22.童話とデンセツ

「ただいまー!」


 ニヒとファルはそのまま本棚に駆け出していく。


「え。待って! 手を洗ってからだよ」


 きょとんと立ち止まって、こちらを振り返る2人。

 あれ? 手洗い、しない?

 2人は顔を見合わせると、ぺろりと舌を出した。


「忘れてた!」


 そう言って仲良くもう一度外に駆け出して行く。

 慌てて私も後を追うと、建物横に水場があった。

 無造作に置かれた緑色の固形石鹸で、2人と一緒になって手を洗う。

 昔、うちにもあったな。オリーブ石鹸。きっと同じような植物性石鹸だろう。こちらに来てからはどこでも見る物で、多用されている。

 きゃっきゃとはしゃぐ声に不思議に思ったのか、シスターが2階の窓から顔を出していた。


「まぁ、ユエさん」


 軽く手を上げると、シスターは慌てて顔を引っ込め、タオルを持って下りてきた。


「今日はお仕事では? クロウは一緒じゃないんですね」

「今日はちょっとお休みしたんですけど……噴水でニヒに会ったらお誘い受けちゃって」

「まぁ。それはわざわざご免なさい。大丈夫ですの?」


 シスターの水色の瞳が心配そうに少し陰った。


「少しなら。昼前には戻らないといけませんけど」

「ユエ! はやく!」


 ニヒが急かせるように手を引く。


「もう……ニヒ、落ち着いて」


 シスターは困り顔だ。

 私は笑って提案する。


「2人とも、読んで欲しい本をいくつか選んでおいて? 読む順番も考えてね」


 ニヒは着ていたマントを投げ出して文字通りに飛んでいった。

 シスターが拾い上げてぽんぽんと払っている。

 出遅れたファルも一生懸命追いかけていく。


「今日は他の子は居ないんですね」

「こんな日もあります」


 シスターはにっこりと微笑んだ。


 中に入ると本棚の前は凄い惨状だった。

 本棚の1段分は確実に出し尽くされている。

 全部読めるだろうか?

 ってか、この本の量は何だろう?

 カエルの為と、あちこちから集めたあの家の蔵書も凄いはずだが、絵本だけでこの量?

 確かに棚はカラーボックスを3個重ねたくらいで、現代なら大したことないけど、恐らくこちらではまだ紙は量産がやっと整ったくらいだし、羊皮紙や木の本まであるし……


「……シスター? もしかして、この孤児院って凄いお金持ちですか?」

「シスターなんて呼ばれる程の者じゃないですよ。マーテルと呼んで下さい」


 シスターは床に散らばった絵本を優しい瞳で見つめると、ほぅっと吐息を漏らした。


「やはり分不相応ですよね? ……こちらはルーメン主教が揃えてくださった物なのです」


 う、え?


「ご自身も趣味で、というか民俗学や他宗教をよく研究されているので、その資料を集める傍らこうして絵本の類も集まるようで……」


 そういえば、実験とか言っていたのはそういうことの延長なのか?

 この世界、美人はマッドなのがデフォなの?!


「正確に言えば、こちらはルーメン主教の私物なのです。私達は借り受けているだけですので」


 自費で揃えられる。

 神官ってそんなに儲かる職業なの?

 私は笑うしかなかった。


「ユエ、これ!」


 さんざん迷って、ニヒが最初の1冊を決める。

 慌ててファルも迷っていた2冊のうち1冊を手に取った。


「じゃあ、ニヒの選んだのからね。次にファルの」


 私は2人の間に陣取り、絵本を置くと少し後ろに下がって2人の身体を寄せた。

 背後から覗き込むような形で読み始める。


「森の国の王女様――」


 その本はタイトル通り、森の国を纏める王女が困っている動物達を助けて回るお話だった。

 ファルが選んだのはシンデレラのような王道なお姫様モノで、どちらのお話もとてものめり込んで聞いてくれた。


 時々ニヒがこれなあに? とか○○ってなあに? と質問を挟むので、彼女の分かる言葉になるようにと思いながら解説する。

 そんな時、ファルが不思議そうな顔をするので、多分言い換えは上手く出来ているのだろう。

 シスター・マーテルはしばらく見守っていたが、途中で来客があった気配がして、その対応に出たようだった。


 幾つかの本を読んで気が付いたのだが、元は日本の童話じゃないかと思われるモノがぽつぽつある。

 かぐや姫然り、かちかち山然り――

 どちらも登場人物はこちら風に作り変えられていても、話の筋がまんまなのだ。


 ちょっと笑ったのが『モモタウロス』というお話。

 モモと言う名の牛の化け物が悪さをして村々から宝物を奪っていくので、栗と蜂と竃がスコーンを持って仲間を募り、退治しに行く話だ。

 もう、何処から突っ込めばいいのか判らない。この話を考えたのは誰なんだろう? 気になる。


 気になると言えばかぐや姫――本のタイトルは『蒼月の姫』だった――に出てくる月が青いと表現されていること。

 何度か月を見上げたが、こちらの月も青くない。初日に洞窟で見た月は何だったのだろう?

