欲望、怨嗟、絶望、光明

第70話 黒光りするアイツの脅威

 洞穴で朝を迎えた俺たちは、朝飯を食べて一路ルノラッシュシティを目指して出発した。

 アヴネラの紹介は食事の最中に済ませたのだが、彼女がエルフの国の王女だと知った時の皆の驚きっぷりは半端ではなかった。そりゃそうだろう、滅多に自国の外に出ない種族の、しかも一般人だとまずお目に掛けることがないであろう王族なのだから。俺だって初めて知った時はちょっと驚いたし。

 アヴネラは相変わらずつんけんしていたが、俺たちの協力がなければ自分の旅の目的が果たせないと思っているからか、そこまで皆のことを邪険には扱わなかった。人間嫌いの彼女の、精一杯の歩み寄りといったところか。

 俺としては、もう少しフレンドリーに接してくれると有難いんだけどな。

 洞穴を出た俺たちは、一路南東へ。一日かけて森を抜け、更に二日かけてその先にある平野を横断した。

 その間、何度か虚無ホロウの襲撃に遭った。

 虚無ホロウは街の周辺やダンジョンの傍、街道など、基本的に人の往来がある場所を中心に徘徊しているらしい。虚無ホロウに頻繁に出くわすようになったら、それは街やダンジョンが近付いてきている証拠なのだそうだ。

 俺たちの手元にはこの辺り一帯を記した地図はないから、現在地を知らせてくれるものがあるというのは有難い。

 俺たちは虚無ホロウを蹴散らしながら、確実にルノラッシュシティへの道を進んでいった。


「きゃーっ!」

 どうやって登ったのか、木の上でフォルテが悲鳴を上げている。

 その真下で、ヴァイスが懸命に周囲の虚無ホロウに向かって威嚇の吠え声を発していた。

 ヴァイスの声が響くその度に生まれる光が、迫り来る虚無ホロウを容赦なく吹き飛ばしていく。

 現在俺たちが相手にしているのは、体長十センチくらいの平べったい昆虫のような見てくれの代物だ。

 細い六本の足をわさわさと動かして異様に素早い動きで走ってくる様といい、形状といい……これで長い触角があったらまんまゴキブリである。

 体が小さいので並の魔法でも十分に吹き飛ばすことは可能だが、とにかく数が多すぎるため、多少仕留めた程度では状況は何も変わらなかった。

「ハル! 早く何とかして! こっちに来ちゃう!」

「やってるよ! 数が多すぎるんだ!」

 俺は彼女の言葉に答えながら前方に向けて魔法を撃った。

「ウォーターウェーブ!」

 俺の目の前に出現した巨大な津波が、落ちている石や木の枝もろとも虚無ホロウたちを押し流していく。

 無論、ただ津波を起こすだけの魔法では奴らを仕留めることなどできない。せいぜいこちらに来るまでの時間を少しばかり稼ぐことができるだけだ。

 だが、それで十分だ。次の大技を放つだけの猶予が手に入りさえすれば。

「アースブレイク!」

 地面に両手を付き、魔法を唱える。

 地面に流した俺の魔力が、地面に稲妻状の亀裂を入れる。それは一瞬にして巨大な地割れと化し、津波を掻き分けて迫ってきた虚無ホロウたちを奈落の底へと飲み込んでいった。

 どうだ、これなら……

 しかし俺の勝利への確信も束の間。地割れの中からぶわっと黒いものが溢れてきたかと思うと、それらは一斉に鉱物でできているはずの羽を広げて宙に飛び立ったのだった!

 うぉい、飛ぶのかよ! ますますゴキブリじゃないかこいつら!

 こんな虚無ホロウを作るなんて、魔帝の奴、どういう神経してるんだ! 嫌がらせか、嫌がらせなのか!?

「いやーっ! 私ゴキブリ大嫌いなのよぉ! 来ないでぇ!」

「おっさん、こんだけ多いと剣で一匹ずつ潰すのかったるいんだけどよ」

 喚いているフォルテをうるさそうに見上げながら、リュウガがぼやいている。

 彼が無造作に振り回した剣は、傍を飛んでいた虚無ホロウを一体叩き落とした。地面に叩き付けられた虚無ホロウは腹の中心に付いていた核もろとも体が真っ二つになり、潰された虫のように動かなくなった。

「殺虫剤とかねぇの? 一気にぱーっと撒けるやつ」

「こいつらは虫じゃないから殺虫剤なんか効かんぞ。そもそも此処は異世界だから、日本の薬剤は自然に変な影響を与えそうだからあまり使いたくはないな」

 日本では当たり前のように使っている殺虫剤や除草剤が、この世界でも同じような効果を発揮するとは限らない。大気中に普通に存在しているという魔素が薬剤に変な影響を及ぼす可能性があるし、そのせいで人体に有害な代物に化けるかもしれないのだ。そんなものを当たり前のように使う気にはとてもなれない。

