少年は目覚める
「ん……」
重たい瞼を開けると、見慣れない天井が目に入る。
「ここは……」
鼻腔をくすぐる消毒液の匂いが、ここがどこなのかを答えてくれる。
「そうだ、僕は確か……」
自分がどうしてここにいるのか、思い出すと同時に身体が雑ではあるが、手当てされていることに気付いた。
手当てしてくれたのは、十中八九アルティだろう。
カインは上半身を起こすと、教え子の少女を探すが、姿が見当たらない。
まさか一人でミリィを助けに行ったのでは? という恐ろしい可能性に行き当たるが、それは杞憂に終わった。
なぜなら、ベッドを仕切るカーテンが開かれ、アルティが入ってきたから。
「アルティさん」
「え……」
名前を呼ばれ一瞬呆けた顔をしたが、すぐさま顔をくしゃくしゃに歪めてカインに抱きついた。
「うええええん! 良かった! 生きてたよお!」
「アルティさん、痛いです」
遠慮なしに抱きついた腕が、カインの傷に響いてたまらないが、アルティは意に介さない。
普段は強気な彼女の面影はどこへやら。
「私を庇ったせいで酷いケガをしたから、死んでしまったらどうしようかと思ってたの! 本当に生きてて良かった!」
「分かった、分かりましたから。アルティさん、一旦落ち着いてください」
その後、数分間に渡って言い聞かせることで、ようやく落ち着いた。
「あれからどれくらい時間が経ちましたか?」
「そうね……大体三時間くらいかしら?」
「そんなに……」
予想外の時間の浪費に、カインはほぞを噛む。
「でも本当に起きたてくれて良かったわ。途中うなされてたのか『許してください』とか言い出した時は、もうダメかと思ったもの」
「……僕、そんなことまで言ってたんですか?」
「ええ、言ってたわよ。あなた、いったいどんな夢を見てたの?」
アルティが好奇心で訊いてくるが、まさか正直に答えるわけにもいかない。カインは即座に話題を変える。
「そんなことより、早くミリィさんを助けに――」
言いかけて、カインの全身を激痛が駆け巡る。
突如全身を走る痛みに、流石のカインも顔をしかめる。
アルティが手当てをしてくれたが、所詮は応急処置。全快には程遠い。
「ミリィを助けに行くのは、もう少し休んでからにしましょう」
カイン以上にミリィを心配しているはずのアルティが、そんな提案をする。
申し訳ないと思いながらも、カインもありがたく受け入れる。
「感謝します、アルティさん」
カインは再びベッドに背を預けて寝転ぶ。たったそれだけの行為で、身体が楽になったように感じる。
そこからしばらくの間、特にどちらから話すこともなく、静かに時が流れる。
だがこの沈黙は、アルティが口を開くことで破られる。
「……ごめんなさい」
「いきなり謝罪なんてどうしたんですか、アルティさん?」
アルティの謝罪の意図が読めないため、カインは首を捻るしかない。
「だって、その……あなたがそんな大ケガをしたのは、私を庇ったせいでしょう?」
「気にしないでください。あれは敵の策を見抜けなかった僕のミスです」
「でも、あなた一人なら無傷でいられたんじゃないの? 私が足を引っ張ったから、こんなことになったんでしょう?」
アルティの言っていることは事実だ。
確かにカイン一人なら、リヴルの代償魔法も難なく回避できるだろう。
だがあの時はアルティもいた。
アルティはただ一人だけ状況を飲み込めていなかったため、逃げるのが遅れてしまった。
見捨てることは簡単だが、それができるほどカインは非情に徹し切れなかった。
結果としてカインは重傷を負ったが、アルティを守れたのなら後悔はない。
「気にしないでください。僕が勝手にしたことです」
「私が気にするの! 無茶を言って付いてきたのに、結局私はあなの足手まといにしかなってない!」
アルティが声を張り上げ、反論する。普段の彼女とはかけ離れた様子に、カインも目を瞬かせる。
「どうして私を助けたの? あのまま見捨てていれば、今頃はミリィを助けられたかもしれないのに……」
アルティの言っていることは、所詮仮の話でしかない。
今更持ち出したところで意味がないことは、アルティも分かっているはずだが、やめる気配はない。
「ねえ、どうして? 私に助けられる価値なんてないでしょう?」
「……アルティさん、それは違いますよ」
「え……?」
「僕がアルティさんを助けたのは、価値の有無ではありません。仮にも僕は教官。そしてあなたは、僕の教え子です。教官が未熟な教え子を助けるのに理由なんて必要ありませんよ」
そう言って、カインはベッドから出て立ち上がる。
ケガを負ったことを感じさせない軽やかさだ。
「アルティさんは無価値なんかじゃありません。こうして、僕のケガの治療もしてくれました」
治療というにはあまりにも稚拙なものだが、それでもカインにとっては十分だった。
「カイン……」
感極まったという表情と共に、目尻に涙が溜まる。
「それに、僕はアルティさんを庇ったことは後悔していません。こうしてアルティさんを守ることができたんですから」
「何よそれ……まるで勇者様みたい」
「勇者? 僕がですか?」
アルティの口から出た意外な言葉に、カインは目を丸くした。
そんなカインの反応が面白いのか、アルティは微笑む。
「だって、自分が傷付くことも恐れず誰かのために動けるなんて、噂に聞く勇者様そのものじゃない」
「僕はそんなに大した人間じゃありませんよ……」
アルティの言葉で、カインに自虐的な笑みが刻まれる。
「前に、同族で戦争をする人類に守る価値はないと話したのは覚えていますか?」
「え、ええ……」
唐突に話題を変えるカインに、アルティは目をぱちくりさせる。
「本当は分かっていたんですよ、魔物との戦いが終わればどうなるか。分かっていたのに、僕は戦った。目の前で苦しむ人を見たくないという自分勝手な考えで」
「…………!」
魔物との戦争が終わっても、次は人間同士の戦争。どう転んでも人間は争うことをやめない。
それならば、同族で殺し合うよりも異形の怪物と戦い続ける方がマシだろう。
だがカインは、苦しむ人々がいることを知りながら達観できるほど大人ではいられなかった。
「分かりましたか? 僕はこういう人間です。自分の罪から目を免らして、人類を憎む……卑しい人間なんですよ」
カインは笑う。まるで自身を嘲るように。
戦争が終わって二年。エヴァにすら明かしたことのない本心を、カインは初めて明かした。
軽蔑されたかもしれない。カインはそう思ったが、
「そんなことはない!」
アルティの一喝がカインの予想を吹き飛ばす。
「人のために戦うことが間違いのはずないじゃない! そんなこと言う奴がいるなら、私がぶっ飛ばしてやる!」
「アルティさん……」
「あなたは間違えていない。私が保証するわ」
「…………ッ」
不意に目頭が熱くなる。
目の前にいるはずのアルティの姿がぼやけてしまう。
「ちょっ、何で泣いてるの!? 私何か泣かせること言った!?」
「……泣いてません」
急いで目元の涙を拭い誤魔化すが、すでにアルティはしっかりと目に焼き付けていた。
「嘘ばっかり。私、ちゃんと見てたわよ。ねえ、どうして泣いたの?」
「だから泣いてませんって。それより、休息はもう十分です。早くミリィさんを助けに行きましょう」
底意地の悪い笑みのアルティに背を向け、カインは医務室の出口に足を向ける。
「あ、ちょっと逃げないでよ!」
それを追う形で、アルティも医務室を出るのだった。
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