少年は夢を見る
「これで大丈夫……よね?」
どこか自信のないアルティの声音が室内に響く。
目の前には全身包帯まみれのカインがベッドに横たわっている。
あの後、アルティはカインを抱えて治療のために医務室へ駆け込んだ。
本当はすぐにでもミリィを助けに向かいたかったが、自分一人では何もできないことを理解していた上、カインを見捨てられるほど非情になり切れなかった。
アルティは他人の治療などしたことがないため、多少雑になってしまったが応急手当と言える程度の処置はできている。
身体が焼けただれたこと以外にもリヴルとの戦闘でできた傷も治療が必要かと思われたが、そちらは杞憂に終わった。
傷口も焼けたことが幸いして出血も止まっている。これで失血死することはなくなった。
「…………」
自分にできる最大限のことはしたつもりだ。後はカインが目を覚ますのを待つだけ。
そこまで考えて、アルティは先程の治療中に気になっていたことを思い出す。
カインは背中でアルティを庇ったため、後ろの負傷が特に酷かった。
なのでアルティは真っ先に背中の手当から始めたのだが、そこでおかしなものを目にした。
カインの背中に円形の陣と幾何学的文字が刻まれていたのだ。
最初はタトゥーかとも思ったが、わざわざ背中に彫る意味が理解できない。しかも、カインは嬉々としてタトゥーを彫るような人間には見えない。
結局、背中のそれが何なのかは分からずじまいだ。ただ、
「何か不気味なのよね……」
何となく、良くないものであることは直感していた。
――それは二年前、魔王討伐から数日経った王城でのことだった。
時刻は日付が変わり始める深夜。
昼間は国の重鎮や城の従者が行き交う王城も、今ばかりは静寂に包まれている。
そんな中を五つの人影が歩いていた。
「こんな時間に呼び出しってどういうことっすかね、カイン先輩?」
先頭を歩くカインに話しかけたのは長耳と肩にかかる金髪が特徴のエルフ少女、エルザ。エルフに伝わる木々の葉を使った服がよく似合っている。
エルフらしく長寿で何百年も生きているはずなのに、なぜかカインのことを先輩呼びしてくる。
一見すると見目麗しい華奢な少女だが、実際は後衛として弓と魔法を巧みに操り、仲間のアシストを得意とする立派な戦士だ。
「確かにこの時間帯に呼ぶ意味は理解できませんね。まあ、本人に直接訊けば分かることです」
「それはそうっすけど……自分は気になるっす! アルマはどう思うっすか!?」
後ろから無言で付いてくる全身鎧に話を振る。
「…………」
「何か答えてくれっすよお!」
エルザが嘆くがアルマは無言を貫く。
完全な無視だが、いつも通りなので他の者は指摘しない。
アルマは全身鎧という見た目通り、前衛――それも壁役を務めている。
いかなる攻撃も耐え凌ぎ、決して動じることはない究極の盾として仲間内で絶大な信頼を集めている。
ただ、そんな信頼とは裏腹にアルマは非常に寡黙で大人しい。たまに話すことがあっても二、三言だけ。
「酷いっすよアルマ!」
「…………」
「はいはい、二人共落ち着いて」
海のように深い蒼色の髪を腰まで伸ばし、黒を基調とした修道服を見に纏っている少女が、不穏な空気の流れ始めたエルザとアルマの仲裁に入った。
少女の名はジャンヌ。十六歳という若さでヴェルテイマ王国において、国教とされるシルティス教の教主を務めている。
聖術と呼ばれる魔法とは別体系の術を操り、後衛として仲間に貢献している。
「もう、二人はどうしていつもケンカするの?」
「だってアルマが……!」
「…………」
「言い訳しない!」
エルザだけでなく、なぜか何も言っていないアルマにまでジャンヌは雷を落とす。
「……カイン、あれは止めなくていいのかい?」
「いつものことじゃないですか。ジャンヌに任せておけば大丈夫ですよ」
三人のやり取りをはたから見ていた妙齢の女性――エヴァがカインに訊ねるが、返ってきたのは素っ気ない答えだった。
「ははは、手厳しいね。まあそれはそれとして……実際のところ、なぜこの時間帯を選んだと思う?」
「……どうして僕にそんなことを聞くんですか?」
今丁度、呼び出した本人のところに向かっているので、わざわざ考える必要はないはずだ。
「いや、何となく嫌な予感がしてね……」
「やめてくださいよ。師匠のそういう予感は当たるから笑えません」
