少年の過去
それは、まだ魔物と人が一進一退の攻防が続いていた頃の話だ。
血で血を洗うような地獄の中、エヴァ=クリスティンはただ一人、魔物の軍勢を前に戦っていた。
「ええい、いい加減しつこいぞ! 【オーバー・バニッシュ】!」
文句を垂れながらも放たれた上級魔法は、眼前の魔物の群れを跡形もなく消し飛ばす。
「流石にこっちも限界だよ……」
倒した端から湧いてくる魔物にエヴァは辟易する。魔物の数はざっと見ただけでも一万を越えている。
王国最高の魔法使いと呼ばれるエヴァでも、流石にこの数を相手にするのは無茶を通り越して無謀というもの。
本来ならすぐに逃げ出したいところだが、それはできない。
なぜなら、エヴァ魔物たちをこの場に留めるために残っているからだ。
ことの発端半日前、国境を守る警備兵から魔物の大軍が王国に迫っているという報告が国王の耳に入ったところまで遡る。
報告を聞いた国王はすぐに戦士を集め、現地へ向かわせた。
急なこともあり、メンバーは百人も集まらなかったが、国を守る最後の砦として残っていた者たちばかりだ。
一人一人が一騎当千の強者。大軍の数は一万を越えているとは聞いていたが、国王はもちろん、戦士たちも余裕で対処できると考えていた。
――それが罠であることに気付いたのは、戦闘中に国の宮廷魔法使いから放たれた【コネクト】と呼ばれる通信魔法によって、王国が魔物の襲撃を受けているという事実がもたらされてからだった。
単純な話だ。エヴァたちが討伐に向かった魔物たちは囮。
本命は王国を襲っている方ということただ。
まんまと魔物の策にハマる形になってしまったが、エヴァたちはもちろんのこと国王を責めることはできない。
まさか一万の魔物を捨て駒にするとは、誰も予想できない。
――現状を悔いても何も始まらない。
冷静にそう考えたエヴァは自身以外の戦士に王国に戻るように指示を出した。
エヴァは一人で囮の魔物たちを食い止めるつもりなのだ。
だが、王国一の魔法使いであるエヴァでも、一人で一万の魔物の相手は不可能だ。まず間違いなく死ぬ。
当然の如く、戦士たちは猛反発した。彼らには仲間を死地を置き去りにするという選択肢は存在しない。
しかしエヴァは頑として譲らず、とうとう彼らの方が折れてしまった。
『絶対に死なないこと』
これを条件にすることで、彼らは渋々とではあるが王国へ引き返した。
そこから四時間近くエヴァは戦い続けている。
「【ホーリー・レイズ】!」
魔物たちの足元から天へと光が昇り、塵へと還す。
「これはマズいね……」
頬を伝う汗を拭いながら、エヴァは冷静に現状を分析する。
四時間近い戦闘は、エヴァから様々なものを奪っていった。
魔力はすでに枯渇しかかっており、魔法は上級のものをあと数発が限界だ。
体力も魔力と同様に限界が近く、最早立っているのも辛い。
気力に関してはとっくの昔に限界を越えていた。そもそも一万越えの魔物を前に気力を保つ方が無茶というものだろう。
それでも未だに戦えているのは、ここが自分の死に場所だと悟ったから。
「く……ッ!」
数体の魔物が、エヴァに飛びかかる。
すぐさま魔法を放とうと構えたエヴァだが、ここに来て蓄積された疲労が災いした。
何てことない、小さな段差でつまずき転んでしまったのだ。
「しま――」
急いで身体を起こし、迎撃しようとするエヴァ。
だが魔物は目と鼻の先。魔法は間に合わない。
――ここまでか。
最早この場を切り抜ける手立てはない。エヴァは諦観の念と共に、迫り来る凶撃に備えて瞳を閉じた。
「…………ッ!」
しかし、魔物の攻撃がエヴァに当たることはなく、代わりと言わんばかりに耳をつんざくような轟音が刺激する。
何事かと思い瞳を開けると、先程までの魔物はおらず、そこには一人の少年が佇んでいた。
年の頃は三、四歳ほど。ようやく言葉を交わせるような年齢だ。
こんな子供がなぜここに? という疑問が頭をもたげる。
だが、そんな疑問はすぐに消し飛んだ。
なぜなら、少年の足元にエヴァを襲おうとしていた魔物の死骸が転がっていたから。十中八九、少年が倒したものだろう。
「君――」
エヴァが声をかけようとしたが、少年は気付いた様子もなく、そのまま前方の魔物の集団へとてつもない速度で突っ込んだ。
「な……ッ!」
無謀という他ない特攻にエヴァの顔が驚愕に歪む。
対して魔物は、己の身に宿した凶爪を近づく少年目掛けて振るう。少年の小さな身体など、あっさり引き裂いてしまうだろう一撃を。
だが次の瞬間、群れの中から数匹の魔物が肉塊となり宙を舞う。
少年が拳一つで魔物を蹴散らしたのだ。
「…………」
空に上がる亡骸の数が時間の経過と共に増していく光景を呆然と見守る。
数十分の間、そんなことが繰り返されていたが、やがて終わりを迎えた。
後に残ったのは、魔物の血を全身に浴びた少年。
「君、大丈夫かい!?」
エヴァはボロボロの身体に鞭を打って立ち上がり、少年の元に駆け寄る。
一万の魔物を全滅させたとはいえ、相手は子供。エヴァは少年にケガがないのか確認しようと手を伸ばす。
「がう……ッ!」
しかし何を思ったのか、少年は獣のように吠え、近寄ってきたエヴァの手に噛みついた。
「痛……ッ! は、放したまえ!」
何とか放そうと手を上下に全力で振るが、全く外れる気配がない。
結局その後、ありったけの魔力を使い魔法で拘束することで、何とか外すことはできた。
これがエヴァと少年――カインの出会いだった。
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