21.カゾク

 予想通りテリエル嬢に怒られはしたものの、道連れにとカエルの手を離さなかったので、途中で彼女は怒りを通り越して呆れたようだった。

 終いには苦笑して、もう今日はいいからとカエルの手を離すように促された。

 相変わらず、カエルに甘いと思う。

 これは作戦勝ちと思っていいのだろうか。いいよね? そう思おう。

 私は耳まで赤くしたカエルの顔を見ながらゆっくりと両手を離して、しおらしく「ごめんなさい」と2人に頭を下げたのだった。


 ――その夜中。

 だいたい朝までぐっすりな私には珍しく目が覚めた。

 アルコールのせいだろう。

 何時くらいか分からないが、トイレに向かった私は治療室の明かりが漏れているのに気が付いた。

 ドアが少し開いていて、誰かの話し声がする。

 まだテリエル嬢が起きているのだろうか。

 そっとドアに手をかけて、開けて声を掛けようか少し迷う。


「試してみてもいい?」

「本気か?」


 夜中だからか、静かな会話が意外にもはっきり聞こえて驚いた。

 カエルも居る?

 ぱさりぱさりと衣擦れの音。


「手を」

「お嬢……止めた方が……」

「確かめたいの。さあ」


 ここからは中の様子は見えない。

 ドアを開け放っても、衝立で結局見えないだろう。

 とても静かな数分――あるいは数秒――が過ぎていく。


「……私、ずっと貴方にこうしたかった……」


 テリエル嬢の涙声に心臓がどきりと音を立てた。

 急にいけないことをしている気分になって、鼓動が速くなる。


「カエルレウム……」

「お嬢、泣くな」

「名前で呼んで。今くらい、幸せな気分でいさせて」


 カエルが甘い声でリエルと呼ぶのは聞きたくなかった。

 そっとドアから離れてトイレに滑り込む。

 どきどきが収まらない。

 大したことではなかったに違いない。私はまだ酔っているんだろう。

 それでもテリエル嬢の涙声が耳から離れなかった。

 あの2人の間にあるものは家族と呼ぶには深すぎる。

 それとも私が薄情なだけだろうか。

 初めて彼らの事情を知りたいと思った。同時に、知れないだろうということも……


 どのくらいそこでまんじりともせずに居たのか……そっとそこから出る頃には治療室の明かりも消え、人の気配も無くなっていた。

 部屋に戻っても眠れそうにもない。

 私は部屋から布団を抱えて談話室に向かった。

 カーテンの向こう側、出窓にクッションを放り込み、星の見える角度で体勢を整える。

 適当に星と星とを繋ぎ、星座に見立てては名前を付け、物語を考えた。

 布団が自分の体温で温まり、物語のバリエーションがなくなる頃、私の意識は夢とうつつを行き来し始めた。

 家族の顔を思い出して、特に帰りたいとも思っていない親不孝な自分を反省する。

 向こうでは私はどう扱われているのだろう。いいところ失踪か。

 部屋は引き払われただろうか。

 両親にはわたるが居る。早々に家を出た私が居ない生活にもすぐに慣れるだろう。

 わたるは――ほっとしているだろうか。無駄に構ってくる人間が居なくなって……


 わたるのことを考えながら眠ってしまったからか、わたるの夢を見た。

 透明な薄い硝子の向こうで怖い顔をして怒っている。

 わたるはいつも怒っているなぁと硝子に近づくと、わたるの口が『ど・こ・に・い・る』と動くのが分かった。声は聞こえない。

 わかんない、と首を振り、とりあえず元気だとにっと笑って見せた。

 わたるの拳が硝子を叩いているが、とても薄いそれはびくともしなかった。

 私はその拳の辺りにそっと手を添える。わたるの体温が伝わらないかと思って――

 わたるも拳を開いて掌を合わせるようにした。

 わたるの手ってこんなに大きかったかなぁ?

 残念ながら、わたるの体温は感じられなかった。ひやりとした硬質の硝子の感覚だけだ。

 残念そうな顔をする私にわたるは何か早口で言葉を発した。

 分かんないよ。ゆっくり。ゆ・っ・く・り。

 わたるは焦ったように周りを見渡し、何かを探す。

 何も見付けられずに、こちらを見て何かを書く素振りをした。

 筆談? 残念ながら、こちらにも何もない。

 ただ白っぽい空間が広がっているだけだ。


 ふと、誰かの呼ぶ声が聞こえた。

 もう、行かなきゃ。

 なんとなくそう思った。

 声の聞こえた方を振り返り、もう一度わたるに視線を戻してゆっくりと伝わるようにまたねと言ってひらりと手を振った。

 またね。

 また、はあるのかな?

