第30話 バルムンクの期待

「アルテマ!」

 先手を切ったのは俺だった。

 俺は魔法使いで、相手は騎士だ。その身体能力には圧倒的な差がある。接近戦を挑まれたら、元々そんなに運動能力が高い方ではない俺の方が不利なのは目に見えている。

 近付かれる前に相手の体力を少しでも削いでおきたい。そのためには、強力な一撃を叩き込んで力を浪費させるに限るのだ。

 アルテマは、精霊魔法の中で最強の威力を持っている魔法だ。いくら魔帝の直属の部下とはいえ、これを食らえばひとたまりもないはず。

 青白い光が、まっすぐにバルムンクめがけて飛んでいく。

 バルムンクが──動いた。

 手にした剣を水平に構えながら、そこに左腕をあてがい、迷うことなくそれを引く!

 皮膚が切れ、決して少なくない量の血が滴り落ちる。その血を剣の刃に浴びせながら、微塵も動じていない様子で、開口した。


「魔法剣技──アルテマソード」


 漆黒の刀身が、青白い光を纏う。

 ひゅ、と風を裂く音。虚空に光り輝く軌跡が生まれる。

 バルムンクが振るった剣は、俺が放ったアルテマの光を叩き切った。ばぁんっ、と鼓膜を思い切り殴るような派手な爆発音が響き、二つの光は同時に溶け落ちるようにして消失した。

「!?」

 渾身の一撃を防がれたという事実に目を見開く俺。

 それを悠然とした様子で見つめながら、バルムンクが笑う。

「魔法は、同じ威力の魔法をぶつければ相殺できる。魔道士ならば子供ですら知っていることだ。知らなかったか? それとも……我にアルテマを操るほどの力がないと思っていたか。だとしたら、随分と見くびられたものだな。我は騎士にして魔道士──魔法技術のみならば、決してジークリンデに後れは取らん」

 ジークリンデ……って、この前会った貴族みたいな見た目の女のことだよな。

 あいつもこの男と同等……ひょっとしたらそれ以上かもしれない力を持っているのか。

 やはり、魔帝に関わる連中はまともに相手にするもんじゃない。

 左腕から血を垂らしながら、こちらへと近付いてくるバルムンク。

「まさか、今の一撃で終わりではあるまいな?」

「そんなわけあるか!」

 俺は右腕を真横に払う仕草をした。

「サンダーストーム!」

 かっ、と目の前が眩い光に包まれる。

 無数に生まれた紫色の雷撃の帯が、目茶苦茶に荒れ狂いながら辺りに降り注いだ。

 サンダーストーム──広範囲に渡って強烈な雷撃を放つ雷魔法である。心臓が弱い人間が食らったらショック死するほどの威力があり、雷魔法の中では最上位に位置する魔法だ。

 アルテマと違って物理的な破壊力は皆無だが、効果範囲がとにかく広いため狙われたら避けづらいのがこの魔法の特徴だ。幾ら魔法を相殺する能力を持っていたとしても、これだけの雷の嵐を何とかできるほどの力は備わっていないと思いたい。

 雷撃を全身に浴びながら、バルムンクが全身を掻き抱く格好になる。

 そこに、横手から飛来した黄金の光の玉が直撃した!