悪いものほどよく的中させるエヴァの予感に、カインは険しい表情を作る。
「それに呼び出した相手はこの国の主――国王ですよ? 師匠の言う嫌な予感が、国王陛下に降りかかったらどうするつもりなんですか?」
「別にいいだろう? あいつ無能だし」
下手すれば極刑ものの発言だが、エヴァはそんなものを恐れるほど肝の小さい人間ではない。
「失礼ですよ、師匠。世の中には、言っていい事実と悪い事実があることを知らないんですか?」
カインもカインで、失礼極まりないことを平然と言ってのける。
「あなたも十分失礼よ」
カインの頭に何かが落ちる。
振り返ると、お説教を終えたらしいジャンヌが手刀を振り下ろしていた。
ジャンヌは聖術を使えること以外はただの少女なので、カインにはまったくダメージがない。
「私たちが呼び出される理由なんて一つしかないでしょう?」
そこで一旦話を区切ると、ジャンヌは得意げな表情を浮かべる。
「私たちは、長年続いた魔物との戦争を終わらせ、人類を平和に導いた英雄よ? きっと国王陛下から直々に報奨が頂けるのよ」
「それはないですね」
「それはないね」
「ありえないっす」
「…………」
三人から即座に否定される。無言のアルマも、三人に同意するかのように首を縦に振っている。
「あなたたちねえ、少しは国王陛下を敬おうという気持ちはないの?」
「だって、あの国王だよ?」
「それは……」
憤慨を露にしていたジャンヌだが、エヴァの一言で勢いがなくなる。
一連の会話から、この国の王がどういった人物かは察することができるだろう。
「平和……ですか」
「カイン何言ったかい?」
「いいえ、何も」
ただ一人、カインだけは『平和』という言葉に引っ掛かりを覚えたが他の者には聞き取れなかった。
その後もしばらく他愛ない話をしていたが、気が付くと一同は目的地である王室の前まで来ていた。
カインが扉を軽くノックすると「入れ」と部屋の主から許可を得る。
「それでは行きましょう」
五人が王室に踏み込む。するとそこには、
「……これはどういうことですか?」
室内にアルマのような全身鎧の集団が、ところ狭しと並んでいた。
白銀に王家の紋様が胸の位置に刻まれた鎧を着込んでいることから、国王の親衛隊であることが見受けられる。
しかも全員、槍の先端をカインたちに向け、敵意を隠そうともしていない。
「よく来たな、カイン=エルドフ。いや、魔王倒した今となっては勇者とでも呼ぶべきか?」
声の主は親衛隊の波の向こう、部屋の最奥の玉座に座っていた。
歳は六十を過ぎたくらいだろう。白髭を手で弄りながら、邪な笑みと共にカインたちを見据える。
「どちらでも構いません。それよりも、この状況の説明をしてください。国王陛下」
鋭い眼光が国王を射抜くが、国王は余裕の態度を崩さない。
「いいだろう。端的に言うとな、ワシは貴様が怖いのだよ、勇者」
「僕が……怖い?」
「そうだ。先日、貴様は魔王を一人で倒した。これは事実だな?」
「はい、その通りです」
魔王とは、仲間内で最も強いカインが一人で戦った。
残りの四人はカインの戦いに邪魔が入らぬよう、配下の魔物の足止めをしていたため、魔王との戦闘に参加していない。
「貴様が仲間と協力して魔王を倒したのなら、何も問題はなかった。だが貴様は、たった一人で魔王を倒してしまった。地上最強の魔物たる魔王を」
魔王の部分を異様に強調してくることに、カインは違和感を覚える。
「ワシからすれば、今の貴様は魔王を越える化け物にしか見えない。そんなのが同じ人類にいるなど、恐怖を覚えても仕方ないだろう?」
あまりにも残酷な言い分。とてもではないが、人類を救った英雄に対する仕打ちではない。
「ふざけないでください!」
国王の言い分に異議を唱えたのは、ヴェルテイマ王国の聖女とまで呼ばれた少女、ジャンヌだった。
いや、ジャンヌだけでない。エルザとアルマも口こそ開かないが、憤怒を宿した瞳で国王を睨み付ける。
「カインは人類を救った英雄です! そんな彼を化け物扱いするなんて、あなたには心がないんですか!?」
「随分な言い草だな、ジャンヌ。国王たるワシの意向に逆らうつもりか?」
「もしあなたがカインを害するのなら」
ジャンヌがカインを背に庇いながら宣言する。
