第37話 高原の中で花咲く街

 谷底で一夜を明かした俺たちは、日の出と共に移動を開始した。

 リュウガは朝に弱いらしく俺に叩き起こされた直後は不機嫌そうだったが、朝飯を出したらすぐに機嫌を直してくれた。

 因みに、朝飯は手軽に済ませられるものをってことで醤油と鰹節を混ぜ込んでフライパンでさっと焼き上げた焼きおにぎりにした。あの素朴で香ばしい味は時々食べたくなるんだよな。

 米に馴染みのないフォルテとユーリルも、醤油の香ばしい味を気に入ったようで笑顔でぱくついていたよ。

 朝飯を済ませて身支度を整えた俺たちは、ヴァイスを先頭に絶壁の脇に突き出た細い道を登っていく。

 登っている最中に俺たちのことを目ざとく見つけたジャックコンドルの群れが何度か襲ってきたが、その度にリュウガとヴァイスが処理してくれた。俺の出番は全くなかったな。

 そんな感じで特に何事もなく俺たちは崖を登り切り、無事に峡谷を越えることができた。


 峡谷の先には、緑豊かな高原が広がっていた。

 ライムライム高原。リュウガの話によると、此処は自然界の薬箱と呼ばれている土地で、豊富な種類の薬草やお茶の材料になる香草ハーブなんかが採れる場所らしい。

 此処には薬草を特産品としている街があり、それを扱う創造士が多く滞在していて、彼らが作っているポーションなどの薬品が他の街よりも安く手に入るのだそうだ。

 もちろんそれも街の魅力のひとつではあるのだが、何とこの街には──

「工房?」

「創造士が経営してる工房が山みたいにあるんだよ。何処も客を獲得するのに必死になってるから、他の街じゃ買えねぇような珍しい道具が色々売られてんだ。中にはオーダーメイドの魔法の武具マジックウェポンを作ってる工房もあるんだぜ」

 魔法の武具マジックウェポンとは、その名の通り魔法の力を宿した武器や防具らしい。

 斬ったものを燃やす火の力を秘めた剣だったり、高温に耐える水の力を秘めた鎧だったり、色々なものが存在しているそうだ。

 当然、その価格は普通の武具など足下にも及ばないくらい高い。魔法の武具マジックウェポンを所有することは一種のステータスであり、一流の戦士の証なのだそうだ。

 俺は魔法使いだから武具にはそれほど興味はないが、剣術士のリュウガにとっては夢みたいな場所なんだろうな。多分。

 せっかく立ち寄る街なんだし、記念に工房を見学するのもいいかもしれない。

 何事も経験というやつだ。

「よし、街に着いたら工房を見て回ろう」

「お、ひょっとして興味そそられた感じ? 何か欲しい武器でもあんの?」

「欲しい武器は特にないけど、せっかくだから一度くらいは見学しておこうかなって思ってさ」

「今の御時勢、魔道士も護身用の武器くらい持っといた方がいいぜ? あんた、腹たるんでるし運動苦手そうだし、如何にもおっさんって感じの体型だもんな」

 言って俺の背中をばしんと強く叩くリュウガ。

 彼なりの心遣いなのだろうが、一言余計だっての。

 ……そんなにおっさんって感じの体型なんだろうか、俺。

 俺は思わず自分の腹に目を向けて、右手で軽く腹の肉を摘まんだ。

「……お。見えてきたぜ。あれが創造工房の街、ハンネルだ」

 リュウガが指差した先に、うっすらと淡いエメラルドグリーン色の建物の連なりが見えた。

 高原の緑にエメラルドグリーンが自然に溶け込んで、一体化している。まるで花が咲き誇っているようである。

「早く行きましょっ」

 ローブの裾を跳ねさせながらフォルテが駆け出した。

 それに触発されたのか、ヴァイスも跳ねるように走り出す。

 俺は呆れ声を発した。

「こら、離れるんじゃない。団体行動の輪を乱すな」

 ころん、と草の上で一回転して立ち止まるヴァイス。

 ふふっ、とユーリルが笑った。

「楽しそうですね──」


 どんっ!


 言葉半ばで、彼はその場に倒れた。

 突然後ろから走ってきた何者かに、体当たりされたのだ。

 ユーリルの細い体が草地に伏す。その上を跨ぐようにして、彼に体当たりを仕掛けたその人物は俺たちの間を突っ切り、駆けていった。

 何かのしみだらけでぼろぼろの外套を全身に被っているせいで、年の頃も性別も分からない。だが、それほど背は高くない。せいぜい百五十センチとか、その程度だろう。随分とくたびれた革靴を履いており、手には見覚えのある書物を抱えている。

 黒の革張りで、表紙に複雑な形の魔法陣が描かれている──

 上体を起こしながら、ユーリルが呻いた。

「そんなっ、魔道大全集っ……」

「!」

 俺は咄嗟に右手の人差し指の先を外套の人物へと向けて、叫んだ。

「フローズンシール!」

 フローズンシール──氷魔法の一種で、空気中の水分を凍らせて氷の戒めを作り出す魔法である。束縛魔法とも言われる。標的を氷の中に封じ込めるだけなので殺傷力はないに等しいが、この魔法で生み出された氷は通常の氷よりも硬度が高いため、囚われたら人の力で砕くことはまず不可能だと言っていい。

 俺の放った魔法は辺りの空気を凍らせて、瞬く間に成長し大きな結晶となった。

 しかし、ハズレだ。魔法は肝心の外套の人物には届かず、外套の人物はそのまま俺たちの前から逃げ去ってしまった。

 ユーリルは頭を抱えながら地面の上で丸くなってしまった。

「まさか、盗まれてしまうなんて……お師匠様に何と言えばいいのか……」

「馬鹿か、男がそんな簡単に諦めてんじゃねぇよ」

 ユーリルの言葉を遮って、リュウガがはっと短く息を吐く。

 彼は腕を組みながら、外套の人物が逃げ去った方向を見やった。

 そこにあるのは──ハンネルの街。

「街の方に逃げたってことは……野盗の類じゃねぇな。体つきからしておっさんって感じもしねぇ。街に住んでる悪ガキか、そうでなけりゃ……」

 ぺろりと唇を舐めて、にやりとする。

「上等だぜ。冒険者から物を盗むってのがどういうことなのか、とっ捕まえてじっくり教えてやろうじゃねぇか」

「追いかけるぞ」

 俺たちは消えた外套の人物を追って駆け出した。

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