第101話 女王の歓迎

 その蜘蛛は、突如としてアルヴァンデュースの森に現れた。

 森の哨戒に出ていた国の守護兵(パラス王国で言う王国騎士団のような役割を担った兵士らしい)の一人が、そいつに襲われているところを仲間に発見されたのが最初の目撃例だそうだ。

 発見された蜘蛛は駆除されたが、襲われた守護兵は助からなかった。体内に卵を大量に産みつけられており、それがどうやら肺の中にまで入り込んでしまったらしく、窒息して死んでしまったそうだ。

 死んでしまった守護兵は国内の共同墓地に手厚く葬られたそうだが、それが更なる悪夢の始まりだった。

 遺体の中に残ったままだった蜘蛛の卵が孵化してしまい、そこから爆発的に増えて国内に、更には森全体に散らばっていってしまったというのだ。

 遺体を火葬にしていたらそのようなことは起こらなかったのだろうが、火の使用を禁じているこの国では、遺体を火葬にするという習慣がない。森を守るための掟が逆に仇となってしまったのである。

 現在、守護兵たちが必死に森全体を駆け回って蜘蛛の駆除作業を行っているところだが、蜘蛛の数は減るどころか増える一方だという。

 というのも、どうやら蜘蛛が産んだ卵から孵化している以外に、森に新たに蜘蛛を放っている人物が存在しているらしいのだ。

 ドライアドたちからの情報によると、その人物は奇妙な格好をした人間で、信じられないくらいに巨大な蜘蛛を連れていたらしい。その巨大蜘蛛が他の蜘蛛たちを使役して、エルフたちを襲わせているのではないかとこの国の女王は睨んでいるそうだ。

 おそらく蜘蛛たちを使役しているであろう巨大蜘蛛を討伐すれば、蜘蛛たちがエルフを襲うことはなくなるだろう。しかしその巨大蜘蛛どころか、それを連れた人間も神出鬼没の存在で、精霊たちの監視の目すらくぐり抜ける始末。事は全然進展を見せないまま、いたずらに時間だけが過ぎていくばかり。

 エルフたちが人間に抱く敵対心は増大していく一方。これでは……人間を友好的な種族として見ろと言う方が無理だ。

 現在、俺たちはウルヴェイルたち守護兵たちと共に女王がいる王宮へと向かっている。

 アヴネラが俺たちを女王に会わせたいと言ったのでそうなったのだが、道中周囲から向けられる視線の何と冷ややかなこと。

 俺たちが妙な真似をしないように守護兵たちが周囲をぐるりと取り囲んでいるせいもあって、まるで護送されている犯罪者を見るような眼差しだった。

 アヴネラが一緒にいるから今のところは何も起きていないが、もしも彼女がいなかったらどんな扱いをされていたか……恐ろしくて、考えたくもない。


 王宮は、人間の国にあるような城とは異なり、オパール色の謎の材質で建てられた丸い形状をした大きな建物だった。

 丸い王冠を大きくして入口だけを付けたような、そんな見た目の代物だ。

 大きさは、大雑把に見て学校の体育館くらいか……王族が住む城として考えると、それほど大きな建物ではない。城は王族の権威の象徴みたいな話を何かの本で読んだことがあるが、ひょっとしたらエルフには権威を民に知らしめようとする感覚というものがないのかもしれない。

 王宮の入口まで来たところで、ウルヴェイル以外の守護兵は俺たちの周囲からいなくなった。

 ウルヴェイルの案内で王宮内を進んでいき、やがて、女王がいるという謁見の間へと到着した。

 そこそこの広さがあるその部屋は、がらんとしていた。壁を飾るものもなければ、床に絨毯も敷かれていない。天井に鬼灯みたいな形のランプが吊り下げられているだけで、部屋の奥に建物と同じ材質でできているらしい椅子がひとつ置かれているのみだ。女王はそこに腰掛けて、部屋に入ってきた俺たちのことを見つめていた。

 アヴネラと同じ銀の髪、淡い紫色の瞳。顔立ちは何処となくアヴネラに似ている。アヴネラの母親ということはそれなりに歳を取っているのだろうが、老いなど微塵も感じさせない若々しい美女である。彼女が着ているシースルーのドレスにはビーズのような小さい粒の装飾が散りばめられており、ランプが放つ白い光を浴びてきらきらと光っていた。頭には蔦を輪っか状に編んだような見た目の冠を被っている。ひょっとしたらあれが王冠の代わりなのかもしれない。

「女王様。アヴネラ様と、連れの者だという人間たちを御連れ致しました」

「……御苦労様でした、ウルヴェイル守護兵長。下がりなさい」

 女王の言葉にウルヴェイルは深々と頭を垂れて、部屋の入口の横へと身を引いた。此処から退室しないのは、俺たちを監視するためだろう。

 女王は静かに席を立ち、手にした木の杖で床をとんと突いた。

「私がグルーヴローブを治める王、ファルスアイルです。そこにいるアヴネラの実母でもあります」

 一族を代表する女王としての責任がそうさせているのか、彼女は俺たちに対して嫌悪感を露わにすることなく、冷静に俺たちと向き合っている。

 しかし、こちらに向けられている双眸の中に、歓迎の意を示す色は一切存在していなかった。

「アヴネラからの話は、ドライアドを通じて聞きました。先程国内に現れたあの蜘蛛を、貴方たちが倒して下さったことも知っています」

 俺が先程処置を施した少女は、先程別室で意識を取り戻したということを彼女は教えてくれた。

 飲ませた塩水は効果があったそうで、少女は卵を吐き出した後は割と元気な様子でいるらしい。

「民の命を救って下さったことは、感謝致します。貴方たちが国内で火を使ったということは、民の命を救うのに必要な行為であったという貴方たちの主張を信じ、今回は不問と致しましょう。……しかし」

