。


「ナイフを振り上げるのが見えたら、止めなくちゃって思っちゃって……振り回されてたら、動けなかったと思うんですけど」


 途中でカエルが怖い顔でこちらを睨んだ。

 そんな顔されても、もう動いちゃったものは仕方ないじゃん。


「ほんと、寿命縮まったよ? 僕が早死にしたら半分はユエちゃんのせいだからね」

「残り半分は私の持ち分ですね。お葬式は心配しないで下さい。盛大に送って差し上げます」


 とても楽しそうな神官サマの声に、代書屋さんは思わず振り返ってから、こっそりと溜息を吐いた。

 冗談が冗談になってないような気がする。頑張れ、代書屋さん!


「怪我が大丈夫なら、もう帰るぞ」


 カエルが私を抱き上げようとしたので、慌てて抵抗する。


「やめてよ。子供じゃあるまいし自分で歩けるよ! それに、仕事だって途中で放って来てるし……」

「親父さんにはそのまま帰るって言ってある」

「帰ってゆっくりしなよ。ちょっとしたら悠長なこと言ってられなくなるから」


 水差しの水で濡らしたタオルで血の跡を拭ってくれながら、代書屋さんは力無くそう言った。


「え? どういう意味?」

「ユエは当事者になってしまいましたから、審問会に呼ばれると思います。証人として」


 代わりに答えた神官サマを、カエルは弾かれたように振り返った。


「審問会は通常帝都の中央神殿にて行われます。それについては、できるだけ早いうち……召集状が届く前にそちらとお話したいのですが」

「……それは、決定事項か?」

「避けられません。行かなければ、迎えに来ますよ。大主教の起こした不祥事ですからね」


 カエルの顔が強張った。


「証人として証言するだけならば、ユエさんの加護うんぬんは隠し通せると思います。その為のお話合いをしましょうと言うのです。信じる信じないは置いておいて、場を設けてもらえますね? ご主人が居る今の方がお互い有益な話が出来るとも思いますし。貴方が迎えに来たので、思ったよりは情勢は悪くないですよ」


 カエルが迎えに来たということがどう係わってくるのか、私にはさっぱり分からなかったが、諦め顔の代書屋さんと共に、なんだかまずいことに巻き込まれたという事だけは自覚した。




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