19.癒しのチカラ
「ユエ、今の……」
クロウが何か言い淀む。
どれのことか分からなくて首を傾げていると、シスターがこちらにやってきた。
クロウはそのまま黙り込む。
「ニヒ、ちゃんと謝れて偉かったわね。大丈夫よ。ユエさんは私がちゃんと治してあげるから」
優しくニヒの頭を撫でてから、シスターは私の手を取る。
もう片方の手を傷の上にそっと被せると、じわりと傷が熱くなった。
ちりちりするような、ぞわぞわするような不思議な感覚がしばらく続き、やがて何も感じなくなる。
シスターがそっと手を離すと2本の傷は跡形もなく、いつもの私の手があるだけだった。
「私が教会に居られる理由です。これしか、できないのですけど」
少し寂しそうにシスターが言う。
いわゆる癒しの術とか魔法とか言うものだろうか? それともこれも何かの加護の力?
私はしげしげと自分の手の甲を眺めた。
何度見ても、どれだけ見ても分からない。
「すごい……ですね」
ちょっと間抜けな声でお礼を伝えると、シスターに2階に誘われた。
「少し、お話をいいですか?」
後をナランハやクロウ達にまかせて、2階で椅子を勧められる。
シスターはお茶を入れてくれてから、向かい側に座った。
「もしかして、あなたが先日宣誓を受けに来られた方なのですか?」
シスターの瞳には何の感情の色も見えなかったが、それが私を少し不安にさせた。
「いいえ。ごめんなさい。答えなくてもいいのです。ただ、先程ニヒと言葉を通じ合わせていたようだったので……加護をお持ちなのかな、と」
私には全部日本語で聞こえるのでよく分からなかったけど、いくつかはいわゆる標準語ではなかったようだ。
ニヒは
らしい、というのは彼女が保護された時には両親はすでに事切れており、彼女自身も片言だったため、詳しい事情がよくわかっていないということだった。
普通獣人系の人々は人里離れた山の中や荒れ地に居を構え、氏族ごとにひっそりと暮らしているのだそうだ。
差別されるので交流が無いのか、交流が少ないから差別されるのか――
獣人達は一部の変わり者を除き、ほとんど人々とは係わらないという。
「それでもこの地は特別な環境だからか、差別も少なく、この村にも数人獣人の方が普通に暮らしています。身体能力が高い者が多いため、ほとんどが冒険者家業のようですが」
ニヒはまず言葉の壁があって、なかなかみんなに馴染めないでいるようだ。
通じないことに癇癪を起こし、攻撃的になる。
他の獣人達では言語体系が違っていたり、村に滞在している日数が少なかったりで、なかなか片言以上に進まないのだと。
「こんなことを頼むのは筋違いかもしれませんが、来られる時はニヒと少しでも話してやって下さい。片言は話せるようになったのです。きちんと意味を通じさせられれば、すぐに覚えてくれると思うのです」
「お話しするくらいは……教えられるかどうかは、分かりませんけど」
意識的に言葉を変えているわけではないので、そういうことが出来るのか分からない。
「それで、よろしいです。あなたがあの娘を見ても、少しも動じなくて嬉しかったです。どうぞよろしくお願いします」
彼女は深々と頭を下げた。こちらではあまり見かけない仕種だ。
それだけニヒ達を大切に育てているのだろう。
でもごめんね! もの凄く動じてたよ! 逆の意味でだけど!
