第150話 彼が本当に望んだもの
「……全く……貴方もどうして素直ではありませんね。バルムンク」
魔血の壁にゆったりと腰掛けて、ユーリルは眼下で戦いを繰り広げている俺たちのことを眺めている。
バルムンクが剣を振り翳しながら俺との距離を詰め、俺はそれを魔法を駆使して避けながら反撃の機会を伺う。繰り返されるその構図を何処か退屈そうな眼差しで見つめながら、誰にともなく呟く。
「これで最後だと貴方は仰ったではありませんか。ならば何故、ハルさんに伝えないのですか? 貴方の考えていることを。ハルさんは人間なのですから、言葉にしなければ伝わりませんよ? 貴方が本当に言いたいと思っていることは」
自らの顔にそっと手をやり、被っていた鬼の仮面を外す。
それを掌中で赤の結晶へと変えながら、目を細めて、苦笑した。
「素顔も素性も晒したのです。今更そこに本音が付け加えられたところで、何も変わりはしませんよ。……それとも、伝えぬことが美学であると、貴方は本気でお考えで? そのようなものは単なる子供の意地ですよ。実にくだらない。でも、まあ……理解できないわけでもありません。粗末な割にも、貴方にもプライドというものがおありなのでしょうから」
バルムンクが振り下ろした大剣が地面を深く抉る。その衝撃で奴の全身からは血が噴き出して、辺りを赤く化粧した。
「どうせ、貴方はもう長くは生きられない身です。そうして武器を握り立っているのもやっとの状態なのでしょう? 骨も、はらわたも、心すら、粉にして。……実に道具らしい『最期』ですね。ええ、実に魔道騎士バルムンクらしい。哀れで滑稽な、あの御方の玩具。散々使い潰されてきたのですから……せめて自分の死に方くらいは、貴方の望むままになさい。ハルさんに……自分を殺せと、懇願なさい」
掌に残った仮面の欠片を捨てながら、彼は微笑む。
優しく、穏やかに……何処までも、冷たく。
「運命というものは……実に残酷なものですね。何処までも我々に対して、優しくない。だからこそ……微笑んだ時が美しいと、思えるのですがね」
「クク、ククク、今のを、今のを、避けるか。小賢しい。だがそれでこそ、勇者……勇者、よ。我も、負けてはおれぬ。次、次こそ、お前を、殺す」
たどたどしい言葉でバルムンクが言う。
奴は全身血まみれで、既に直立姿勢を保てないほどに消耗している。相変わらず右腕一本で大剣を構えているのは立派だが、その先端も大きくぶれている。
奴は、ジャスティスブレイカーの能力で身体能力を引き上げるほどに理性を失い、自らの力で自分自身の体すら壊すようになると言っていた。そのダメージが蓄積し、顕著化しているのだ。
つまり、奴は己を強化しすぎたせいで逆に自滅してしまったのだ。俺から何も仕掛けなくても、ただ奴からの攻撃を避けているだけで、奴は自ら肉体を破壊していくのである。
もう、奴の全身はぼろぼろだろう。両腕の骨は大剣を振るった衝撃でとっくに砕け、時々足技を繰り出して何もない地面を抉ったりしていたから足の骨も折れているはずだ。体中から血を流し、この分だとおそらく肋骨も何本か死んでるはず。下手をすれば内臓もやられている。呼吸の音が変だから……多分確実に肺はやられている。
それ以上に、能力による精神汚染が酷い。あれはもう正気ではない。まともに言葉が喋れていないし、視線も虚ろで、顔は異様な笑みの形に固定されたまま。俺の行動を判断してそれに対処できるということは、完全に狂っているわけではないのだろうが、きっと俺からの呼びかけはもう奴には届かないだろう。
しかしそれでも、奴は動くことをやめない。俺を殺す、その一心で必死に俺に食らいついてくる。
決着を着けるためには──奴の動きを完全に止めるには、とどめを刺すしか、ない。
「クハハハハ、殺す、殺す、殺してやる! 死ね、ハハハハ、死ね、死ね、死ね、勇者ァァァァ!」
バルムンクが駆ける。
しかし、遅い。能力を発動させる前の素の速度の半分もない。
まるで、狙撃してくれと言わんばかりだ。
今の奴には、俺の魔法をかわすほどの動きはできないだろう。俺が此処で束縛魔法のひとつでも放てば、おそらく容易く捕らえることができる。
だが、幾ら肉体が半壊しているとはいえ、強化された腕力はそのままなのだ。同じ束縛魔法で捕らえても、先程と同じように力技で抜け出されてしまう恐れがある。
ならば。
「サンダーボルト!」
俺はバルムンクの足を狙って雷魔法を放った。
幾ら身体能力を強化してるとはいえ、神経まで強化することはできないはずだ。生き物である以上は、神経が麻痺したら行動不能は免れない!