 『蒼月の姫』の表紙を見つめていたら、ニヒが不思議そうな顔をした。


「ユエ、それが好き?」

「え? ううん。青い月って不思議だなぁって」


 ニヒとファルは顔を見合わせると、揃ってちょっと困った顔をした。


「ユエ、知らないの? 青い月が出るところにはタマハミが出るんだよ?」

「狂った人狼も出る!」

「タマハミ? 人狼?」


 2人の表情から怖い物だということが窺えた。


「悪い子にしてると、タマハミがやって来て命をすい取っていっちゃうの! いつもはやさしい人のふりをしてるから、みんな気づかないんだって!」


 ちょっと、吸血鬼みたいだな。もしくは某魔法使いの映画の吸魂鬼か。

 タマハミはだろうか……日本語のような響きが少し気になる。


「青い月の夜は狼牙族でも狂ったのが出る。狼は嫌い!」


 ニヒは憎々しげに言った。

 あまりに実感がこもっていたので、もしかしてご両親を手に掛けたのはその狼牙族なのではないかと思った程だ。


「2人は青い月を見たことがあるの?」

「ない」

「……ない。でも、どこかにはある」


 ニヒは確信をもって言っていた。

 ふと、背後に人の気配を感じると同時に、手元の絵本に影が落ちた。

 シスター・マーテルかという思いは銀の髪先が見えて打ち砕かれる。


「面白い話をしていますね。私も混ぜてくれませんか?」


 ニヒとファルも驚いていたが、一番驚いたのは多分私だ。

 本気で床から飛び上がったかもしれない。

 心臓が止まったらどうしてくれる!


「ルーメンさまもご本読んでくれるの?」


 ファルが不思議そうに聞いている。


「先程鐘が鳴りましたからね。ナランハ達も戻って来るでしょう。それまでなら、いいですよ」

「ほんと!? じゃあ、ええっと……」


 ファルは嬉しそうに読んでもらう本を探し始めた。

 ニヒは対照的に私の腕を掴んで黙り込んでしまう。

 子供にコイツの声をまともに聞かせてもいいものだろうか。

 そんなことを思っても、私は振り向けない。


「今日は新しい本が手に入ったので届けに来たのです。これではダメですか?」


 神官サマは1冊の絵本を私達の前に差し出す。

 彼はこれ幸いにと場所を譲ろうとした私の肩を抑えて隣に座り込むと、ファルを膝に抱き上げた。

 に、逃がしてもらえない……

 仕方なく、少し羨ましそうにファルを見ているニヒを同じように膝に抱き上げて、覚悟を決めてお腹に力を入れ、彼の声を聞くことにする。


「心配しなくても、大丈夫ですよ」


 笑いのこもった言葉に少し顔に血が上った。

 くそう。

 子供達は不思議そうな顔でこちらを見たが、すぐに物語の方に夢中になっていった。

 何も知らなければイケボで本を読まれるなんて至福の時間なのに。

 大丈夫と言われても、どうしても身構えてしまう。

 めでたしめでたしでお話が終わる頃、ナランハ達が戻ってきた。


「ただいまー!!」


 ミゲルとリベレが駆け込んできたのに、神官サマを見て急ブレーキをかけた。後から入ってきたナランハも驚いている。


「主教様……何か、急用ですか?」

「いいえ。本を届けにきただけです」


 彼は微笑んでファルを膝から下ろし、立ち上がった。


「シスター・マーテル、2階をお借りしても?」

「え? は、はい。どうぞ。あ。いえ、少し、お待ち下さい」


 シスター・マーテルは何だか呆然としていたようで、慌てて2階へと上がっていく。


「ユエさん、ニヒと上がって下さい。ナランハ、少し子供達を頼みます」


 神官サマはそう言うと先に階段を登っていった。

 私はニヒと顔を合わせ、仕方が無いとその後を追ったのだった。


 昨日も座った椅子にニヒと隣り合わせて座ると、正面に神官サマになる。

 宣誓を思い出して、やだなーと渋い顔をしたら、ニヒに手をぎゅっと握られた。


「ユエ、怒られる? ニヒ、悪い子?」

「違いますよ。ニヒのお話しをちゃんと聞かせてほしいのです。ユエさんとなら、お話し出来たのでしょう?」


 優しく微笑む神官サマを見てほっとしたのか、手の力を抜くとニヒはこっくりと頷いた。


「シスター・マーテルも座って一緒にお聞き下さい。おそらく、こんな機会はもう無いと思われます。ニヒには辛いことを思い出させるかもしれませんが……ユエさん、通訳をお願いいたします」


 シスター・マーテルははっとして表情を引き締めた。

 通訳を、と言われればそれを仕事にしている手前断れない。

 取り敢えず必要なことだということは理解できたので、頷くことにした。


「ニヒ、貴女達家族は何故里から出て逃げていたのでしょう? 教えてくれますか?」


 少し通訳して彼女の答えを待つ。


「……たぶん、あの狼牙族のせい。村近くの森で倒れてた人を助けた事があった。その時はみんなと同じで耳と尻尾の違う種族だった。しばらく仲良くやってたけど、ある日森に行ったまま帰ってこなかった。また倒れてるんじゃないかって村の人達で探しに行った」