 かつん、と杖の先端が床を叩く音が室内に響く。

「私は今この場で貴方たちにお会いして、確信しました。貴方たちには、国の来賓として歓迎する価値は全くありません。正直に申し上げさせて頂くと、目の前に立たれているだけで実に不快です。今すぐに、国外へ……いえ、アルヴァンデュースから退去して頂けないでしょうか」

「母上! ボクは言ったはずだよ! この人たちが、森を守ってくれたんだって! この人たちは、ボクたちエルフ族を大切に思ってくれてる! それを、そんな言い方するなんて……」

「貴女は黙っていなさい。アヴネラ」

 女王に威圧の眼差しを向けられて、アヴネラは言葉の後半を飲み込んでしまった。

 女王は再び俺たちへと視線を向けた。

「私が貴方たちをこのように評価したのは、貴方たちが何かとてつもなく得体の知れない存在に感じられるからです。普通の人間とは明らかに異質な何かが、貴方たちには宿っています。……特に、そこの、貴方」

 と、女王が杖の先端で指し示したのはリュウガだった。

「貴方からは、邪悪なものを感じます。悪しき魂の持ち主、とでも言いましょうか。それは私たちや精霊たちにとっては、最も忌避すべきもの。貴方のような存在を此処に置いて、私たちまで汚されるわけにはいかないのですよ」

「……何だと」

 リュウガの表情に怒気の色が宿る。

 彼はゆっくりと俺たちの前に歩み出て、真っ向から女王を睨み付けた。

「オレが此処にいると、てめぇらが汚れる? まるでオレが汚物みてぇな言い方じゃねぇかよ。随分なことを言ってくれるもんだな、住人を助けた恩人に対して」

「ですから、そうだと申し上げております」

「んだと、このアマ! 偉いんだか何だか知らねぇが好き勝手に言ってくれやがってよ!」

「やめろ、リュウガ! シキ、こいつを押さえろ!」

 怒鳴って腰の剣を鞘から抜こうとするリュウガを、俺とシキが左右から腕を掴んで何とか押さえ込んだ。

 リュウガは相当頭にきているようで、それが力にも反映している。俺とシキが二人がかりで羽交い絞めにしているというのに、押さえている腕が、じりじりと動きつつあった。

 リュウガは元不良だ。普段は人当たりが良いのでつい忘れてしまいがちになるが、その本質はかなり喧嘩っ早く、敵対する存在には残忍な一面を見せる容赦のなさがある。言ってしまえば頭に血が上りやすい好戦的な人種なのである。

 面と向かって慇懃いんぎん無礼な態度を取られれば、こうなってしまうのも無理はないとは思うが……

「離せ、おっさん! 恩を恩とも感じねぇこのクソアマ、一発ぶん殴ってやる!」

「馬鹿か、そんなことをしたら今度こそ俺たちは敵対者認定されるぞ! 俺たちは此処に喧嘩をしに来たわけじゃないんだ! 落ち着け!」

「あんたらは悔しくねぇのかよ! あんな言い方されてよ! オレは我慢ならねぇ!」

「そうやって気に食わないからっていちいち怒るんじゃない! 子供じみた考え方をするのはいい加減に卒業しろ!」

「……ッ」

 リュウガは歯をぎりっと食いしばり、俺たちの腕を振りほどこうとするのをやめた。

 ふーっと深く息を吐き、低く静かな声で、言う。

「……分かったよ。離せ」

 何とか、納得してくれたか……

 俺はシキに目配せして、リュウガから手を離した。

 リュウガは掴んでいた剣の鞘から手を離し、ぐじゃぐじゃと乱暴に自らの後頭部を掻いた。

 そして、


「そこまで言うんなら……お望み通りにしてやるよ。オレは此処から出て行く。もう二度と、あんたらの前には姿を見せねぇよ」


 肩からぶつかるように俺たちを押し退けて、大股で扉のところまで歩いていく。

 片手で扉を押し開き、僅かにこちらに振り返って、告げた。

「あんたらはあんたらで好きにやりな、おっさん。オレは一足先に此処で抜けさせてもらうからよ。正義の味方ごっこしてぇなら、そうすりゃいいさ」

「……!?」

 唐突の彼の発言に、俺は絶句した。

 リュウガの姿が扉の向こうに消える。通路の壁に反響していた足音が、遠ざかっていき、聞こえなくなる。

「……待て、リュウガ!」

 ようやく驚愕のショックから立ち直った俺は、慌ててリュウガの後を追いかけた。

 部屋の中で、アヴネラが何かを叫んでいる……しかしリュウガのことで頭が一杯になっていた俺には、彼女が何を叫んでいたのかを聞き取ることはできなかった。

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