第3話 おっさんは平穏に暮らしたい

 パラス王国は、俺が想像していた通りの、如何にもファンタジー世界に登場する街って感じの大きな国だった。

 煉瓦造りの家が立ち並ぶ街並み。大きな通りを馬車が走り、店頭に売り物を並べた商売人が威勢の良い声で呼び込みを行っている。

 道行く人々は、実に様々な服装をしている。がっちりと鎧を着込んだ明らかに旅人と分かる雰囲気の若者や、荷車を引いたちょっと小ざっぱりとした格好をしている恰幅の良い中年の男など、その顔ぶれは賑やかだ。

 俺たちが目指す城は、王国の中心地にあった。

 大きな堀に囲まれた、巨大な白い建築物──ドイツとかにある城を彷彿とさせる歴史のありそうな建物だ。

 城の入口に立っている兵士は俺を見るなり手にした槍を突き出して行く手を阻んできたが、同行している隊長が俺のことを姫の客人だと説明してくれたお陰で、すんなりと城の中に入ることができた。

 城内は、煌びやかな光に包まれた美しい世界だった。

 これは、ゴシック建築というやつだ。この世界ではこういう建築法のことを何と呼んでいるのかは知らないが、左右対称の造りが特徴の、如何にも城って感じの構造をしていた。

 廊下に敷かれた臙脂色の絨毯は、丁寧に掃除をされているらしく汚れひとつ付いていない。

 壁に飾られた絵画や並んでいる甲冑なんかも、そこそこ金をかけられているものであるらしいことは分かる。

 何処の世界も、金持ちがやることってスケールが違うよな。

 城内の様子を見物しながら、俺は隊長の案内で謁見の間と呼ばれている部屋へと向かった。

 謁見の間はやや広い間取りを備えた部屋で、壁には綺麗な装飾を施された剣や美しい花が描かれた盾、この国の紋章なのだろうか何かの模様が描かれている旗なんかが飾られていてそこそこ見た目は賑やかだった。

 空間の奥の方に一段高くなっている場所があり、そこに立派な椅子が置かれている。

 おそらくあれは王様が座るための椅子なのだろうが、現在はその椅子に座っている者の姿はない。

 その代わりに、その椅子の傍らに佇んでいる一人の騎士の姿があった。

 背は、百八十センチある俺と同じくらいだ。長い銀髪を三つ編みにしており、群青色の鎧を纏って巨大な剣を背負っている。左耳の上には髪飾りだろうか、真っ白な羽根を花のように束ねた飾りを着けていた。

 鼻筋がすっと通っており、白い肌には傷ひとつない。きりっとした顔立ちはまさに戦乙女ヴァルキリーのようである。

 おそらく彼女が、騎士でもあるこの国の姫君──アルファーナなのだろう。

 彼女は部屋に入ってきた俺たちを見て、引き締まった表情のまま口を開いた。

「帰ったか、ソルテス。その様子だと無事に虚無ホロウは討伐できたようだな」

 この隊長、ソルテスって名前なんだな。

 ソルテスはアルファーナに向けて深く頭を下げると、その虚無ホロウを倒したのが俺であることと、俺がフォルテの召喚魔法によって異世界から召喚された人間であること、俺が対価もなしに最強魔法であるアルテマを使ったことを彼女に説明した。

 アルファーナは彼の話を驚いた様子で聞いていた。特に俺が対価もなしに魔法を使ったことには絶句していたようだった。

 やがて、ソルテスの話が終わると。

 彼女は俺の目をまっすぐに見据えて、こんな話をした。

「召喚勇者である貴君は知らぬかもしれないが……此処では、魔道士が魔法を行使する時には対価が必要となるのだ」

 そういえば、兵士たちも言ってたな。対価って?

 アルファーナ曰く。対価というのは魔法を発動させるために必要な代償のことらしい。

 人間には、元々魔法を使うための力は備わっていないという。それを何とか使用できるようにするために、対価という触媒のようなものを用いて力を具現化させているというのだ。

 その対価というのは──生命力。体の一部分となるもの。

 人によって用いる箇所は様々らしい。多くの場合は髪の毛を一本引き抜いてそれを対価にするそうだが……中には爪の欠片を使ったり、血を用いる者もいるのだそうだ。

 強力な魔法を使うには、それに応じて多くの生命力が含まれた対価が必要になるのだという。例えば俺が先の戦いで使ったアルテマなんかは、髪一本程度の対価ではとても発動させることなどできないらしい。

 それで、皆驚いてたのか……納得したよ。

 どうやら、俺は自分で考えていたよりも大分非常識な力を持った魔法使いになってしまったらしい。

「貴君ならば……魔帝を討ち滅ぼすことも可能かもしれないな」

 アルファーナは俺の目の前に近付いてきて、両手を取った。

「頼む。我らと共に魔帝と戦ってはもらえないだろうか。奴の操る魔法に対抗するためには……貴君のような、優れた腕を持った魔道士が必要なのだ」


 この世界には、魔帝と呼ばれる存在がいるらしい。

 魔帝の目論みは世界を支配すること。そのために虚無ホロウと呼ばれる魔法で生み出された人造生命体を世界各地に放ち、自らも時折表舞台に立っては人々と争っているのだという。

