43.孤児院とカエル

 朝のうちに、帰りの時間を鐘1つ分早めてもらうようにルベルゴさんに話を付けてから1日が始まった。

 私はクロウにお酒の飲めなかった悔しさの愚痴を零しながら仕事をする。

 そのクロウにも流石にお酒はまだ早いんじゃないかとか、お酒入りのホットミルクを作ってもらったんだから感謝しろとか、子供らしくない忠言をいただいた。


 治ったらお祝いしたくなるのが日本人だよ! お祝いにはお酒だよ! 怪我しても消毒にお酒を飲むよ! 二日酔いになったら、迎え酒するのがデフォだよ!


 特に酒好きだとは思ってないけど、そんな感じの心の声は口に出さない方がいいらしい。私のは飲みたいと思った時に飲めなかった悔しさなんだけど。

 代書屋さん辺りなら共感を得られそうな気がするんだけどな……


 その代書屋さんは今日は来なかった。忙しいのだろうが、本当にタイミングの悪い人だね。今日なら彼と盛り上がれた気がするのに。

 ランチタイムもそつなくこなして、あとはルベルゴさんの隣でカエルの迎えを待つだけだ。

 礼拝が不定期になっているからなのか、宿の方も客は落ち着いていて少し暇だった。


「声が戻って良かったな」


 欠伸を噛み殺しながら、ルベルゴさんが言った。


「本当に。商売あがったりですからねー。文字が書けないってやっぱり不便です」

「嬢ちゃんは母国語も書けねぇ訳じゃねぇんだろ?」

「もちろん書けますよ? ちょっと特殊なんでこちらの言葉を覚える助けにはならないんですよね」


 英語とかフランス語とかドイツ語とか身に付いていれば、また少し違ったかもしれないけど、私は英語も覚束ない人間だ。


「特殊な文字なら、その辺から国とか分からねぇもんかよ?」

「あー……多分、無理かと」

「何だ? 門外不出みたいなもんなのか?」

「似たようなもん、ですね」


 何処かに日本語を使う国があっても、それはそれで困る気がする。

 ルベルゴさんは訝しげな顔をしていたが、それ以上は突っ込まないでいてくれた。


「そういえば、村長さんてここの酒場に来たりします?」


 わざと、という訳ではなかったけど私は話題を変えてみた。

 地味に心に引っかかっていたのだ。


「来たりも何も……常連じゃねぇか。何だ? 知らなかったのか? 昼もよく来てるぞ」


 ……知りませんでした。常連さんで、村長っぽい人……


「人の良さそうな白髪のおじさん、かな?」

「そっちは御隠居だな。それに似た、もうちょっと若ぇヤツだ」


 ああ、なんとなくしか分からない……


「村長っつっても実質はお屋敷の方で仕切ってるだろうからな。目立たなくて当然かもしれんが」


 がははとルベルゴさんは笑う。


「挨拶とか、もう今更ですよねー……」

「向こうは分かってるから心配するこたぁねぇ。お屋敷と繋がりのない村民の窓口みたいなもんだ。嬢ちゃんはお屋敷側だから、下手に何か言うとややこしいことになりかねんぞ」

