第117話 神霊復活祭
神霊復活祭、と呼ばれるその祭は、国内ではなく、森の中心──御神木がある湖の畔で執り行われるという。
王家の者が御神木から賜ったとされる二つの武器、神樹の魔剣と神樹の魔弓を御神木の前に掲げながら原初の魔石を御神木の命の源たる湖に投げ入れて、森の復活と繁栄を願って祈りを捧げる。内容としてはそういうものなのだそうだ。
俺たちは湖へと案内される際に、葉っぱで作られた小さい髪飾りのようなものを渡された。何でも祭に参加する者はこれを身に着けるのが決まりになっているらしい。
髪に着けなくてもいいとのことだったので、俺はローブの襟首にブローチのように引っ掛けて着けることにした。
飾りはヴァイスの分も渡されたので着けてやったのだが、まともに着けられそうな場所が頭のてっぺんくらいしかなかったので、そこに着けたら狸が化ける時に頭に葉っぱを乗っけているみたいな姿になってしまった。ヴァイス自身は自分の見た目のことなど全く気にしていない様子だったが、シキがそれを指差して大笑いしていた。全く、そんなに滑稽なものでもないだろうに。
俺たちの案内は、守護兵長であるウルヴェイルが買って出てくれた。
彼女曰く、現在の俺たちは正式な国賓として扱われているそうで、森を救った英雄ともあろう人物を今までのようにぞんざいに扱うわけにはいかないため、こうなったのだそうだ。
今後は……といっても明日には俺たちはこの国から出て行くわけなのだが、俺たちがこの国に滞在している間は、身の回りの世話などに関しては全て守護兵長であるウルヴェイルが引き受けてくれるらしい。何かあった時は遠慮なく言えと、相変わらずつっけんどんな態度ではあるが彼女はそう言ってくれた。
静かで穏やかな森の中を歩くこと、二時間ほど。
緑の海が途切れ、一転して開けた場所に出た。
直径二百メートルくらいはあるだろう、大きな湖。その中心にぽつんと島のようなものがあり、そこに一本の巨木がしっかりと根を張って立っているのが見える。
微妙に斜めに傾いた、ごつごつとした肌の幹。枝はしっかりと張っており、葉も幹の太さの割には少ないが、青々と茂っている。
屋久島にある縄文杉、イメージとしてはあれに近い感じの木だ。話によるとこの木は二千年以上も前から此処にあるらしいが、それだけ長いこと生きていれば神の化身だとか色々な逸話があっても何ら不思議ではないと思う。
実際、アヴネラやウルヴェイルが持っている武器はこの木から生まれたものだっていうし……此処は普通に魔法が存在している世界なのだから、例え本物の神でなかったとしても、神みたいに不思議な力を持った木の一本や二本があったって何もおかしいことはない。
ウルヴェイルの案内で、俺たちは大勢のエルフたちが集まっている場所を抜け、女王とアヴネラがいる湖の畔へと連れて行かれた。国賓だから一般人とは差別化しているのと、後は単純に俺たちを一般人の中に放り込んだらもみくちゃにされてただじゃ済まないだろうと危惧して別々にしたのだそうだ。
もみくちゃって……ちょっと前まで姿を見かけただけで逃げられていたっていうのに、この態度の変わりっぷりは微妙に解せない。まあ、何処にでも都合がいい奴というのはいるものなのだが。
「お待ちしておりました」
到着した俺たちを、アヴネラを横に従えた女王が迎えてくれた。
今日の彼女は、服装はいつもと同じだが謁見の間にいる時は持っていた杖を持っておらず、その代わりに原初の魔石と一本の剣を納めた鞘を持っている。
あの剣は、ウルヴェイルが背負っていた神樹の魔剣である。
「丁度、祭が始まるところです。そちらで御覧下さい。貴方方にも、アルヴァンデュース様の御加護がありますように」
それだけ言って一礼すると、彼女はアヴネラと共に湖畔の方へと移動していった。
微妙に地面が突き出ている、湖畔から最も御神木に近い場所。そこに、女王が左側、アヴネラが右側に並んで立つ。
鞘から剣を抜いてそれを頭上高く掲げ、アヴネラも同様に弓を両手で頭上に捧げるような格好を取って──凛とした大きな声で、女王は御神木に向かって儀式の言葉を唱え始めた。
「この森を守る我らが母なる神、アルヴァンデュースよ。貴女の永遠の安息と、子らの繁栄を願い、此処に神が齎した穢れなき生命の雫を捧げます。我らの祈りと願いを、どうかお受け取り下さい──」
女王の手から離れた原初の魔石が、緩く弧を描きながら湖面の中心へと落ちていく。
とぷん、と小さな波紋を立てて、原初の魔石は水面下へと消えた。
生まれは波紋は、ゆらゆらと水面を波立たせながらあっという間に消えていく。
辺りに、静寂が満ちる。
──その瞬間。
湖全体が、淡い白に輝き始めた。
