20.私と彼のセカイ
いつもと酒場の空気が違う。
カエルが居るせいなのだが、後半明らかに女性客が増えていた。
みんな、何処から聞きつけてくるのかな?!
いつもの常連さん達が居心地悪そうにしている。
私が悪いとは思いたくないのだが、責任の一端は感じているので、常連さんには食後のお茶をサービスで出していた。
「あれ、ユエちゃんのだよね? 随分雰囲気が違わない?」
嬉しそうにお茶を受け取って、常連さんが目線でカエルを指した。
別に、私のではない。
「仕事になると人が変わるんです。ある意味詐欺ですよね〜」
「僕はナイフ投げてる彼の方が好きだけどねー。綺麗なお姉さん方が頬を染めるの見てるのも辛いだろ?」
気を使ってくれたらしいが、特に辛いとは思わない。よくやるなーってくらいだ。
ってか、あれの原動力が私への怒りなんじゃないかってことの方が怖い。
私は曖昧に笑って誤魔化した。
もう大分落ち着いて席にも空きがちらほら出てきている。
「ユエー。これ、壁側の女性2人に」
クロウがパンとサラダとスープが乗った木製のトレーを2つ差し出す。
「スープ熱いから気をつけろよ」
余裕が出てきたからなのか、フラグが立つような発言をする。やめて。
ちょっと気を引き締めて両手にトレーを持って席に向かった。
「お待たせいたしました」
日本で言えば高校生くらいの女の子達は私の声に顔を上げると、あからさまにがっかりした顔をした。
うーん。ごめんね?
カエルを呼んであげようかと、ちょっと迷っていたら、誰かの手がするりと腰に回された。
久々に昼間っから誰だ! と肩越しに振り返ろうとしたら、良く知っている声が耳元で聞こえて、身体ごと1歩後退させられる。
「お待たせいたしました。ご注文はこちらで間違いございませんね?」
私からトレーを1つ取り上げてカエルが1歩分空いたスペースへ身を滑り込ませる。
トレーを置かれた方の子はカエルに釘付けだったし、もうひとりの子はカエルの手が回された私の腰に釘付けだった。
2人とも顔が赤い。
もう1つのトレーもカエルに任せてカウンターに戻ると、クロウもちょっと赤い顔をしていた。
「どうしたの? 顔赤いよ? おねーさん達になんかされた?」
「いや……ちげぇ……」
すっと視線を逸らされて、釣られてホールを振り返ると、お嬢様方の刺すような視線が私に集まっていた。
何事?!
「な、なんか見られてる?」
ぼそぼそと周りに聞こえないように言うと、クロウも小声で答えてくれた。
「……さっきのだろ…」
半分呆れて、半分照れくさそうに。
さっきの。
私がカエルに退かされたやつ?
確かに、腰に手を回すなんてカエルがやりそうにないし、されたこともないけど、両手に熱い物が乗ったトレーを持ってたし……
「そんな変だった?」
「変、ではねぇよ? 兄ちゃんの言いたいことは充分に伝わったし、伝わりすぎてちょっと……」
「ちょっと?」
ちらりとカエルの方を見て、クロウは溜息を吐いた。
「ちょっと、逆効果かなぁ、と」
よく分からない。
「ユエも、いつもあんなことされてるわけじゃねーよな?」
「ないよ。人混みで手を繋ぐのもやっとの人だよ?」
「……動じないユエも悪いと思う……」
何で?!
「……新婚夫婦くらい仲良しに見えたんだよ」
子供らしいマイルドな表現で言って、クロウはまた顔を赤くした。
リア充爆発しろ! ってこと?
何でまた急に……
私の困惑顔を見て、クロウは付け加える。
「さっき、兄ちゃんめんどくせぇって呟いてた」
「……納得」
虫除けか。
利用していいって言ったのは私だし、理由が分かれば別にいいや。
あれ? いいのか? 敵、増えてない?
い、いやいや。大丈夫だ。私は何も言ってない。絡まれたら勘違いですって言えばいいよね? 大丈夫だよね?