 完全に不意を突かれた形になったバルムンクは吹っ飛んで、傍の壁に頭から突っ込んだ。崩れかけていた壁は完全に崩れて瓦礫となり、辺りに砂埃を巻き上げた。

 今の一撃を放ったのは──

「ウウウ……」

 犬歯を剥き出しにしたヴァイスが唸り声を上げている。

 ヴァイスは俺がバルムンクと戦っている様子を見て、バルムンクが自分たちに害を及ぼす敵であると認識したのだろう。

 バルムンクはがらがらと瓦礫を押し退けながら身を起こした。

 服の一部が微妙に焼けている……が、堪えている様子はあまりない。それほど鍛えているように見えない体からは想像も付かないような頑丈さである。

 奴はヴァイスを見つめながら、小さく溜め息をついた。

「その犬……ただの犬ではないな。召喚獣か。こんな小さな身に、これほどの魔法を操る力があるとはな」

「ヴァイスはハルが召喚した伝説のエンシェント・フェンリルよ。ハルは、あんたみたいな奴が敵うような相手じゃないんだから!」

 遠くから叫ぶフォルテ。

 ふむ、とバルムンクは何やら考え込むような仕草をした。

「対価なくして精霊魔法を自在に操り、それのみならず召喚魔法まで扱う力を持った魔道士……か。それほどまでの力を持つ存在でありながら、何故我が主のお考えを理解せぬのか……全く、人の思考というものは理解し難いな」

「力を持ってる人間全部が世界の頂点に立ちたがる奴ばかりだと思うなよ」

 俺はバルムンクを睨んだ。

「俺は、一人の人間として平穏に暮らしたい。それ以上の望みはない。それを邪魔しようとする奴がいるなら、それが魔帝だろうが何だろうが相手になってやる、それだけだ。もしもあんたがこの場で退くというなら俺はそれを追わないが、まだやるって言うなら気が済むまで相手になってやる」

「…………」

 バルムンクはしばらく無言で佇んでいたが、ややあって自分の中の問答に結論が出たのか、手にしていた剣を無造作に前へと放り投げた。

 手離された剣は地面に着く前に、細かい闇色の蛍火の欠片となって消えていった。

「……良いだろう。元々我の目的も、此処でお前を殺すことではない。お前のその言葉と面白いものを見せてくれた礼に免じて、この場は身を退いてやろう」

 左腕を濡らしている血を右手で無造作に拭い、その手で虚空に何かを描き始める。

 その形には見覚えがあった。かつてジークリンデも自らの血を使って描いていた、転移魔法を発動させるための魔法陣である。

 魔法陣を完成させたバルムンクは、最後まで余裕の態度を崩さぬまま、言った。

「お前は実に興味深い存在だ。是非とも我が手で仕留めたくなった。次に邂逅する時まで、せいぜい生きろ──下らぬ俗物如きにその命、くれてやるなよ」

 魔法陣から緑と黒が混ざった暗い色合いの光が生まれる。

 それに全身を包み込まれて、バルムンクはこの場から姿を消した。

 何とか……行ってくれたか。

 俺は深く息を吐いた。

 さっき俺があんな言葉を吐いたのは、ひとつの賭けだったのだ。

 正直に言うと、あのまま戦いが長引いていたら間違いなく俺の方が不利になっていた。下手をしたら殺されていたかもしれなかった。

 こっちにはまだまだ余裕があるというところを見せつけて、危機感を抱かせて、帰らせるのが目的だったのである。

 あいつが好戦的な奴じゃなくて助かったよ。

 とことこ、とヴァイスがこちらに歩いてくる。

 俺はその場にしゃがんでヴァイスの頭を撫でて、笑った。

「お前がいなかったらどうなってたか分からなかったな。ありがとな」

「わう」

 尻尾を振りながら返事をするヴァイス。

 本当にこいつは、俺にとっての守護神だよ。

「ハル、大丈夫?」

 バルムンクとの戦いを遠くから見守っていたフォルテとユーリルが駆けてくる。

 それと同時に、建物の向こうで何かが爆発する音が聞こえた。おそらく、誰かが魔法を放った音だろう。

 俺は笑みを浮かべていた顔を引き締めて、立ち上がった。

「一息つくにはまだ早いな。まだ、街の中にはあいつが置いてった虚無ホロウが残ってる。それを全部駆除するまでが、俺たちの役割だ」

「う、うん」

「行くぞ」

 俺たちはその場を駆け出した。

 そう遠くない場所から、虚無ホロウと未だに戦っている者たちの鼓舞の声が辺りの壁に反響しながら聞こえてきた。

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