第67話 ほろ甘い肉じゃが

「……んん……」

 フォルテの閉ざされている瞼に力が篭もる。

 彼女はゆっくりと目を開けて、上体を起こし、小首を傾げて訝りの声を漏らすのだった。

「あれ……私、今まで何して……」

「やっと起きたか。丁度良かったな、もう少しで夕飯ができるところだ」

 鍋の中を菜箸で掻き混ぜながら俺は彼女に言葉を掛ける。

 彼女はしばらくぼんやりと自分の頭を掻いていたが、次第に意識がはっきりしてくるにつれて自分の身に起きていた出来事を思い出したのか、急に大声を上げたのだった。

「そうだ、死霊! あれはどうなったの!?」

 慌てて周囲を見回す彼女だが、その目には何もない静かな洞穴の中の様子が映ったことだろう。

 ──フォルテを奪還して魔法使いの研究所から出てきた俺たちは、元の洞穴へと戻ってきたのだ。

 フォルテを静かに寝かせておける環境が欲しかったし、じきに夜になるから、今日のところは当初の予定通り此処で一晩過ごそうとリュウガと相談して決めたのである。今から別の寝床を確保するのは色々と大変だと思ったからな。

 因みにリュウガは、用足しに行くと言って外に出て行ったので、今は此処にはいない。そのうち戻ってくるだろう。

 俺は微苦笑しながら、答えた。

「あれは俺たちが駆除したよ。この森にいる死霊はあれで全部だったらしいから、もう此処には来ない。安全だ」

 一瞬彼女が今まで誘拐されていたことを正直に話そうかとも思ったが、やめておいた。

 あれはもう終わったことだし、今更話を蒸し返す必要はないと思うのだ。自分がアンデッドに改造されそうになっていたなんて、聞かされても良い気分はしないだろうし。

 俺の言葉に安心したのか、そう、と呟いてフォルテは安堵の息を吐いて──

 自分の胸元に目を向けて、表情を凍り付かせた。

「……ねえ。何で、私、こんな格好してるの?」

「……あ」

 俺はフォルテの言葉に釣られてつい彼女の方に目を向けて──咄嗟に顔をそらした。

 彼女の胸元は、俺が無理矢理閉じ合わせた箇所のホックがいつの間にか外れてしまっていたようで、前が全開になっていた。胸の谷間に書かれたバツ印もそのままな上に、大事な部分が丸見えになってしまっている。可愛いピンク色をした果実は小粒で綺麗な形をしており、何とも美味しそうだ──って何を考えてるんだ俺は。

 フォルテは顔を真っ赤にして慌てて服装を直した。手馴れた手つきでホックを引っ掛けていく、がやはり微妙に胸が窮屈そうである。これは近いうちに、ちゃんと体のサイズに合った新しい服を買ってやるべきかもしれないな。

 服装を直し終えたフォルテは、ぷるぷると小刻みに身を震わせながら俺の方を見た。

「ハル……ひょっとして、ハルがやったの? 私の胸……見たの?」

「ばっ……俺がそんなことするわけないだろ! あれは事故だ! 俺のせいじゃない!」

「でも、見たことは否定しないのね」

「…………」

 俺は言葉に詰まってしまった。

 見たことは事実だ。ついでにそれを見てつい美味しそうだと思ってしまったのも事実だ。

 仕方ないじゃないか、生まれてこの方三十年、初めて目にした女の生の胸はこの上ないくらいに魅力的だったんだから!

 俺だって健全な男だ、経験が全くなくてもそういうことに対する興味は人並みにあるし、性欲だってある。自分を慰める行為に及んだことも一度や二度じゃない。女の裸に惹かれるのは至って普通のことだと思うのだ。男なら誰だってそうだろう? 違うか?

 でも……確かに、意識がない相手の裸を(あくまで不可抗力だが)見るような真似をしたのは、悪いことだと思う。

 俺は鍋の中身を掻き混ぜながら、静かに謝った。

「まあ、その……確かに見たことは見た。わざとじゃないけどな。それは悪かったよ、謝る。すまん」

「……まあ、いいよ。ハルがこんなことをする人じゃないってのは分かってるし……何か事情があったんでしょ? だったら、仕方ないわよね」

 フォルテは俺の傍まで座を移してきて、背後から、そっと俺の体を抱き締めてきた。

「ありがとう、ハル……私のこと、死霊から守ってくれて」

 ……フォルテさんや、胸、当たってるんだけど……俺の背中に。

 この世界にはブラジャーというものがないのかそれともフォルテが単に下着を着けない性格なのかは分からないが、彼女がブラジャーを着けていないことは明白だ。ということは、今背中に当たっているのは、布一枚越しの生の胸ということになる。

 ボリュームのある生プリンの感触は、俺にとっては刺激が強すぎる。これ以上こんなことをされ続けていたら、今は冷静でいられても最終的にどうなるかは分からなくなってしまう。

 俺は必死に動じていないふりをしながら、言った。

「フォルテ、今、火を使ってるから……危ないぞ。鍋を駄目にしたら夕飯がなくなる」

「あっ……そうよね。ごめんなさい」

 ぱっ、と俺から離れるフォルテ。

 俺の横に移動して、彼女は興味津々と鍋の中を覗き込んだ。

「これは、何て言う料理?」

「これか? これは肉じゃがって言うんだ。俺の住んでいた場所では定番だった家庭料理でな、素朴な味がして美味いぞ」

 鍋の中では、一口サイズに切られたジャガイモや人参がことことと音を立てながら煮込まれている。

 肉じゃがといえば牛肉を使うのが定番だが、今回は豚系の妖異の肉を使っている。豚肉でも美味いことは美味いし、まあ不味い仕上がりにはならないだろう。

 既に味付けは済んでいるので、後は十数分ほど煮込めば完成だ。

 湯気を立てている鍋を見つめながら、フォルテがぽつりと呟く。

「魔法の天才で、料理も上手で、優しくて……ハルのお嫁さんになったら、きっと幸せになれるんだろうなぁ……」

「ん?」

「……なっ、何でもないっ。ほんと、何でもないからっ」

「……?」

 慌ててぶんぶんと首を振る彼女。

 一体、何を言っていたのか……鍋の方に気を向けていた俺には聞き取ることはできなかった。

 まあ、フォルテが何でもないと言っているのだから、些細なことなのだろう。

「そんなことよりっ、これ、まだ食べられないの? 私、お腹空いちゃった」

「ん、ああ……後十分くらい煮ないと味がしっかり付かないから、もうちょいだな。今リュウガも外に出てるし、あいつが戻ってきた頃にはできるだろ」

「そういえば、あの人何処に行ったの?」

「小便に行くって言ってたぞ。……それにしちゃちと長い気がするけどな。ひょっとしてでかい方だったか?」

「もう、料理作りながらそんな話しないでよ」

「はは、悪い悪い」

 他愛のない話をしながら、俺たちは夕飯の準備を進めつつリュウガが帰ってくるのを待った。

 それから十分ほどしてリュウガが戻ってきて、丁度肉じゃがも無事に完成し、俺たちはいつも通りの平和な夕飯の時間を過ごしたのだった。

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