 夢とは言え、元気そうなわたるの顔が見られて少しほっとした。

 まぁ、泣きはらすタイプではないよね。

 少しずつ辺りが明るくなって、だんだん眩しいくらいになる。

 目を開けていられなくて、一度ぎゅっと閉じた。

 しばらくしてから薄目を開けると硝子の向こうに山と空が見えた。


「……わたる」


 ぺたりと硝子に掌を押し付ける。

 夢の中でくらい、笑ってくれればいいのに。

 その時、音を立てて勢いよくカーテンが開かれた。

 驚いて振り返ったまま固まってしまう。


「……昨日の今日で、何してる?」


 静かに笑って言われるのは、怒鳴られるよりも怖い。


「夜中に……目が覚めて……寝られなくなって……」


 あ、やばい。わたるの顔を見たから、怒られてるのに声が聞こえなかったから……口の形はそう言っていたのに。

 今怒られるなら、『ユエ』では駄目だ。


「ユ――」


 私は何か聞こえる前に両手で耳を塞いで目も閉じ、布団に突っ伏した。

 『ユエ』に戻らなくては。怒られるのは出窓で寝てしまったユエだ。

 勝手に何処かへ消えた『あおい』ではない。

 夢に引き摺られるな。

 片腕を取られて、びくりと身体が跳ねる。今は何も聞きたくない。


「※※※※※※?」


 カエルの声が知らない言葉を発していて、聞き違いかと眉間に皺を寄せる。

 恐る恐る彼を見ると、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「※※?※※※た?」


 取られた腕に視線を移すと、すぐにカエルの手は離れていった。

 何も聞きたくないと思ったからだろうか。見事に聞き取れない。

 今度は急に心細くなった。

 翻訳機能が無ければ、私の居場所など無い。仕事も出来ない。


「――ユエ?※※を※※※か?」


 自分を呼ぶ声を聞いて、気持ちが揺れないのを確認するとようやく私はほっとした。

 それと同時に翻訳機能も再起動したようだ。


「熱でもあるか? こんなとこで寝るから……」


 額に手を伸ばすのは、まだかなり躊躇いがあるようで、カエルは手を上げ下げしている。


「……ごめん。大丈夫。ちょっと、変な夢を見ただけ。寝惚けてた」


 自分でも驚くほど覇気の無い声だった。

 あれ、と思って軽く頬をぴたぴたと叩く。


「親父さんとこ、今日は止めとけ?」

「うん? そう、しようかな。すぐに元に戻ると思うんだけど……」


 カエルはひとつ頷いた。


「飯は食えるか?」


 彼は朝食を取りに行く途中で、少し開いた談話室のドアに気付いたらしい。

 寝てしまった時のために、誰かが気付くだろうと開けておいたのだ。


「うん。部屋に戻って、着替えるね」


 身支度を終えて顔を洗うと、だいぶ気分は回復していた。

 夢の中でわたるにしっかり怒鳴られてさえいれば、ここまで拗れなかったのにとも思う。

 夢に文句を言っても仕方ないけどね!

 朝食を食べ終える頃にはやっぱり仕事に行ってもいいかなと思い始める。


「……宿に伝言してくれるのって誰が行くの?」

「俺が行こうと思ってるが? 手が足りなそうなら、そのまま手伝ってこようかと」


 そうか。やる気満々なら引き留めるのも悪い。カエルにも馴染んでほしいしね。


「街まで一緒に行っていい? ロレットさんのとこに行きたいんだよね。すぐに帰ってくるから」


 カエルはちょっと眉を顰めたが、私がもういつもの調子なのを感じたのか、帰りが……とぶつぶつ言いながらも了承してくれた。

 ビヒトさんに今日はお昼も屋敷でとることをちゃんと伝えてから、カエルと共に街に下りる。

 ルベルゴの宿の前で彼と別れ、私は噴水の向こう側のロレットさんの店へ。

 まだ開店前だろうが、多分大丈夫だろう。


「こんにちはー」


 ドアを数回ノックしてから声を掛ける。鍵はもう開いていたようで、ノブを引くとギッと音を立てて動いた。


「すみません、まだ開店前……あれ?」

「おはよう。ヴィヴィ。久しぶり」


 ヴィヴィは掃除の手を止めてやってきてくれた。


「ユエ。宿の方は? 何かお使い?」

「今日はちょっと休ませてもらって……代わりにカエルがやってくれるみたいだから、話しのネタにお昼行ってみるといいよ。多分、今日も女性客多いだろうから目立たないと思うよ」


 にやにや笑ってヴィヴィにお勧めする。


「カエルレウムさんが? もしかして、昨日の噂って……」

「えっ。なんか噂あったの?」

「ルベルゴの酒場で、爽やかな青年執事を雇ったって」


 私は盛大に噴き出した。

 爽やか。爽やか!