「クロウ……私、彼女達に近付かない方がいいかな?」
「ユエにしては賢明だな」
「……お皿洗ってくるね」
私はクロウに突っ込む気力もなく、そのまま厨房に引っ込んだ。
無心になって洗い物を終わらせ、一息つくとサーヤさんが賄いを作ってくれた。
今日のお昼はシェルパスタの入ったスープとサラダだ。
「今日は女の人が多かったわね。カエル君大モテね」
「デザート用意すれば、カエルが居なくてもこのまま女性客も取れると思うんですけどね」
「魅力的だけど……そうなると夜の準備も慌ただしくなっちゃうし……」
確かに、無理をする必要も無いか。
「そろそろカエル君にも休憩してお昼食べてもらわなきゃね」
「じゃあ、これ食べたら呼んできます。今日はカウンターだと面倒そうですし」
「それがいいわね」
サーヤさんはクスクスと笑った。
カエルと交代すると波が引くように女性客は帰っていった。
とても分かり易い。
やっといつもの雰囲気に戻って一安心だ。
私は常連さん達とたわいもない話しを少ししてから、受付の業務に戻ったのだった。
◇ ◆ ◇
5刻の鐘が鳴った。
結局帰りもせずにカエルは酒場に居たようだ。
少し待っても上がってくる気配がないので、そっと階段を下りてみる。
カエルはカウンターの横で近くに座ったお客さんと何か話しているようだった。
これから客が多くなる。帰るなら今のうちなのだが……
「カエル」
近くまで寄って声を掛けるまでカエルは反応しなかった。
私の顔を見て、はっとする。
「もしかして、5刻過ぎたか?」
私が頷くと、一瞬だけ名残惜しそうな顔をした。
「夜も手伝ってく?」
「……いや、ユエをひとりでは帰せない」
「待ってるよ」
「ここでか?」
途端に嫌そうな顔になる。
居酒屋のバイトだってしたことあるんだけどなー。
「厨房を手伝うよ。それならいいでしょ?」
カエルは逡巡して、ゆっくりと頷いた。
「あれ? なんだ、嬢ちゃんも兄ちゃんもまだいたのか?」
受付を閉じて下りてきたルベルゴさんが目を瞠って驚いている。
「なんか、カエルがまだ手伝いたいって言うんで、閉めるまでお願いします。私は厨房に入らせてもらいますから、通訳必要だったら呼んで下さい」
「お、おう。そうか。分かった」
ルベルゴさんはカエルを繁々と眺めて、ふっと表情を緩め、それからカウンターに入っていった。
私はサーヤさんに銀貨2枚を差し出して、カエルと2人分の夕食を見繕ってもらった。
お酒付きで、カエルには後で出してもらう。
部屋1つ隔てて聞く夜の喧騒は、何だか私を懐かしい気分にさせて、日本のビールとは違うハーブの香りのするエールさえも、昔から知っている飲物のように錯覚させた。
ホールには2度ほど呼ばれた。
宿を取っている普通のお客さんだったので、何のトラブルもなく対応は終わる。
背中にカエルの心配そうな視線を痛いほど感じたが、ほろ酔いだったので可笑しさの方が強かった。
そんな風に数時間はあっという間に過ぎていったのだ。
6刻の鐘と共にそれぞれが帰途につく。
私はルベルゴさん達に丁寧にお礼を言って、常連さん達に労いという名のエールをいいだけ飲まされて酔っているだろうカエルを促して外に出た。
まだ夜は冷えるけれど、酔いを覚ますには丁度いいかもしれない。
空は晴れていて、満天の星空と真円に少し足りない月が私達を見下ろしていた。
私は空を見ながらゆっくりと歩き出す。
「ユエ、前を見て歩け」
思ったよりしっかりとした声のカエルが後から着いてくる。
「ゆっくり歩くから大丈夫。星も月も綺麗だよー?」
「……酔ってるのか?」
「少し? カエルも酔ってるでしょ? 怒られるときは一緒ねー?」
ちょっと間があった。
「俺は怒る方だと思うんだが?」
あ、やば。また忘れてた。
気が焦ったからか、何もないのに躓いた。前のめりに身体が傾く。
「……だから、前を見ろって」
昼間のように、カエルが腰に手を回して支えてくれる。
初めはコケても手も貸してくれなかったのになぁと、不意に思い出した。
ふふっと笑いが漏れる。
「ユエ?」
「昼間、お姉さん方に睨まれたよ?」
ぱっと手が離された。
「……あれは……悪かった。ちょっと、変な感覚になってて……後で坊主に注意された」
クロウに?