 要は、魔王のようなものなのだろう。世界征服を狙う強大な悪がいるというのはファンタジー小説なんかでは王道の展開だ。

 この世には、魔帝と戦って既に滅ぼされてしまった国なんかが数多くあるという。

 魔帝はまるで呼吸をするように魔法を自由に操ることができるらしい。その底なしとも言える魔法の力に対抗するためには、対価という有限の代償を払って魔法を行使する普通の魔法使いではなく、そいつと同等の威力を持つ魔法を操れる優れた魔法使いの力が必要なのだそうだ。

 アルファーナが、俺の持つ魔法の力に大きな期待を寄せていることは分かった。

 俺も、人に頼りにされて表舞台に立つことは嫌いではない。男らしく、彼女の頼みを聞いてもいいんじゃないかとは思っている。

 しかし、二つ返事で頷けない理由が俺にはある。

 俺は、この世界に来たばかりの普通の人間なのだ。この世界のことどころか自分の魔法の力についてもまだろくに分かっていない状態だというのに、その状況で魔帝討伐などという大それた使命を背負うというのは……

 それに、俺だってせっかく来た異世界なのだから此処での生活を満喫したいという気持ちがある。

 息つく間もなく戦いだらけの生活に身を投じるのは勿体無いと思うのだ。

 この世界で長く暮らして、色々と慣れたら魔帝討伐を引き受けてもいい。でもそれまでは、普通の旅人らしく、この世界を色々と見て回りながら過ごしたい。

 さっさと魔帝を倒して世界を平和にした方が異世界生活を満喫できるんじゃないかって? そこはそれ、これはこれだ。

 俺が幾ら人よりも優れた魔法の力を持っているとはいっても、それが魔帝を倒せることに繋がっているわけじゃないし。

 面倒事を背負うのは社畜生活だけで十分なのである。

 期待の眼差しで俺を見るアルファーナに、俺は告げた。

「俺は……まだこの世界に来て間もないですし、魔法の力を自由に使えるわけでもないので、もう少し自分の能力やこの世界のことに慣れてから行動したいと思っています」

 彼女の手をそっと振り解き。

 意思は固いのだと主張するように、はっきりと言う。

「いつか必ず、魔帝とは戦います。それまで待っていてもらえないでしょうか。なるべく早く、戦えるようになりますから」

「……そうか」

 彼女は残念そうに肩を落として、応えた。

「貴君の言うことももっともだ……承知した、その時が来るまで、魔帝の脅威は我々の力で何とか払ってみせよう。その日が一日も早く来ることを願っているぞ」

 そう言って、彼女は俺の背後に佇んでいたフォルテに視線を移した。

 急に注目されたフォルテは、目をぱちくりさせて間の抜けた声を発した。

「ほぇ?」

「フォルテ・ユグリ。勇者殿を召喚した者として、お前も勇者殿の旅に同行しろ。行く先で勇者殿が困るようなことがあったら、お前がそれを助けるんだ」

「え……ええ?」

 アルファーナの言葉に、フォルテは明らかに困り顔になって主張した。

「そんな、私は召喚士ですよ? 魔道士みたく火を熾したり雷を放ったりできませんよ? それで魔帝討伐の役に立つとは──」

「勇者殿はこの世界の理を御存知ない。それを教えるために付いて行けと言っているんだ。幾ら未熟な召喚魔法しか使えないお前でも、旅に必要な基本的なことは一通りできるだろう」

「ええー……」

 フォルテは渋い顔をして俺を見た。

 何だよ、こんなおっさんと二人旅するなんて御免だとでも言いたげな顔だな。

 断じて俺はおっさんじゃない。その辺の若者なんかにはまだまだ負けんぞ!

 胸中でぼやきながら、俺はフォルテに対して右手を差し出した。

 思うことは色々あれど、俺がこれから先生活面で彼女の世話になるであろうことは紛れもない事実なのだ。挨拶はきちんとする。それが大人の男としての礼儀である。

「なるべく迷惑は掛けないようにするよ。これから宜しく頼む」

「……まあ、アルファーナ様に言われちゃ仕方ないわね。面倒見てあげるから、早くこの世界での生活に慣れてね?」

 フォルテは俺が差し出した手をそっと握った。

 彼女の手は柔らかく、温かかった。

 伊藤さんの手もこんな風に温かかったんだろうか……そんなことを思いながら、俺は表情を引き締めた。


 こうして、俺の魔法使いとしての異世界生活は人々の期待を背負いながらその幕を上げたのであった。

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