 ニヒはそこで視線を落として顔を青ざめさせた。


「夜になっても誰も戻ってこなくて、遠吠えが聞こえてきた。明るくなってから強い人達が行くことになった。みんな心配してた。夜になって帰ってきたのは1人だけだった。人狼を連れてきてた。人狼は強くて不思議な技を使ってるって大人が言ってた」

「不思議な技がどんな技か誰か言ってませんでしたか?」


 ニヒは首を振る。


「わからない。でも、人狼は動く物には何にでも襲いかかったって。父さんと母さんに連れられて村から逃げ出したけど、人狼は追ってきた。母さんは言ってた。もし、父さんと母さんが倒れても、動いちゃダメよって。目を瞑って、ずっと寝たふりをしてるのよって」


 ぽろぽろとニヒの大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。

 私はニヒを抱き上げて向かい合わせに膝に抱えると、そのまま抱きしめた。


「狼はキライ」

「そうね。恐かったね。偉かったね」


 背中をゆっくりと撫でてあげる。

 神官サマの手も伸びてきて、ニヒの頭を撫でた。


「ありがとうございます。ニヒ。少し理由がわかりました。その人狼が正気を取り戻していれば、生きてはいないでしょうが……南の森の奥深くに入られたならば、何が起きていても知りようがありませんから……腕っ節の強い冒険者に狩られていればいいですね」

「ニヒが助けられたのって……」

「1年前の話です」


 シスター・マーテルが潤んだ瞳で答えてくれた。

 1年……他の村とかは襲われなかったんだろうか。

 どこかに潜んでいるということは考えられるのだろうか。


「この周辺ではそういう噂は聞きませんでしたよ。ですから、行くとしたら南の森だと思います」


 相変わらず表情を読まれて、聞いてないのに答えが返って来る。


「それにしても、こちらに来ているとは思いもしませんでした。どういう風の吹き回しですか? ニヒとも随分仲良しのようで羨ましいですね」

「ユエはね、母さんと同じなの! 傷を舐めて治すのよ!」


 それだけ聞くと、もの凄く語弊があるんですけど……

 急に振り向いて捲し立てたニヒにさすがの神官サマも困惑顔だ。


「舐めて、ですか?」

「違います。舐めておけば治るって言ったんです。シスター・マーテルに治していただきましたけど……かすり傷だったので……」


 なんで、こんな言い訳を!

 神官サマは少し黒い笑みを浮かべて、私とニヒを交互に見た。


「そうですか。私もユエさんともう少し仲良くなりたいですね。誤解も多いみたいですし……ニヒのようにユエ、と呼べば仲良くなれるでしょうか」

「それは……」


 思いっきり嫌な顔をしてしまってから、シスター・マーテルとニヒも見ているのだと思い至った。


「駄目ですか……では、頭に私の気持ちをお付けしてお呼びしましょうか」


 あ、なんか嫌な予感がする。


「私の愛しのユ――」

「呼び捨てで! それでいいです!」


 思わず立ち上がってしまって、ニヒがびっくりしている。

 わざとだな! 他人のいるところで言質をとろうだなんて!

 余裕のあるその態度が憎らしい。

 くそう。


「では、ユエ。これで私達もお友達、ですね?」


 手が差し出されるが、正直握りたくない。なんだこの強制お友達宣言。

 でも、この流れで嫌ですとお断りするのもニヒの手前良くない気がする。

 私は渋々、しっぶしぶ、彼の手を取ったのだった。

 こういうところが嫌だって言うんだよ!

 そのままそそくさと孤児院を後にしようとして、教会入り口まで神官サマと一緒なことに気が付いた。

 勘弁してほしい。


「私のことも名前で呼んでいただいて宜しいですよ?」

「名前、知りませんから」


 孤児院を出てしまえば取り繕うこともない。

 不機嫌に言い捨てれば、くすくすと楽しそうな笑い声が聞こえた。


「そうでしたね。テルですよ。テル・ルーメン」


 ん? ルーメンが名前じゃないのか。

 テルって、またちょっと和風な……いや、外国語でもある名前だ。

 だいたい、見た目からして絶対日本人の血入ってない。


「望遠鏡は覗きに来ませんか?」

「夜は絶対無理です。今日だって来るつもりは……」

「でしょうね。私からは黙ってますよ?」


 思わず彼を見上げた。


「ニヒの事が分かって良かったです。私の考察も遠い物ではなかったと証明されましたし。今日は神のお導きだと信じられますね。ユエとお友達にもなれましたし」

「あれはノーカウントです。大人の事情です」


 彼の発言に微妙な違和感を抱いていたけれど、最後の裏のある微笑みでそちらを早急に否定しなければとの思いが勝った。


「大人ならば、一度口にしたことは否定しませんよね?」


 ふふ、と人差し指を口元に当て、彼は小首を傾げる。


「――友達居ないんですか」


 半分呆れて言うと、彼は真面目な顔でこう返した。


「そうなんです。分かりますか? ユエが初めての友達ですね」


 と。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る