「害するか……ジャンヌよ、貴様は一つ勘違いをしているぞ。確かに勇者は恐ろしいが、だからといって殺すつもりは毛頭ない」
「え……?」
国王の意外な言葉に、ジャンヌたちはきょとんとする。
「仮にも勇者だぞ? いくら恐ろしいからといっても、流石に殺すほどではない」
次の瞬間、ジャンヌは自分がとんでもない勘違いをしていることに気付き、顔を紅に染める。
「そ、そうですか……」
自身の失態を恥ずかしそうにしながらも、ジャンヌは安堵の吐息を漏らすが、
「ただ、力を封印させてもらうだけだ」
続く言葉が、再び剣呑な空気を作り出した。
「王族にのみ代々伝わる封印魔法があってな。対象に魔力の一切合切を封じることができる刻印を刻むのだ。これならば、勇者を殺すことなく無力化が可能だ」
「……本気で言っているんですか?」
「もちろんだ。ワシの考えに何か問題はあるか?」
国王は、自身の考えをまったく疑っていないようだ。
「というわけだ、勇者よ。ワシに協力してくれるな?」
「僕は――」
「カイン、もうこの男と話をする必要はないわ」
カインの言葉を遮り、ジャンヌは一歩前に出る。
「勇者以外には用はないのだがな……ワシに逆らうつもりか?」
「カインは大切な仲間よ。あなたの好き勝手にはさせないわ」
「勇ましいのは結構だが、ワシに逆らうことの意味を本当に理解しているのか?」
国王が脅すように言葉を重ねる。
「まず、この場にいるワシの親衛隊が貴様らを逃がしはしない。仮に逃げれたとしても、貴様らは逆賊として国中――いや、世界中に追われることになるぞ。それでもいいのか?」
国王としての権力を最大限まで利用した脅迫。逆らえば未来はないだろう。しかし、
「構わないわ。仲間を売るくらいなら、死んだ方がマシよ」
ジャンヌたちは決して屈しないという態度を示す。
「……仕方ない。やれ」
落胆の声音で、国王が容赦なく指示を飛ばす。
親衛隊の内数名がカインたちの元へ殺到する。
「アルマ、お願い」
「…………」
アルマは無言で頷くと、背中にかけてあった戦斧を両手で構える。
親衛隊は警戒して足を止めるが、アルマは構うことなく戦斧を振り抜いた。
親衛隊はアルマの攻撃範囲外にいるため、戦斧は空を切るが、振り抜いた際に発生した風圧が親衛隊を襲う。
親衛隊は発生した風圧に一切抵抗することができず、壁に叩き付けられ倒れた。
国王が誇った親衛隊も、人類を救った英雄たちの前では、赤子に等しい。
「……まさか、この程度の実力で私たちを止められるとでも思ったの?」
ジャンヌは国王を挑発するように、余裕の笑みを浮かべる。
「ぬう! 奴らを捕まえろ! 最悪殺しても構わん!」
声を荒げる国王。仲間を一瞬で倒され呆然としていた残りの親衛隊も、国王の命令で動き出す。
だが結果は先程と同じ。
アルマの一撃によって、壁に激突する親衛隊。
「バ、バカな……」
目の前の惨状に、国王は愕然とするしかない。
「……行きましょう、みんな」
ジャンヌは、それだけ短く言って反転し扉に向かう。他の者もそれに追従する。
「ま、待て! 貴様らは本当にそれでいいのか!? 今勇者を差し出せば、どんな願いも叶えてやるぞ!?」
「仲間を差し出してまで欲しいものなんてないわ」
「ぬうううううううう!」
心底悔しげに唸る国王。最早説得は不可能だと悟る。
――この時、ジャンヌたちは気付かなかった。自分たちの中に裏切り者がいることに。
「――許してください」
小さな呟きと同時に、まずエルザが音もなく倒れた。
「エルザ!?」
続いて、倒れたエルザに気を取られているジャンヌが狙われる。
「…………!」
だが、ジャンヌを狙った一撃はアルマが身体で防ぐ。
「……流石に全員は無理ですか」
「なぜジャンヌを狙った、カイン?」
寡黙なアルマが口を開いたことに、一同は目を丸くするが、それ以上にアルマの放った言葉でカインに視線が集まる。
「どういうことなの、カイン!?」
「…………」
カインは何も語ることなく、再びジャンヌを襲う。
しかしアルマが許すはずもなく、結果は同じ。
仲間内でも最硬の盾であるアルマの壁を突破することは、カインでも難しい。
どうしたものかとカインが思案していると、救いの手は意外なところから現れた。
「【スリープ】」
いつの間にかアルマの背後に回り込んでいたエヴァが、アルマに睡眠魔法を放つ。