 あの、仏頂面のカエルが!

 いやいや。噂は半分正しいのだ。執事モードのカエルは確かに爽やか好青年に見えなくもない。


「ユエ、何で笑うの? カエルレウムさんに失礼だよ!」

「えー? 普段は全然爽やかじゃないからだよ。水時計のとこの代書屋さんの方がよっぽど爽やかだと思う」

「代書屋さん? 礼拝の時見るけど……知り合いなの?」


 ヴィヴィは腹黒神官が好みなんだっけ。他は目に入ってなさそうだ。


「たまに仕事回してもらうんだ。酒場でたまたま、ね」

「すっかりユエもこの村の一員だねぇ。失敗談とかも、たまに聞くよ?」


 くすくすと噂好きでミーハーな女の子が顔を出す。

 ヴィヴィは大人しそうな顔とは裏腹に結構な情報通だ。


「やめてー。クロウに怒られてばかりなんだもん。仕事以外のとこで!」


 何か聞いているのかヴィヴィが可笑しそうに笑う。

 そこにロレットさんが奥から顔を出した。


「ヴィヴィ、掃除は終わったの? あら? ユエさん?」

「おはようございます。ちょっとお願いがあって来ました」


 そうだった。何しに来たか忘れるとこだった。


端布はぎれってもらうこと出来ませんか?」


 私は誕生会の飾り付けにコサージュを作りたいからと、ロレットさんに説明する。

 私がこの店の服を着ているので、酒場に来るそこそこ裕福な観光客からの問い合わせや注文があったりして、売り上げは伸びているそうな。

 そんなこともあって端布自体はいくらでもあるからと、快く分けてもらえた。

 色も材質も色々あって正直もらいすぎたかもしれない。


 持って帰るための布バッグまで借りて、ヴィヴィと今度のお昼の約束をしてから私は店を出た。

 まだ2刻の鐘の前だというのに、屋台も人も結構な数出ている。

 帰る前に噴水の周りをぐるりと1周見て回ることに決めた。

 鳥の唐揚げのような食べ物からカットフルーツまで色々な物が売られている。

 もちろん木彫りの土産物や宝石のような石のはめ込まれたアクセサリーもあって、見ていて飽きない。

 もう少しお金が貯まったらあんなのが欲しいな、とかあれを食べてみたいとかひとりで盛り上がっていると、2刻の鐘が鳴った。


 広場の真ん中の噴水が一際大きく水を吹き上げて、周りで遊んでいた子供達が歓声を上げる。

 わざわざ濡れに行くように水に突進する子供達の中で、1人だけ水を避けるように後退りしてくる黒いフードを被った子がいた。

 後ろのことを全く気にしていないので、このまま行くと屋台に転がり込んできそうだ。

 私は屋台と屋台の隙間から内側に入り込み、その子の背中を軽く支えるように手を出した。


「危ないよ?」


 驚いてこちらを見上げる青い瞳に見覚えがあった。


「ニヒ?」

「えと、えと……ユエ!」

「覚えててくれてありがとう。遊びに来たの?」

「いつも来る。でも、いっぱい水ニガテ」


 やっぱり猫っぽいもんだなーと微笑ましく思う。


「ユエ、遊ぶ?」

「え? うーん。荷物あるから、水遊びはちょっと……出来ないかな」

「じゃあ、おうちでご本読む? ファル誘う!」


 もう、言葉の途中で手を捕まれ駆け出される。

 あれ? 待って? これ、まずいパターン?

 あぁ、でも、この手を振り解けない。

 私はオレンジの頭を探す。ナランハがいるはずだ。

 ぐるりと噴水を回り込み、ニヒが駆けていく先にファルのふわふわのウェーブの髪が見えた。

 もう少し先にナランハが立っている。


「ファール!」


 ニヒの声にファルばかりじゃなくナランハもこちらを向いた。


「ユエにご本読んでもらう!」


 本と聞いて、ファルの顔がほころんだ。


「ナランハ!」


 私は少し大きな声で彼を呼ぶ。

 彼は子供達を気にしながらこちらに来てくれた。


「おはようございます。なんとなく、理解しました。お願いしても?」


 ナランハは何も言わずとも察してくれたようで、くすくすと笑いながらファルとニヒの頭を優しく撫でた。


「シスターは居ますか? 私、長くても2つ目の鐘くらいまでしか居られないので……」

「おりますよ。僕達もそれまでには戻りますので、御心配なく」


 私は両手に花で、孤児院まで引っ張られていったのだった。




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