水そのものが発光しているかのような、そんな光の集合体へと変わった湖から、小さくて丸い光が次々と生まれてはタンポポの綿毛のようにふわふわと宙を舞い上がっていく。
その光は御神木の前に集まっていき、徐々にひとつの形を作り上げていく。
光はあちこちに蔓草が巻き付いた足の先まで届くほどの長い髪となり、百合に似た形の白い花が連なった形をしたアシンメトリーの衣裳を形作り。
多くの目が注目している前で、それは一人の女性の姿となった。
おおっ、と儀式の様子を見ていたエルフたちがどよめく。
「あれは……」
「アルヴァンデュース様……!」
……あれが、天から降りてきて御神木に姿を変えたっていう伝説の神、アルヴァンデュースなのか。
儀式で呼びかけたからって、神がそれに応えて実際に下界に姿を現すなんてことが本当に起きるものなんだな……
見た目は、身長が三メートル近くあって巨大だってことを除けば普通の女神って感じだ。美人だし、スタイルもいい。その辺は同じ女神であるアルカディアと共通点が多いように思える。多分これが女神としての標準的なスペックなのだろう。
アルヴァンデュースは音もなくゆっくりと女王たちの目の前に降りてくると、彼女たちが掲げている武器にそれぞれの掌を翳した。
武器たちが、淡い光に包まれて、すぐに元に戻る。
一体何をしたのかは分からないが、力を授けたとか、加護を与えたとか、おそらくそんなところだろう。
続けて、アルヴァンデュースが頭上を仰いで両腕を大きく広げ、抱擁を求めるような仕草をする。
女神の全身から生まれた光が天高く昇っていき、森全体へと散っていく。御神木を中心に生まれた風が大地を撫でながら駆け抜けていき、ざああっと音を立てながらその後を追いかけていった。
まるで、森全体に命の息吹を吹きかけているような、そんな感覚だ。
神に祈りを捧げれば森が蘇るなんて、そんなことが本当にあるものなのかと最初は半信半疑だったが──祈りが神に届きさえすれば、本当にそういうことも起こるらしい。
思わずアルヴァンデュースに注目していると、不意に、頭の中に声が響いてきた。
『我が子らを救って下さった異郷の勇者よ……我が声が、聞こえますね?』
穏やかで何処か温かみを感じる女性の声だ。
ひょっとして、これはアルヴァンデュースの声か?
ふと気になったので周囲を見てみるが、俺以外には、誰も彼女の声の存在に気付いている者はいないようだった。
アルカディアたちとの対話と、ほぼ同じ理屈のものか……あの女神は直接俺の頭の中に話しかけてきているらしい。
『貴方が追い求めている存在は……人の身でありながら大いなる
かの者とは、魔帝のことを指しているのだろう。
魔帝が異郷の神をこの世界に引き入れた? それは、一体どういう……
魔帝は莫大な対価と引き換えに今の力を手に入れたと言っていた。
魔帝に異郷の神が宿っている、ということは、今現在魔帝が持っている全ての能力は、奴の身にその異郷の神とやらが宿っているからこそ操れるものであって……もしも奴からその神を引き剥がして元の世界へと送還する方法があれば、魔帝は何の能力もないただの人間へと成り下がるということか?
理論上では、そうなる。だが実際にそれを実行するとして、その方法が一体何処に転がっているんだという問題が出てくる。
神降ろしというものが具体的にどういったものなのかは分からないが、多分召喚魔法と理屈は同じようなものなのだろう。異世界の人間を勇者としてこの世界に召喚することを『勇者召喚の儀』と呼んでいるのと同じことだ。召喚者がいて、召喚される対象がいて、それで初めて成立する儀式。魔帝が実行した何らかの儀式で召喚された異世界の神が、召喚主である魔帝に能力を与えている……理屈としては、それで合っていると思う。
ならば、その神と魔帝の間にある『契約』のようなものを解除すれば、神は勝手に魔帝から離れて元の世界へと還っていくと思うのだが。
召喚主と召喚した存在との主従関係を終わらせる方法は二つある。ひとつは召喚主の意志で召喚した存在を送還すること。もうひとつは召喚した存在を殺すことである。
召喚魔法というものは、例え召喚主が死んだとしても召喚されたものはその場に残るのだ。例えば俺が何らかの理由で死んだとしても、俺が召喚したヴァイスはヴァイス自身の命がある限りはこの世界に存在し続けるのである。
もしも、俺たちが魔帝を殺したとしても──奴に宿っている異郷の神とやらはこの世界に留まり続けることになる。そいつが世界征服とかに興味がない人畜無害な存在ならば別にそれでも構わないのだが、仮に魔帝が世界征服を目論んでいる本当の理由が、異郷の神を身に宿したことによって逆に精神をそいつに乗っ取られてしまっているからなのだとしたら? 世界征服を狙っている本当の存在は魔帝ではなく、魔帝に宿っている神なのだとしたら?
