少女の決意

 ヴェルテイマ王国を出て北へ進むと、小鳥のさえずりが響く緑豊かな森が存在する。

 人の管理を受けていない自然を感じることができる。

 一度立ち入れば、木々独特の香りが鼻腔をくすぐる、そんな場所だ。だが、

「おええええええええ!」

 森の中を進むいくつかの馬車の内の一つ。

 その一つに付いている窓から顔を出し、吐瀉物を撒き散らしている女性がいる。

 おかげで森は現在、鼻を摘ままずにはいられない異臭が立ち込めていた。

「学園長! こんなに綺麗な森に汚物を撒き散らすのはやめてください!」

「し、仕方ないじゃないか! こっちは酒の飲みすぎで二日酔いなんだ!」

「そもそも、国王からの直々の依頼の前日に酒を飲むのが間違っているんです!」

 学園長ことエヴァは、馬車の同乗者である同僚の女教官からお小言を頂戴していた。

「二日酔いと馬車の揺れのダブルパンチが、何とも言えない吐き気を促して――おええええええええ!」

「うぷ……」

 いっそ清々しいほどの勢いで、エヴァは嘔吐する。

 そんな様子を見て、女教官も釣られて吐き気を催してしまうが何とか耐える。

 そこから地獄のような時間が続いたが、しばらくすると落ち着いた。

 ある程度時間が経つと、エヴァも出すものを出し切ってスッキリしたのかいつもの調子に戻っていた。

「……それにしても、本当にここに魔物はいるんでしょうか?」

「どうだろうねえ」

 チラリと窓の外に視線を移すと、鹿が近くを通り通りかかった。

「本当に魔物がいるのなら、どうしてこの森はこんなにも平和なのでしょうか?」

 魔物というのは、酷く獰猛な生き物だ。

 他の生き物を敵としか見ていない。

 鹿のようなか弱い動物など、真っ先に全滅に追いやられるだろう。

「……何か嫌な予感がするね」

「嫌な予感……ですか?」

 女教官はエヴァの言葉に首を傾げる。

「これは二年前の戦争時のような……どこかひりつく感じに似ているね」

 根拠のない予感にすぎないが、女教官は険しい表情になる。

 言っているのが名も知らない有象無象ならともかく、王国最強の魔法使い、エヴァ=クリスティンならば話は別だ。

 彼女の予感は、良くないものほどよく当たる。

「他の者にも注意を呼びかけましょうか?」

「ああ、頼むよ」

「分かりました」

 女教官は頷くと御者に指示を出して、馬車を止めさせる。

 それに合わせて他の馬車が止まり、中にいた教官が出てくる。

 しかし、エヴァは馬車から出ることなく、ここにはいないカインのことを思い浮かべる。

 嫌な予感がすると言ったが、それはこの森のことではない。カイン以外の教官が出払った学園の方だ。

「カイン……」

 エヴァは、ここにはいない少年の無事を祈るように呟いた。




「やられましたね……」

 カインは自身の油断を悔いるように呟いた。

 魔物を一体倒したからといって、それで終わりとは限らない。

 今回のように仲間がいる可能性も大いにある。

「ど、どうしよう……ミリィが拐われちゃった!」

 目に見えて取り乱すアルティ。周囲のクラスメイトもかける言葉が見つからない。

 二体目魔物、シャルバの登場は、彼らに大きな衝撃を与えた。

 だが、誰もが絶望に暮れる中、ただ一人諦めない者がいた。

「ミリィさんを助けに行きます」

 カインだ。彼は唯一諦めることなく、ミリィ救出の旨を口にする。

「む、無理だよ」

「そうだ。助けが来るのを待った方がいいに決まってる」

「仕方ないよな……」

 学生たちの情けなく弱々しい声が聞こえてくる。最早彼らに立ち向かう勇気は残っていない。

「皆さんはここにいてください。ミリィさんは僕一人で助けに行きます」

 それだけを言い残して、カインは教室を出ようとするが、

「待って!」

 アルティが呼び止めた。

「何ですか? 今あなたと話をしている時間は――」

「私も連れて行って!」

「……正気ですか? これは普段あなたがしている訓練ではないんですよ?」

 脅すようにカインが問うが、アルティは負けじと鋭い視線を向ける。

「分かってる。これが危険だってことも、私はあなたにとって足手まといにしかならないことも……」

「なら――」

「でも、ミリィは友達なの! かけがえのない、大切な親友なの!」

 アルティが想いを叫ぶ。

「それに、私はお父さんのように人類を守るためにこの学園に来たの! 親友の一人も救えないなら、私がここに来た意味はない!」

 アルティの瞳には、燃え滾らんばかりの意志が宿っていた。

「……仕方ありませんね。気は進みませんが、同行を許可します」

 ここで断っても勝手に付いてきかねないだろう。今のアルティにはそう思わせるだけの凄みがある。

 それならば目の届く範囲にいてくれた方がまだマシだ。そういった考えもあってカインは折れた。

「あ、ありがとう!」

「ただし、敵の勢力は未知数です。僕もあなたを庇いながら戦えないかもしれません。なので、最低限自分の身は自分で守れるようにしてください」

「分かったわ……」

 アルティが神妙な面持ちで頷く。

 そんなアルティを尻目に、カインは他の学生たちを見る

「そこの君」

「…………ッ!」

 カインが指差したのは、マルクと呼ばれる男子学生だ。

 突然の指名で、マルクは酷く動揺する。

「君の剣を僕に貸してくれませんか?」

「へ……?」

 だから、カインの要求を聞いた瞬間、間の抜けた声をあげてしまった。

「君の剣を貸してほしいんですよ。敵の戦力が分からない以上、僕も万全の態勢で臨みたいですし」

「素手であそこまでやっておきながら本気じゃないとか、冗談でしょ……」

 どこかうんざりとした声音でアルティが呟く。

 本来なら自身の得物を貸すなど、無用心もいいところだが、今は状況が状況なだけにそんなことも言ってられない。

 渋々とではあるが、マルクはカインに自分の剣を渡す。

「それと誰かアルティさんの首に回復魔法をかけてあげてください」

「え……?」

 思わず、カインの顔を見る。

「何ですか、その顔は? まさか、自分がケガをしていることも忘れてしまったんですか?」

「うぐ……」

 図星だった。

 思い出して、今更ながら首が痛み出した。

「それを治したら出ますよ」

「……はい」




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