「そうなんですか? ただの居候なんですけど」

「ただの居候に兄ちゃんを付けねぇだろうよ。そういえば、港町で兄ちゃんと何かあったか?」

「えっ!?」


 話の方向が急にずれて、私は素っ頓狂な声を上げた。

 ルベルゴさんがにやにや笑っている。


「た、助けてもらったくらい、デスヨ」

「そうか? 兄ちゃんの雰囲気がまた少し変わった気がしたんだが……遠出したからか?」

「そ、そうじゃないですかね? クロウも、ちょっと変わった気がしません?!」

「クロウ? まあ、ちっとは目線が上がったかな」


 腕を組んで首を傾げるあたり、カエルの方が顕著に変わったと、そういうことなんだろうか。

 確かに私も本人にどうしちゃったのって言ってるし……

 でも、日が経つにつれて気のせいだったかなと思う程度には以前と変わりがないような気もする。旅行の余韻だったとそう言われればそうかな、というくらいの。


「ジョットがクダ巻いてたからな。なんかあったんだと思ったんだがな」

「代書屋さん?」


 にやにや顔に戻ったルベルゴさんは私に受付を任せて、空き部屋の点検に行ってしまった。

 ほっとしたような、消化不良のような。

 それから数名飛び込みのお客を捌くと、私の仕事の時間は終わりとなったのだった。


 ◇ ◆ ◇


 迎えに来たカエルは久しぶりに黒い手袋を嵌めていた。

 護衛スタイルなのかなとも思いつつ、微妙な違和感が付き纏う。孤児院に行くだけだし。

 心なしか緊張しているようにも見えて、私は首を傾げた。


「何もないと思うよ? カエルに相談したのだって一応だし。門も開いてるし」

「分かってる。ちょっと、そうじゃなくて……」


 気まずそうに視線を逸らされて、私はますます困惑する。


「なんなら帰ってもいいよ? もうそこだし」

「ここまで来て、それはない」


 こう、意外と頑固というか真面目というか。

 本人がいいと言うなら私は止めないからね?