現時点では確証のない話だし、飛躍しすぎた話であるとは思う。だが、その可能性はゼロではない。
何にせよ……ただ魔帝と戦って倒せばいい、という簡単な話ではなくなったということだけは確かだ。
神を殺すにせよ、送還方法を見つけるにせよ。どちらを選んだとしても、片手間のお使い程度でこなせるような課題ではない。
全く、何て面倒で扱いに困る存在なんだ。異世界の存在っていうのは。俺が言うのもナンセンスだとは思うが。
『異郷の神に対抗できるのは、同じく異郷より訪れた存在である勇者のみ。どうか、貴方の持つ力で異郷の神を本来の場所へと還して下さい。我らこの世界の生きとし生けるものの願いを、どうかお聞き届け下さい……』
『その異郷の神とやらを元の世界に戻す方法ってのはあるのか? 仮にあったとして、それは俺たちに実行可能なことなのか?』
『貴方のこれからの働きに期待しておりますよ、異郷の勇者よ──』
『あっ、ちょっと……おい!』
俺の問いかけには全く反応を示さず。アルヴァンデュースは皆の目の前で元の光の集合体になると、欠片となって散っていき、消えていった。
……一方的に言いたいことだけを言って消えるとは……わざわざ直接話しかけてくるくらいなんだから、何かしら役に立つ知識のひとつくらい授けてくれたっていいんじゃないのかっての。
本当に、神ってのは他力本願主義で我儘な奴だ。どいつもこいつも。他力本願主義なのは神の掟の都合上そうせざるを得ない部分もあるらしいから仕方のないことなのだとしても、何でもかんでも召喚勇者に丸投げされてはたまったものではない。
はあ、と溜め息をついて頭を掻く俺を、隣に立っていたウルヴェイルが片眉を跳ねさせながら見つめている。
「神の御前で溜め息とは不謹慎だな」
「……そいつは悪かったな。色々考え事をしてたんだ」
今の出来事を暴露してやろうかとも思ったが、ウルヴェイルが異郷の神の送還方法を知っているわけがなし。変な反応をされるのも面倒なので、黙っておくことにした。
「とりあえずこれで、祭とやらは終わりなんだろ。何か思ってたよりもあっさりした内容だったな」
「何を言う。アルヴァンデュース様が実際に御降臨なされたのは前代未聞のことなんだぞ。あっさりの一言で片付けるな」
「……そうなのか?」
「そうだ。我らが守り神はあの木であり、かつて人の姿を持った天の神であったという逸話は単なる伝説上のものでしかない。この森が誕生して二千年余り、その間にアルヴァンデュース様が人の姿で現れたという記録は残っていない……今回のことは、奇跡として後世に長く伝えられていくことだろう。それだけ、神とは我らにとって最も遠き存在であり、尊き存在なのだ」
神は人にとって最も遠く、最も尊い存在、か……
……あれが?
俺はアルカディアたちの存在をふと思い出した。
人間以上に欲望に忠実で、我儘で、掟に弱い規則の犬みたいな存在で。
人智を超えた能力を持っているのは確かみたいだが、だからって無条件で敬える存在かと言われると、どうもそれとはかけ離れすぎているような気がする。
俺にとってこの世界の神々とは、人間以上に人間臭い面倒で厄介な連中なのだ。
まあ、ソルレオンは比較的マシな部類ではあるが……酒に夢中になる辺り、結局根本的な部分では他の神々と同類なんだと思う。
俺がこの世界の神たちを敬うことはないだろう。一切。
「貴様も、誇れ。アルヴァンデュース様のお姿を拝見した一人として歴史の証人となったわけだからな。人間に与えるには勿体無いくらいの名誉だ」
「……それはどうも」
俺はウルヴェイルの言葉に適当な相槌を打って、肩を竦めた。
湖はもう輝いてはおらず、不思議な風も吹いていない。女神の姿を目の当たりにして動揺しているエルフたちのざわめきと、祭の成功と森の復活を祝う声が辺りに満ちているばかり。
平穏な、森人と精霊の森は──普段と変わらぬ姿を持って、そこに集っている者たちを穏やかに包み込んでいた。
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