第131話 バブルヘッド
海溝迷宮の内部は、古い煉瓦造りの人工的な通路という感じの構造をしていた。
煉瓦そのものが青いのか、それとも通路全体を照らしている光源が青いからなのかは分からないが、微妙に暗さを含んだ青さが目の前に広がっている。
燭台の類はなく、発光している植物のようなものもない。しかし不思議なことに、通路はものを見るのに不自由しない程度には明るさが保たれている。
ゼファルトが言うには、ダンジョンは地上とは『理』が違うから、そういう現象が起きても特に不思議なことではないとのことだった。
床は微妙に湿っており、あちこちに小さな水溜まりができている。
此処が、封印を解かれる前は水中に沈んでいた場所であるということを如実に物語っていた。
移動する分には全く問題はないが、雷魔法を使う時だけはちょっと気を付けないとな。通路という狭い場所では拡散した雷撃が壁にも伝わりやすいから、壁に寄っていると感電する恐れがある。
俺たちの前を床の匂いを嗅ぎながら歩いていたヴァイスが、ぴくんと耳を反応させて立ち止まり、顔を上げた。
俺たちの中で最も周囲の異変を察知する能力に長けているのはヴァイスなので前を歩かせていたのだが、早速何かを発見したようである。
十字路に分岐した、通路の手前。そこで立ち止まり、様子を伺う。
少しして、ひたひたと歩く何かの足音が右の通路から聞こえてきた。
妖異か──それも、この音の数からして一匹じゃない。何匹かの群れだ。
ゼファルトが髪を一本引き抜きながら俺たちの方に振り向いて右手で空を薙ぐ仕草をする。下がっていろ、という合図だ。
彼は俺たちが後退したのを確認してから、十字路の中心へと飛び出した。
物音が聞こえてくる方向へと右の掌を翳して、魔法を唱える!
「バーストフレア!」
ばぢゃっ!
高速で放たれた茜色の光弾が、飛び出してきた妖異の一匹に命中し、弾けた。
大量の血が飛び散り、頭を失った妖異がその場に倒れる。
──それは、頭部が異様に肥大した人型の怪物だった。
まるで梅干のように醜く膨れ上がった肉の頭。皺の間に隠れるようにして付いている二つの小さな目と、不自然な形に引き伸ばされた口。体は頭の大きさと比較すると小さく、首から足の先まで頭と同じくらいの長さしかない。痩せており、両腕の先端には人の手首の代わりに鉤爪状の長い突起が付いている。どう見ても人間ではないが、かつては人間だったとでも主張するかのように、骨ばった股間には男の象徴を彷彿とさせるものがぶら下がっていた。形も人間のそれと同じで、先端から透明な液体を涎のように垂れ流している有様は、色々な意味で嫌悪感を掻き立てられる。
そんな代物が、摺り足の割に素早い速度でこちらへと迫ってきていた。
「何だこいつら! 気味悪いな!」
「バブルヘッド……人型の妖異の一種だな。知能が殆どないから魔法は使わないし動きも鈍いが、股間から飛ばしてくる溶解液が地味に厄介な存在だ。頭を潰せば殺せるから、狙うなら頭を率先して狙うといい」
ゼファルトが妖異について簡単に説明してくれる。
あの梅干みたいな頭が急所か……動きが鈍い上に的がでかいから狙撃するのは楽だろうが、股間のアレから何か飛ばしてくるってのは想像しただけで嫌な感じがする。フォルテやアヴネラには見せたくないぞこれは。
と、先頭を歩いていたバブルヘッドの一匹が、こちらに目を向けた。
それまで力なく垂れ下がっているだけだった例の突起が、むくりと頭を持ち上げて大きく肥大する。そしてそこから、ホースからの放水のような勢いで溶解液を噴射してきた!
おい、描写的に流石にアウトだろうこれは! 精神衛生的にも何か嫌だ!