私が内心冷や汗をかいていると、シスターはそういえば、と言葉を続けた。
「ルーメン主教から、教団へのお誘いは無かったのですか?」
「誰から、ですか?」
私は神官はヤツしか知らないし、他にも誰かいるのだろうか。
シスターはきょとんと目を瞬かせる。
「この村に神官はひとりしかいませんよ。宣誓を受けたのでしょう? 『繋ぐ者』の加護は教団側で何人でも欲しい人材のはずです」
腹黒神官はルーメンという名前だったのか。名前を聞かなくても全く困らなかったので知らなかったよ。
私は乾いた笑いを漏らしながら、何と答えたものか迷う。
「……お世話になっている所が、ありますので。教団に帰依する気は今のところないんです」
「そう、ですか。無理にとは言えませんものね。お困りのことがあれば、ルーメン主教から援助もしてもらえると思いますよ。彼はとても慈悲深い方なのです。本来私も教会の業務をお手伝いすべきなのですが、こちらに専念してくれて構わないとおっしゃって……すべてをほぼおひとりでこなしているのです。本来ならば、もっと位の高い、我々の手の届かぬ高みにおられるはずの方なのに……神の愛し子と呼ばれるにふさわしい方です」
本心から言ってるのだろうが、私の腕には鳥肌が立っていた。
慈悲深い!
確かに命は助けられたけれども、あれを慈悲深いとは言わないと思う。
シスターは彼の本性を知らないのだろうか。知らないんだろうな。何か恩を感じているようでもあるし。
知らない方がいいことって、世の中あるよねー。
私はあいまいに頷いて、また来ることだけを約束して帰途についたのだった。
◇ ◆ ◇
帰り道、疲れた様子のクロウが袖を引いた。
「ユエ、あれ何語だ?」
何語、と言われても困る。私にはだいたいどれも日本語だ。
「さあ……ニヒの言葉だよ」
「ちゃんと全部わかったのか?」
「わかったよ」
信じられない、という顔をして彼は袖から手を離した。
「……ユエのくせに」
ぼそりと呟いた言葉に今度こそ一発殴ろうかと拳を固めたが、その顔があんまり真面目だったので殴るのは諦めた。
クロウにはクロウの思う所があるらしい。
だいたい、宿で何度か外国語を話す客とやり取りするのを見ているはずだ。今回何が違うというのか。
「何か、変だった?」
クロウは少しのあいだ躊躇って、とても小さな声で答えた。
「唸り声、みたいだった」
おう。そうか。そういうことか。
「すぐにニヒも普通に喋れるようになるよ」
私はできるだけ何でもない事のように軽く言ってのける。
もしかすると、言語とは言わないのかもしれない。もっと原始的な、何か。
シスターに聞かれたのは良かったのか、悪かったのか。
そっと治してもらった手の甲を見る。
「……う、わ。ユエ、俺、先に戻る!」
突然、クロウが駆けだした。
自分の手に意識をとられていた私は、一瞬気付くのが遅れてしまったけれど、数メートル先に仁王立ちしている人物が目に入った。
あ、あれ? クロウ、逃げた?
もう宿は目の前だが、心なしか足が進まない。
「何を自分の手に見惚れてるんだ?」
恐い笑顔でカエルが尋ねる。
「マ、マダオヒルジャナイヨー」
すっかり忘れていた。目線を合わせられない。
思わず一歩引いてしまって、見つめていた右手を取られる。
「何処に行くつもりだ」
まじまじと手の甲を見られたが、そこには何もない。カエルは訝しげに眉を寄せる。
「ど、どどど何処にも行かないよ? ヤダナー」
ぺいっと腕を離されて、深い深い溜息が続く。
「怒られるとわかっていることを、なんでするんだ」
「夜はともかく、朝と昼はもう大丈夫だよ。知り合いも増えたし。ほら、今日も大丈夫だったでしょう? 問題なし!」
猫耳っ娘に抱き着いて引っ掻かれたことは言えない。
「孤児院もシスターに任されてるらしいから、そんなに心配ないよ。子供達可愛かったし」
カエルは目を瞑ってがりがりと頭を掻くと、自分の中で何かを飲み込んだ。
「……わかった。用意できるまで、ちょっと待て。それからなら、好きにすればいい」
「何の用意?」
話が見えなくて、首を傾げる。
カエルは説明する気は無いらしく、さっさと宿の中へ入って行った。