奴の足に直撃した雷撃がばちっと弾け、紫色の光が散る。
バルムンクは自分の思う通りに動かなくなった足にちらりと視線を落とし、そのまま何もなかったかのように再度俺の方を見て──
足を縺れさせたまま、俺との距離を一気に詰めた!
嘘だろ、最上位の雷魔法じゃないとはいえ、それなりの威力はある。まともに食らったら、今の奴の体はそのショックに耐えることなんて……
だが、現実として奴は魔法に耐えた。足の神経を雷に食らわれながら、それでも、俺を殺したい、その一心のみで駆け抜けたのだ。
そして。
「貰ったァァァァ!」
奴は叫びながら大剣を振り上げる。
俺はそれを避けようと右に大きく踏み出して、
ずるり、と足を取られて大きく体勢を崩す。
そこかしこに飛び散った、バルムンクの血。水溜まりになったそれを踏んで、俺は足を滑らせたのだ。
俺はその場に尻餅をついた。その頭上に、振り下ろされた大剣の刃が迫る!
しまった!
迫り来る恐怖で思わず硬直してしまった俺の顔のすぐ横を、黒い刃が風切り音を立てながら通り過ぎていく。
がづん、と音を立てて大剣の刃が地面に深く食い込む。
バルムンクは大剣を振り下ろした体勢のまま、笑みを浮かべた顔で、俺の目をじっと見ていた。
……もはやまともにものを見ることも困難になってきて、狙いが外れた?
いや、今の奴はまっすぐに俺の目を見ている。もしも視力が曖昧になってきているのなら、焦点がずれるはず。だからものが見えていないとか、そういうことはない。
腕が震えて、手元が狂った?
それも……ありえない。さっきの奴の腕は、しっかりと大剣を握って支えていた。折れている腕でやっていることとは思えないくらいに、正確に狙ったところに刃を振り下ろしていた。だから手元が狂ったとも思えない。
今の一撃は、わざと外した?
何のために? 俺を威嚇するため? 自分の力を誇示するため? ……いや、今更そんなことをする意味はない。奴はこれまでに散々俺に対して色々と披露してみせたのだから。俺に自分が脅威であると認識させるためだと言うのなら、その目的はとっくに果たしている。そんなことくらい、奴だってとうに分かっているはず。
では、何故……
………………
それに気付いた時。
俺は、腹の底から何とも言えぬ感情が湧いてきたのを感じた。
「ぼうっとその場に突っ立っているとは、随分と、余裕だなァ!? そんなに死にたいか、ならば望み通りに、してやろォかァ!」
バルムンクが体勢を立て直して再び大剣を振るう。
俺はそれを──微動だにもせずに、真っ向から見据えていた。
「……俺には当たらんよ。あんたの、剣は」
静かに、呟く。
バルムンクが振るった剣は、俺の鼻先を掠めて過ぎる。後僅かというところで、俺を斬ることはなかった。
手元が狂ったのではない。これは──
「……俺も、今になって、ようやく理解したんだ。此処から一歩も動かなくたって、俺があんたに殺されることは百パーセントありえないってことがな」
奥歯をくっと噛み締めて、俺は静かに唱える。
この決着を着けるための、最後の、魔法を。
「──エンチャント・ストレングス」
腕力強化の魔法を自らに施し、俺は大きく一歩を踏み込みながら、掌中に生み出した魔力の杖を振り下ろす。
狙ったのは、バルムンクの手。大剣と腕を繋いでいる鎖を、断ち切るように破壊する。
手の甲を殴られて、奴の手から大剣が離れた。黒の得物は地面の上を跳ねるように転がっていき、鎖を断たれて繋がりが消滅した奴の顔から、浮かび上がっていた咎の紋様が消える。
「……な」
「俺の、勝ちだ。魔道騎士バルムンク」
咎の支配から逃れて冷静さを取り戻し、動きを止めた奴の胸の中心めがけて、俺は杖の具現化を解いた右の拳を渾身の力で打ち込んだ。
五体満足であれば、幾ら魔法で強化をしたところで俺の腕力など奴の体には通用しなかっただろう。
しかし今の奴の全身は、辛うじて形を保っているだけの罅割れた壺のようなもの。僅かでも衝撃を加えれば、そこから罅は深く大きく広がっていく。
めきっ、と破砕の音を立てて俺の拳が奴の胸に深く食い込む。
「……!」
びしゃ、と滝のような血が奴の口から溢れて散る。
それは俺の顔を濡らし、奴自身の体を染めて、床に激しく飛び散って。
奴は仰向けに倒れながら、引き摺られるように地面の上を滑っていった。
砂埃が立ち、奴の動きが止まる。
奴は起き上がろうと片手を上に翳し、何かを求めるようにそれを掻き動かして。
そのまま力を失い──ぱた、と地面に落として、それきり動かなくなる。
それが、俺と奴との間に繰り広げられた『殺し合い』の結末の形だった。
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