「アイシクルウォール!」
俺は魔法を展開して目の前に巨大な氷の壁を生み出した。
アイシクルウォール──飛来物などから身を守るための氷壁を生み出す、いわゆるストーンウォールの氷魔法版だ。ストーンウォールは地面の土を変形させて壁と成す魔法なのでこういう土のない場所では効果を発揮しないのだが、この魔法は空気中に含まれた水分を利用して氷壁を作るので、空気が乾燥した灼熱の土地以外ならば基本的に何処でも発動させることができる。
特に此処は元々水没していた場所というだけあって、そこかしこに水溜まりがあり、湿度も高い。利用できる水は豊富にある。
これだけ湿った場所ならば、頑丈な氷壁ができる。あの溶解液とやらが幾ら強力な代物でも、この分厚い氷相手ならば、流石に……
飛んできた溶解液が氷壁にぶち当たる。それはそのまま周囲に飛沫を飛ばしながらじわじわと氷を溶かしていき、そのまま十秒もしないうちに、穴を空けてこちらへと迫ってきた!
嘘だろ! この氷、厚さ三十センチはあるのに!
「へー、結構飛ぶもんだなぁ。……ところでさ、こいつって女型はいるの? もしいた場合、どうやってあの汁飛ばしてくるんだろうね? 流石に立ったままってのは無理だろうし、やっぱしゃがむのかなぁ……あ、女だったらおっぱいがあるから、ひょっとしたらそこから飛ばすのかもね! 俺としては見た目的にそっちの方が嬉しかったんだけどなぁ」
「もう、変態!」
氷壁を突き破って飛んでくる溶解液を避けながら、アヴネラが冗談めいた言葉を放つシキを睨んで弓を構える。
穴も空けられたしあっても邪魔になるだけだってことで、氷壁は俺が早々に消し去った。
視界から障害物の存在が消えてよく捉えられるようになったバブルヘッドの一匹に狙いを定め、矢を射る!
まっすぐに飛んだ光の矢は、バブルヘッドの頭の中心を狂いなく貫いた。
頭に穴を空けられたバブルヘッドは、そこから決壊したダムみたいに夥しい量の血を噴き出して破裂した。
床に広がった血を踏みながら、後方のバブルヘッドたちがぺちゃりぺちゃりと近付いてくる。
次々と突起の先端をこちらへと向けて、溶解液を噴射してくる。それをめいめいの方向に散って避けながら、俺たちは各自攻撃を仕掛けた。
溶解液の存在にさえ気を付ければ、こんなのは単なる動きの鈍い射撃の的だ。柔らかいし、少しでも頭に傷を負わせれば後は勝手に破裂して死んでくれる。
ものの五分もせずにバブルヘッドの群れは一掃されて、その場には再び静寂が訪れた。
辺りが血生臭い。バブルヘッドの頭から噴き出た血が大量すぎるせいで、床一面がものの見事に水没してしまっている。
あれだけ頭が肥大していたら出血量が多くても何らおかしくはないのだが、流石にこれは尋常じゃない気がする。一体何リットル出てるんだろな、これ。
「あー……べちゃべちゃだなぁ。ねぇ、この血もひょっとして浴びたら溶けるとか、そういうことってある?」
シキの全身がバブルヘッドの血に濡れて真っ赤に染まっている。
遠隔攻撃できる俺やゼファルト、アヴネラやヴァイスとは違って、シキは基本的に刀による近接攻撃手段しか持っていない。そのため相手を仕留めた際に大量の返り血を浴びる羽目になったのだろう。
刀に付いた血を懸命に振るって落とそうとしているシキを見つめながら、ゼファルトは首を振った。
「いや、それはないな。血は単なる血だ。触れても特に何の影響もない」
「そっか。良かったー」
「シキ、こっちに来い。とりあえずその血を落とすぞ」
「うん。宜しくー」
俺は威力を弱めた水魔法で、シキの全身に付いている血を洗い流してやった。
流石に水で流した程度で全部綺麗に落ちるわけではないが、どうせすぐにまた汚れるんだろうし、とりあえず一見して綺麗になればそれで十分だ。
俺がシキの返り血を洗っている間に、周囲に転がっていたバブルヘッドの死骸や血はダンジョンに吸収されて、跡形もなく消えた。
その後も進む度にバブルヘッドの集団が現れて行く手を阻んできたが、落ち着いて対処すれば恐れるような相手ではなかった。
まあ、あの股間から溶解液を発射してくる光景だけは、何度見ても慣れはしなかったが……
そんな感じで進むこと、三十分あまり。
通路が途切れ、俺たちは広い部屋へと到着したのだった。
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