3章7話
窓から覗く朝靄を見ていると、夜明けなのか日暮れなのか疑問に思えてきました。感覚的には朝だと分かっていても、歳を取ると自分の頭が信用できなくなるのです。以前は本当に分からなくなって変な時間から米を研いだりしていましたが、こちらの世界へきてからはそんなこともなかったのですけれど。こんな些細なことに不安を感じるなんて、本当に私は歳を取ってしまったのですね。
机に突っ伏してだらしない顔で寝ているハンナを尻目に部屋を出ました。朝の空気を浴びて、時間の感覚を正常に戻さなくてはなりません。窓の多い長めの廊下を歩き、玄関の扉を開けるとこちら側に斧が倒れ込んできました。
「びっくりしたわ、この斧は何なのでしょう」
少し動悸を高ぶらせながら昨夜の出来事を思い返します。そうそう、ウサぐるみから奪った斧を玄関に立てかけておいたのでした。自分でやったことも忘れてしまうなんて、本当にもうこのポンコツ頭ったら。そのくせ翔くんとの会話は一言一句違わずに覚えているのですから処置なしですね。
時間をかけて斧を室内へと引っ張り込んでから、改めて庭に出ます。屋敷の周囲は背の高い樹木で覆われており、外部からの侵入者を拒むように茨が蔦を絡めていました。稀に街中へと現れる魔物もここには寄り付いた試しがありません。私みたいな年寄りには過ぎた屋敷なのですが、快適さに不満を言うなんて罰が当たってしまいます。もう一人の家主である翔くんがいつ帰ってきても良いよう、伸びた下草を払っておきましょうか。
そんなことを考えながら納屋へと向かう途中、声が降ってきました。
「ひゃー、もう降ろして!」
「心配せんでも、もう到着したわい」
ハッとして空を見上げます。ここは自然の要塞なのですが唯一空からの襲撃に対しては為す術がありません。そんなことを言えば街中全ての屋敷がそうなのですが、先入観で誰も侵入できないと思っておりましたので、それはあまりにも予想外の出来事でした。
しかし声の主は敵意はおろか攻撃する素振りさえ見せずに空から降りてきます。一言で形容するなら風に舞ったシーツ。やがてその上に乗っていた人物を確認するに至り、私はホッと胸を撫で下ろしたのです。
「ゼペットさん、それにフェルさん。おはようございます」
「ルリコさん、おはようございます。ああ、死ぬかと思ったわ」
「朝から騒がしくてすまんの。ルリコさんお久しぶりですぞ」
街の南地区にいた頃、お世話になったゼペットさんとフェルさんです。それにしてもこの空飛ぶシーツは何なのでしょうか。
「儂が発明した魔導シーツの試運転をしておったら、眼下にルリコさんが見えたので寄ってみたのですぞ」
「嘘ばっかり。お爺ちゃんったら普段からルリコさん、ルリコさんってそればっかりだったじゃない。今日だってここにくるのが目的だったんでしょ」
「むむ、まあそれはその。そうそう、つまらん物ではありますが御土産を持ってきましたぞ」
ゼペットさんは懐から紫の巾着を取り出すと、それを渡してくださいました。
「中に入っているのは儂が発明した魔道具ですぞ。良かったら使ってくだされ」
「ちゃっかり御土産まで用意して。やっぱりここにくるのが目的だったのね」
「あらあら、それは嬉しいことね。すぐに紅茶をご用意しましょう」
ここ暫くはお互いの住居が離れていることもあり御無沙汰でしたが、やはりこの二人に会うと心が和みます。
「ルリコ様、魔物の襲撃ですかっ」
両手にモップを抱えたハンナが玄関から飛び出してきました。
「いいえ、大切な友人の来訪よ。ハンナ、朝早くから悪いのだけれど紅茶を用意してくれるかしら」
「そういうことなら朝食も四人分用意しましょう」
ニンマリと笑って屋敷へ戻って行くハンナは何か勘違いしているわね。でも彼女のゴシップ好きは今に始まったことではないし、好きに想像させておきましょう。
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