「…………!」
最硬の盾も魔法には耐えられず、その場に崩れ落ちた。
「アルマ!」
ジャンヌが叫ぶように名前を呼ぶ。しかし、それは付け入る隙を与えるだけ。
「君も眠りたまえ【スリープ】」
アルマを眠りへと誘った魔法が、今度はジャンヌへと向けられる。
「く……!」
抵抗する素振りを見せたが、ジャンヌも結局はアルマと同じ結末を辿る。
「これでいいんだろう、カイン?」
予め計画されていたかのような手際の良さだが、打ち合わせといったものはしていない。
しかし、実際にこうしてジャンヌたちの無力化には成功している。
これは二人が、師弟だからこそ為せる技といったところだろう。
「感謝します、師匠」
カインはエヴァに謝意を述べると、国王の方に振り返る。
「国王陛下、僕はあなたの言う通りにします。その代わり、一つだけ僕のお願いを聞き入れてはもらえませんか?」
「な、何だ、言ってみろ……」
カインの仲間への暴挙に呆気に取られていた国王は、慌てて問う。
「仲間の先程までの国王への無礼をお許しください。それだけを飲んでいただければ、僕のことは煮るなり焼くなり好きにして構いませんから」
「ほ、本当にそれだけでいいのか?」
「はい、それで十分です」
半信半疑で国王が訊ねるが、カインは即答する。
カインの真意は読めないが、国王からすれば願ったり叶ったりの好条件。
「そうかそうか! ならば早速――」
「ふざけないで!」
叫ぶように声をあげたのは、エヴァの魔法によって眠らされていたはずのジャンヌだった。
「おいおい、嘘だろう? まさか、もう起きたのかい?」
「残念ですね、エヴァさん。私も少しは、魔法に対する耐性を持っているんですよ」
したり顔のジャンヌ。王国最高の魔法使いを魔法で出し抜けたのだ。そんな顔になるのも仕方ないだろう。
「ねえカイン、一緒に逃げましょう? 私たちが力を合わせれば敵なんていないわ」
「ダメですよ……ジャンヌ。僕はあなたたちとは一緒に行けません」
「どうしてよ!?」
ジャンヌはカインがなぜ断るのか理解できず叫ぶ。
「僕が言う通りにするだけで、全てが丸く治まるんです。誰も傷付くことがないのなら、僕はそれだけで十分です」
「誰も傷付かないなんて嘘よ! あなたが傷付くじゃない! どうしてあなたはいつも、自分のことを大切にしないのよ!」
ジャンヌは声を荒らげるが、カインは決して揺るぐことがない。
このまま話しても説得は不可能とでも悟ったのか、ジャンヌは話す相手を変える。
「エヴァさんはいいんですか!? カインが――自分の弟子が国王に好き勝手にされても!」
「いいわけがないだろう。だが、これはカインの願いなんだ。弟子の初めてのワガママ、師匠として聞かないわけにはいかないよ」
つまり、エヴァはカインではなくカインの願いを取ったということだ。
「そんな……」
最早希望は絶たれた。
この場にジャンヌの味方をする者はいない。
「私たちは、守ってほしいなんて頼んでない……なのにどうしてあなたは――」
「ごめんなさい」
カインが、目にも止まらぬ速度でジャンヌの背後に移動し、続いて手刀を放つ。
「バカ」
今にも泣き出しそうな顔でそれだけを言い残し、ジャンヌは音もなく倒れる。
後に残ったのは静寂。
いつまでも続くかと思われたが、カインがあっさりと破る。
「師匠、後で僕の代わりに彼女たちに謝っておいてください」
「分かった。約束しよう」
「お願いします」
短い言葉を交えて、カインは再び国王の方に視線を送る。
「お待たせしました、国王陛下。先程言っていた封印魔法を始めてください」
「あ、ああ、分かった」
国王が玉座から腰を上げ、カインの元へ歩き出す。
――強すぎる力は、時に自身にすら害を及ぼす。そのことをゆめ忘れるな。
「ははは……」
今になって魔王の言っていたことの意味が分かり、思わず笑ってしまう。
「それでは始めるぞ。背中を見せろ」
国王の指示に従い背を向ける。
後悔はない。カインにとって、仲間を守れるのなら自分の身など安いものだから。
しかし、一つだけ心残りがある。
仕方ないこととはいえ、仲間を騙し討ちしたこと。それだけが、しこりのように胸に残った。
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