 大体、虚無ホロウは魔帝が魔法で作った人造生命体だから、殺虫剤を浴びせたところで死ぬわけじゃないしな。

 面倒でも、武器や魔法で着実に数を減らしていくしかない。

 ……そうだ、待てよ。

 リュウガが言った殺虫剤という一言からあることを思い付いた俺は、右手を広げて魔力を集中させた。

 掌の中に、巨大なハエ叩きが現れる。

 叩く部分は一メートル。持つ部分は一メートル半はある。ハエ叩きというだけあって叩く部分はかなり薄いが、アダマン金属に匹敵する強度を持った魔力の武器だから多少乱暴に扱ったところで壊れはしないはずだ。

 一匹ずつ潰すのが面倒だと言うのなら、まとめて潰せる手段を用意すればいい。単純にぶっ叩く武器ならハンマーでも良かったのだろうが、何故ハエ叩きにしたのかというと、こっちの方が先端が薄い分小回りが利くだろうと思ったからだ。別に遊び心でハエ叩きを作ったわけじゃないぞ。

「リュウガ、こいつを使え。これなら叩く部分が大きいからまとめて一網打尽にできるだろ」

 完成したハエ叩きをリュウガへと放り投げる。

 剣を振り回しながらハエ叩きを受け取ったリュウガは、何だこりゃ、とでも言いたげな微妙な顔をした。

「うっわ、何だよハエ叩きって。センスねぇな、おっさん」

「うるさいな、形なんか何だっていいだろちゃんと役に立てば」

「まぁそうなんだけど……よ!」

 ハエ叩きを力一杯振り下ろす。

 ばちん、と固い音がして、ハエ叩きに叩かれた虚無ホロウが六体ほど、潰れてばらばらの石の欠片となった。

 見た目は微妙だが威力は上々だな。

 ハエ叩きを微妙だと評価したリュウガも、一振りが生み出した威力に感心の声を漏らしている。

「おー、叩く場所がでかいから当てやすくていいな、これ」

「だろ?」

「おっさん、同じのもう一本くれよ。二刀流で無双してぇ」

「……おいおい」

 ハエ叩きで無双って……そんなもんで無双する戦士なんてギャグ小説の中にもいないぞ。

 まあ、ハエ叩きを武器として作って渡したのは俺なんだけどさ。

 それで早くこの群れを殲滅できるならいいかってことで、俺は全く同じ武器をもう一本作って渡してやった。

 ハエ叩きを両手に装備したリュウガは、玩具を手に入れた子供のような顔をして虚無ホロウが飛び交っている中へと突っ込んでいった。ありゃ暴れる気満々だな。

 あいつだけに任せていられない。俺も頑張らないとな。

「フレアバレット!」

 足下を這っている虚無ホロウの群れめがけて魔法を撃つ。

 派手な爆発音を立てながら、虚無ホロウたちが次々と吹っ飛んでいく。

「トルネード!」

 少し離れたところでは、アヴネラが大きな竜巻を起こして虚無ホロウたちを大量に巻き上げていた。

 結構派手にやってるな。今ので全体の三分の一は持ってったぞ。

 彼女は弓を取り戻す前に「多少は魔法が使えるから心配無用」みたいなことを言っていたが、魔法使いとしても十分にやっていけるだけの力があるようだ。流石は魔法の扱いに秀でた種族というだけある。

「ひゃっはーっ!」

 こちらは魔法ではないが、自ら大回転しながら近くの虚無ホロウを手当たり次第に叩き潰しているリュウガ。

 まるで無双系のゲームを現実化したような光景だ。振り回される二本のハエ叩きが標的を次々と吹っ飛ばしていく様は何とも豪快である。

 彼の周囲には、粉々に砕けた黒や赤の石の欠片が大量に落ちていた。

 あれだけ暴れられたらさぞかし気分がいいことだろうな。

 俺もたまには、派手な魔法のひとつでも撃ってみるとしようか。

 俺は二人を巻き込まないような位置を狙って掌を翳した。

 それと同時だった。

 何かが、どさりと重い音を立てて俺のすぐ目の前に落ちてきたのは。

 それを視界に捉えた俺は、思わず翳した掌を下ろした。

 俺の目の前に落ちてきたもの──

 それは、チュニックのような服を着たあまり旅人には見えない雰囲気の、茶色の髪の男だった。

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