「楽しそうだったもんね」
「ああ、初めはただ身体を動かしていたかっただけだったんだが、人を避ける訓練にもなるとは思わなかった。複数相手になると中々手強くて――」
そんなことしてたのか。
続きがなかなか発せられないので、私はカエルを振り返る。
月明かりの中、静かな瞳が私を見下ろしていた。
「ユエが親父さん達や常連の客を信用して、大丈夫だって言ってるのが良く分かった。ユエが、俺が思っている以上にちゃんと大人だって事も……」
失礼だなっと思ったのも一瞬で、すぐにカエルに絡めとられた手に意識が飛んだ。
暗闇の中、ちらちらとほの青い光がカエルの袖口から漏れ出ている。
カエルは黙ってその光に視線を注いでいた。
ほんの数秒でそれは消えて、何の余韻も残さない。
今のは、初日に見たカエルの手首の、だよね?
多分、この暗さでなければ気付かなかっただろう。
あの刺青のような紋が光るのを隠すためにいつも長袖を着ているのだろうか。
「……気分悪くないか?」
「そんなに飲んでないよ?」
くすりとカエルが笑った。
「ユエ。前にユエは俺がユエを助けたと言ったけど、それで俺はユエに新しい世界を貰ったんだ」
「新しい世界?」
瞳を閉じて、ゆっくりと頷く。
「ビヒトと思いっきり組み手を出来る世界。街に下りて村人達と飲み交わせる世界。絡んできた冒険者を叩きのめせる世界」
もう一度開いた瞳は真っ直ぐ私を射抜いていた。
「月夜に誰かと手を繋いで帰れる世界」
どれも特別な事ではない。あ、冒険者を叩きのめしちゃうのは普通じゃないかも。
「普通だと思うだろう? 俺は、それが出来なかった。ユエといると俺の世界が広がる。いとも簡単に」
カエルは絡めた指を
「そんな世界をくれるユエを手放したくないと思うのは、俺達の身勝手な欲望だ。だから、せめて、ユエが出て行くまででいい。今まで護られるばかりだった俺にも、誰かを護れるのかもしれないと思わせておいてくれないか? 傍に居て心配するくらい、させてくれないか? もう少しユエと同じ景色を見させてくれないか? 今日みたいに」
「カエル……」
カエルの親指が、私の手の甲をするりと撫でた。
「手、どうした」
「……ちょっと、怪我して……シスターに治してもらった……」
「……そうか」
カエルが小さく吐き出した息は安堵の息だったのか、溜息だったのか。
その時の私には判断が付かなかった。
カエルが屋敷の外の世界をそんな風に感じていたことも分からなかった。
話では聞いていた癖に、元気なカエルしか知らないから気付けなかった。
「ごめんね」
「もう、いい」
私はぎゅっとカエルの手を握り、決心する。
「いろんな事をしよう!」
少し、カエルの瞳に警戒の色が灯った。
「私、やりたいこといっぱいあるし! 全部カエルも一緒にやればいいよっ」
「……いや、普通でいい。余計なことはするな」
冷たい笑顔で出鼻を挫かれた。
あ、あれ?
「突っ走るお前を止められる気はしないからな」
カエルは苦笑して私の手を引いた。
「捕まえててやるから、空を見ながら歩いてもいいぞ」
何だかちょっと釈然としなかったが、こんな綺麗な空を見ないという選択肢は無い。
この
酔っ払った頭でつらつらと、妄想も交えて想像する。なるべく楽しい方へ。
帰り着いたらテリエル嬢に叱られるだろう。
カエルは一緒に叱られてくれるだろうか。繋いだ手を離さなければいいだろうか。
視線は空に向けたまま、私はちょっとだけ繋いだ手に力を込めた。
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