内に眠るエイエン

ゆんちゃん

内に眠るエイエン

 ふと、“エイエン”とはなんだろうと思った。

 こういった無駄に漠然としていて答えが曖昧な問いは、しかし忘れるための労力が果てしなく大きい。

 夜も更け、草木も眠るが虫は眠らぬ丑三つ時に考えてしまったことを私は恨んだ。外からはリンリンと鳴き声だけが聞こえる。

 仕方がないので、私はエイエンについて考えようとしたわけである。

 「ながとおい」と書いて永遠えいえん。しかしそう書くとどうにも有限のものに見える。永く遠いとはいっても、いつかはたどり着く距離だと思えてしまえたのだ。永遠が持つ意味とは、限りないということだと思う。だから私には、エイエンがどうしてもわからない。

 学のない私の頭ではこれしきの事くらいしか考えつかなかった。無い知恵を絞って考えたけれども、答えは出ずに目だけがさえていく。

 仕方がないので、無理やりにでも眠ることにした。


 次の日、私は世話になっている先生を訪ねた。聡慧そうけいな先生ならば、この問いに対する答えを持ちうるだろうと思って。

「先生、エイエンとは何でしょう」

「あなたは永遠をどう考えますか」

 質問に質問で返すのは反則だと思った。

「限りがない、つまり無限だと考えます」

「それは本質ではありません。永遠とは、不変であるということです。不変であるとは、つまり流動性がないということ」

 私はよくわからなかった。不変と無限では大きく意味合いが異なる。先生の思考と私の思考とでは大きくかけ離れているということだろうか。

「これは単なる例えです。ここに水があったとします。水は絶えず動きます。私がこの水を水道に流したとする。すると水道から川へ、川から海へ、そして海で蒸発して雲になった水が雨として元の場所に戻ってくる。水とは流動そのものです。ですが氷は違う。氷とは水から流動性を排したものです。氷は不変だ。永い時間が経とうとも、温度が融点を上回ることがなければそのままです」

「つまり、時間が無限に経っても不変のものこそが永遠だというのですか」

 先生は頷いた。

「なるほど、永遠とは身近なところにあるのですね」

私は嬉しくなり、先生の研究室を飛び出た。漠然とした問いに答えを得たからだ。


 家に着くと、例のごとく父の怒鳴り声と母の金切り声が鼓膜を襲った。父はまだ昼間だというのに酒の瓶を片手に、母と口論をしている。

 父が免許証を剥奪されたのは六年前で、その時も飲酒によるものだった。それからは元の勤め先に無免許で通っていたが、また飲酒運転で問題を起こした。人を轢いてしまったのだ。父はそれきり家を出なくなった。母は私たち家族をなんとか支えていこうと仕事を増やしたが、ついには折れてしまったらしい。私は父に対して、そんなに酒が好きなら母親と離婚して酒と結婚すればいいのに、と心の中で毒づいた。母は熱心なクリスチャンだった。どんなにつらくても──例えば父に殴られて目の上が腫れ上がったり、腕の骨が変形してしまい病院に行き高額な医療費に顔をしかめたりしても──自殺だけはしなかった。キリストの教えでは、自殺はいけないことだから。

 彼らの言い争いに巻き込まれるのは面倒なので、私を呼ぶ声を無視して階段を上がった。自室は不変に満ちていた。目がさえて寝足りなかった分を補うことにした。


 ふと、宗教とは何だろうと思った。

 父からの暴行罵倒で憔悴している母をなんとかこの世に引き留めている宗教とはどんな効力を持つのか、気になったのだ。

 じつのところ私も父から暴行を受けることはあるのだが、自殺をしたいとは思っていない。ただ面倒なだけだから。

 漠然としすぎた問いに、私の目はさえていった。


 次の日、またしても私は先生を訪ねた。

「先生、宗教とは何でしょう」

「難しい質問をしますね。あなたは宗教とはなんだと思いますか」

 またしても質問で返された。

「わかりません。不可思議な効力を持つものでしょうか」

「じつのところ、私にもわからないのです。宗教とは人によって感じ方が違うから。ですが一般論を述べると、宗教とは信じることで幸せを感じるものなのではないでしょうか」

 私はよくわからなかった。この時の私の顔は相当ヘンだったに違いない。先生は表情を読み取ったのか、例をあげた。

「例えば、これは極端な例ですが、とある宗教に『台風が来たときは耳をふさぐ』という戒律があったとしましょう。この宗教を信じない人は信仰をもつ者に『それは無駄なことだ』と言うのです。しかし信仰をもつものはこれを実践することによって『私は神のおかげで難を逃れた』と喜ぶのです。ここに幸せが生じます。信仰者とはすなわち人生における幸福を増やす者のことです」

「しかし先生。たとえば自殺を罪とするクリスチャンがどうしようもないほどつらかった時、自殺という選択肢を視野に入れないことでより苦しさが増すのではないでしょうか」

 母はクリスチャンであるが故に自殺を嫌うが、生きていても父から暴行を受け続けてより苦しくなるだけなのでは、と思った。

「それは自殺をしないという決まりを守ることで、神からまだ見捨てられていないという幸せを得ているからなのです。そもそもキリスト教が自殺を罪としているのは、命とは神のものであり自分のものではないという考えがあるからです。自殺をしないことで、神から授かった命を放棄していないという悦びが生まれるのです。言いつけを守る子供のようです。

 仏教では魂は死んでも次の肉体へ移行するという考えを持つので、自殺は罪とはなりません。輪廻転生説というのですが、つまるところ魂が流動性かそうでないかの違いですね」

 私は納得した。先生のおかげで母が自殺しない理由が分かった。家へ帰ろうとしたが、今のいい気分を両親の喧嘩で穢したくなかった。るんるん気分で街を歩く。両親が言い争っているうちに私は新たに高級な知識をつけた。先生のおかげだ。この悦びを知らないなんて両親は損しているとさえ思った。


 外が暗くなったので、家に戻ることにした。

 玄関を開けると、珍しく家はシンと静まり返っていた。廊下を渡りリビングへ行くと、壁と床には赤黒い液体がべっとり。父だった肉塊はテーブルに突っ伏したままで、目は見開かれ、肩から背中にかけて傷口から血が噴き出した跡があった。母だった肉塊の首は途中から裂けていて、朱の肉と白い骨がこちらを除いていた。手には血の付いた包丁を持ったまま。


 私はここにエイエンを見つけた。母の魂という名のそれは、次の肉体に移ることはなく不変を保つ。

 私は、自分のうちに眠る永遠を呼び起こしたくなった。


 実をいうと私もまたクリスチャンだったのだ。

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内に眠るエイエン ゆんちゃん @weakmathchart

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