 孤児院の扉をノックしてから大きく開け放った。


「こんにちは! えぇっと、シスター・マーテルかナランハいますか?」


 先に出てきたのはナランハだった。


「こんにちは。どうされました? この時間には珍しいですね」

「この間旅行に行ってきたんだけど、みんなにちょっとしたお土産があって」

「それは……わざわざありがとうございます。どうぞ。皆喜ぶと思います。お連れの方も、どうぞ」


 部屋の中に入って行くと、ニヒが一番に駆けてきた。


「ユエ!」


 しっかり抱きとめて、柔らかい髪と耳に頬擦りする。


「久しぶり、ニヒ」


 よいしょと抱き上げると、後ろにいたカエルに気付いたのか、ぎょっとして慌てて腕の中から飛び降りて離れて行った。

 カエルもカエルで声を掛けるわけでもなく、ニヒと睨み合っている。

 なにこの雰囲気。


「ユエ〜、その人だあれ?」


 ぽてぽてと近づいてきたファルの気の抜けた声にも、睨み合った2人は動かなかった。


「えっと……私の、お世話になってるお家の人?」


 あれ。カエルを紹介するのって、そんな感じ? お友達、とも違う。家族、ではない。なんか、難しいな。

 ちょっと考え込んでいる間に、ファルはカエルの足元まで近づいて服の裾を引っ張っていた。


「ねぇ、ご本よめる?」


 びくりと、カエルの身体が反応した。今までニヒしか目に入っていなかったようだ。


「あ、ああ、読める」


 かなり動揺しながら、どうにか返事を返していた。

 ファルはにっこり笑うと、服の裾を掴んだままカエルを本棚の前に誘導しようとした。


「じゃあね、よんでほしいご本があるの」

「……ちょ、ちょっと待……」


 面白いほどにオロオロして、カエルが私にSOSの視線を向けた。

 これは。もしかして。


「カエル、子供、苦手?」

「に、苦手、と、いうか……」


 かぁぁと染まっていく顔が幼く見えて、私は思わず笑ってしまう。


「ファル、ファル。離してあげて。本は読んでくれるから」


 きょとんとしたファルは、カエルを見上げてから手を離した。


「その前に、お土産あげるね。ご飯前だから、ひとり1つずつだよ」


 私が斜め掛けにした鞄から海色の飴が詰まった瓶を取り出すと、ファルとニヒの顔つきが変わった。すっかり釘付けである。

 蓋を開けて1つずつ口に放り込んであげる。2人は幸せそうに両手で頬を押さえた。

 食べ物の気配に、今まで無関心で走り回っていた男の子コンビもこちらに駆けてくる。


「ユエ! それなんだ?」


 カエルは無意識なのだろう、2歩ほど後退りしていた。


「飴だよ。口開けて?」


 素直に口を開ける雛たちに私はまた1つずつ飴を入れてあげて、カエルを振り返った。


「本棚の所で、1冊だけ読んであげて? ファルは飛び付いたりしないから大丈夫だよ」


 まだ気まずそうにしながらも、カエルとファルは本棚の方へ移動していく。

 私は黙って様子を見ていたナランハにも口を開けさせて、飴を放り込んだ。それから瓶ごと彼に預けて、皆で食べてねと笑ったのだった。


「ニヒは、本読むの聞きに行かないの?」


 私のスカートを掴んだまま、じっとカエルを目で追っているニヒに声を掛けると、はっとしてこちらを見上げた。


「……ユエは仲良し?」

「カエルと? 仲良しだよ。多分。悪いおじさんから助けてもらったよ」


 助けてもらった、と聞いて自分のことを重ねたのか、緊張した表情がちょっと和らいだ。


「じゃあ、大丈夫、かな」


 私の足にしがみつくようにして、ニヒはぐりぐりと頭を擦り付けた。

 今度こそ彼女を抱き上げて、ぎゅっと抱締める。


「うん。大丈夫大丈夫。怖くないよ」


 私はそのまま本棚の前に行って腰を下ろした。片方の膝にニヒを抱えると、ファルが羨ましそうに見上げたので空いた方の膝にファルを乗せてあげた。

 2人は顔を見合わせてくすくす笑っている。


 騒々しさが伝わったのか、2階から降りてきたシスター・マーテルがカエルを見て一瞬表情を引き締めたものの、私が一緒にいることが分かると小さく安堵の息を吐いていた。微笑んで目礼しておく。

 緊張した声のお話が終わる頃、ミゲルとリベレがきらきらした瞳で私の両脇から見上げてきた。


「終わった? ユエ、鬼ごっこしよう」


 こいつらはまだ走るのか、とびっくりしたが、それよりも鬼ごっこは終わりが無い。カエルも早めに解放してあげたいけど……子供達に慣れてほしい気もする。

 少し考えてから私は男の子達に提案した。


「もうすぐご飯の時間だし、いつもと違うルールで1回だけならいいよ。まず、鬼にタッチされたらその鬼と手を繋ぎます」


 私はカエルをぽんと叩いて手を繋いでみせる。


「鬼は手を離せませんが、4人になったら2人ずつに分かれます。全員が捕まったらお終い」


 手繋ぎ鬼のルールだが、わかったかな?