仕方なく後を追う。
「……カエル、用事なかったの?」
「お前が言うな」
振り返りもしない。うーん。かなり怒ってるな。
「カエル」
「…………」
「ごめんなさい」
わ、私もちゃんと謝れる子だもんね。
カエルはちらりとだけ振り返った。すぐにまた前を向いてしまったが。
酒場に下りていくカエルを見送って、私はルベルゴさんの隣へ入る。
ちょっと、溜息が出た。
「怒られるって、わかってたんだろう?」
ルベルゴさんはにやにやと笑っている。
「……わかってたけど、思ったより凹んでます。相変わらず信用無いなーって」
「そうか。大人しく守られてりゃいいんじゃねーか? 嬢ちゃんの価値はこのあいだ教えてやったろう?」
「普通の人に分からない価値って微妙じゃないですか? なるべく高く売りたいから、傷物にならないように大事にするよって言われた方が納得できるんですけど」
「……兄ちゃんたちはそんなんじゃねぇな」
「ですよね。もうかなり恩を受けてしまってるので、これ以上はって思うんですけど……」
宿を引き払う客が続いたので、話はそこで一旦切れた。
部屋の清掃やベッドメイクなど一通り終わらせて、一息つく頃にはもうお昼が近かった。
酒場に下りようとした私に、ルベルゴさんは言う。
「いっそ、買ってもらえば納得いくんじゃねぇか」
一瞬何のことかわからなかった。
「兄ちゃんに買う気があるか聞いてみればいい。身体の話じゃねーぞ。買うにしろ買わないにしろ、何かわかるだろううよ。奥様に聞くんじゃねーぞ。あの人の答えは分かってるからな」
「いらないって言われたら、傷つくじゃないですか!」
「嬢ちゃんは、傷つくんだな?」
ん? あれ? 傷つくよね? 普通。
「ク、クロウにごめんだって言われたのも傷ついてますよ」
「同じか?」
ルベルゴさんは何を言いたいんだろう? 同じに決まってる。
「同じ程度なら聞けるだろうよ」
ちょっと、何を言ってるんだか分からないデス。
ってか、要らないって言う方が濃厚じゃないですか。もし、買うって言われたら――
あれ。ちょっと待って。嫁にしてくれとかもう言ってるし(断られてるけど)金銭で主従が決まると思えば気持ち的には楽?
他の人に買われてもいいやって思ってるなら、カエルに買われるのも一緒?
あれ? なんか、いやいや。え?
ちょっと、頭がショートしそうになった。
難しいことは考えちゃいけない気がする。ので。
私はそこで考えるのをやめた。
やめて階段を下りると、ぽつぽつとお客が入り始めている酒場で普通にウェイターをしているカエルが目に飛び込んできて、考えてたことも、考えをやめたことも吹き飛んだ。
「カ、カエル何やってるの?!」
「何、とはなんでしょう?」
にっこりと笑うカエルは執事モードだ。
「ユエ」
私はクロウに厨房の方へ引きずられていく。
「ななな、なんでカエルが給仕やってるの?」
「兄ちゃんすげえな。どこの高級店だよって感じになってる。やっと少し砕けてきたとこだ」
そんなこと聞いてないよ!
「クロウが頼んだの?!」
「まさか。じっとしてたくないって自分で言い出したんだよ。ユエ、怒らせすぎじゃね? いつもと違い過ぎて俺、逆にこぇーんだけど」
「執事モードのカエルはいつもあんな感じだけど……」
厨房の入り口からそっと覗いてみる。
あ、手袋も外してる。だ、大丈夫なのかな? お客さんたち、結構平気で腕引いたり叩いたりするんだよね。
少し気を付けて見ていたら、カエルはそういうのを上手く躱しているようだった。
「これから混むし、うちは助かるけど、ユエは後でちゃんと兄ちゃんに謝っといたほうがいいぞ」
「もう一応謝ったよ?」
「一応じゃなくて、ちゃんと謝れ」
「何であんなに怒ってるのか、わかんないんだよ!」
びしっと、額に手刀が飛んできた。
「そういうとこが怒られてんだ。とにかく、謝っとけよ」
クロウは私を置き去りにしてホールに出ていく。
額を押さえて呆然としている私に、サーヤさんは大変ね、と笑った。
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