「カエル、わかった?」

「何故俺に聞く?」

「カエルも一緒にやるからだよ」

「――なっ」

「まぁ、カエルは私と一緒に最初から鬼だけどね」


 彼が何か言う前に、私は子供達に向き直った。


「皆、分かったかな? 10数えたら追い掛けるからね。いーち、にー」


 ぱっと動いたのは男の子2人で、ファルとニヒはちょっと遅れて離れていった。

 狭い室内だ。多少手加減してもすぐ捕まえられるだろう。


「ユエ。俺は……」

「大丈夫だよ。一緒に追い掛けるだけでいいから。はーち、きゅーう」


 私は離れないようにカエルの手に自分の手を絡ませる。何かに祈るように。


「じゅう!」


 カエルを引き摺るようにして足を踏み出す。いいハンデかもしれない。

 軽く何人かを追い掛けてカエルとの歩調を合わせる。そして最初に捕まえたのは、ナランハだった。


「――え? 僕も?」


 完全に傍観者気分だった彼だが、悪いけど巻き込むよ。私はナランハの手を取って彼に聞く。


「捕まえる順番はどうがいい? もうひとり捕まえたら、二手に分かれられるから、ナランハのお勧めで」

「そうですね……リベレが捕まえられればベストですかね。駄目ならファルで」


 多分、カエルが本気を出せばほんの一瞬で終わってしまう遊びなのだが、彼は今回当てにしない。タッチが出来ないのだと思う。

 一緒に遊んでいる気分を楽しんでほしいだけなので、頑張って走ることにしよう。


 普段からミゲルとリベレを追い掛けているナランハに先導を任せて、きゃーきゃー言う子供達を追い込んでいく。

 ニヒを追い掛けているように見せながら、ナランハは上手くリベレを捕まえた。


「あー! つかまったぁ!」


 悔しそうなリベレをナランハに任せて二手に分かれる。


「次は?」

「ニヒがベストで、ファルが次点でしょうか」

「了解」


 ニヒはとてもすばしっこい。追い詰めても足元をするりと抜けられたりするのだ。

 もう1歩足りない、と思ったらカエルがいつの間にか前に出て手を引いてくれた。反動でニヒに届く。


「つ、かまえ、た!」

「あーーー!」


 笑ってカエルに目をやると、気恥ずかしそうに顔を逸らされた。

 意外と楽しいって言ってくれていいのよ?

 向こうでファルも捕まって、鬼が3組になったのでミゲルも程なく捕まえられた。

 さすがにちょっと息が上がる。


 深呼吸して息を整えのているとまだ繋いだままだったカエルの手に肩をどつかれ、2、3歩よろけた。

 何をするんだと彼を見上げようとして、繋がれた手をアーチのように上げられた事に気付く。

 そのアーチの下をミゲルが駆け抜け、数歩先でキョトンとこちらを振り返った。

 私も多分似たような顔でミゲルを見ていたと思う。カエルだけがにやりとしていた。


 ミゲルは一瞬口を引き結んで、手を突き出しながらカエルに突進していく。

 彼の中では鬼ごっこの続きなのだと理解したのは、カエルが何度かミゲルの突進を躱して私を盾にした時だった。


「ちょ、1回だけって言ったでしょ!? カエルも、もう手を離せば――」

「……っもう、ユエでもいいや!」


 聞いちゃいない。私が捕まればそれで終わるなら、それでいいかとミゲルを待ち受ける。

 カエルも手を離したので、これで終わりと思っていたら、ふわりと体が浮いた。すぐに視界が回る。何が起こったかは分からなかったが、成り行きを見守っていた皆のちょっと驚いた顔は見えた。


「お前はハンデだろ」


 カエルの声が近くて、地に足が付いていない。腰元から抱え上げられていた。


「ミゲルに付き合ってたら、いつまでも終わらないよ? ……降ろして」


 希望とは反対に、投げ上げる様にして私の身体を反転させると、小さい子供を片腕に座らせて抱き上げる様な形にする。視界は高いが近づいてくるミゲルの姿は捉えられず足音だけが聞こえる。カエルはそのままステップを踏むようにくるくると回った。遠心力でバランスを崩しそうになって、思わずカエルの首に手を回す。


「あ、ぶな」


 動きが止まると、すとんと降ろされ、少し向こうに勢い余って転んでるミゲルが見えた。ちょっと呆然としている。


「もう離れてもいいんじゃないか?」


 へ? と見上げて、首筋に抱き着いたままだと気が付いた。慌ててカエルから飛び退いて、恥ずかしさを誤魔化すようにミゲルを抱き起こしに行く。


「……相手が悪かったね。カエルを捕まえるのは簡単じゃないよ。さ、お終い。また今度ね?」




 悔しそうなミゲル達に別れを告げて、家路を歩く。ようやく緊張から解放されたかのように、カエルの長い吐息が私の耳をくすぐった。


「子供が苦手なら、そう言ってくれればよかったのに」

「苦手じゃない。怖いんだ」


 カエルは朱に染まり始めた空を見つめた。


「子供だけじゃない。小さなものは、すぐ命を落とすから――」


 彼のトラウマはまだしっかりと根を張っているのだな、と思わせた。


「鬼ごっこ、嫌だった?」

「嫌、じゃなかった」


 深い色に沈んだカエルの瞳が私を捉えて、その指の背で頬をするりと撫でた。


「ユエがいてくれて、良かった」


 彼が私に触れるのを躊躇わなくなったのは回復の兆しだけれども、全てではない。そう、ちゃんと理解できた。


 どうすればもっと彼に知らない世界を見せてあげられるだろう?

 私が知らないことだらけのこの世界で。

 頬に触れた手を取ってしっかりと繋ぐ。私はここに居るよと、せめてちゃんとカエルに伝わる様に――




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る