2章6話
歯車の回る音と圧縮釜から蒸気が吹き出すような音。五階層へ昇った途端に聞こえてきたのはそんな、どこか機械じみた二重奏でした。
「ここからは俺も初めてだから時間がかかると思う」
申し訳なさそうに翔くんはそう言いますが、そんなに時間はかからないのではないかと私は密かに思っています。これまでの行程と合わせて考えれば、上階層へと続く道筋は階層のスタート地点から然程離れていない場所にありました。そうでなければ、いくら最短距離を歩いたとはいえ広大な面積を有する迷宮をこんなにも短時間で踏破できなかったでしょう。
通路は近代的な雰囲気をした山吹色の金属で覆われ、一定間隔毎に継ぎ目が見えます。継ぎ目から継ぎ目までの間には赤いラインが走り、それは右であったり上であったり規則性が感じられません。床の所々は計算されたようにくり抜かれ、そこから巨大な歯車が覗いています。三階層と同じく廊下の先には幾つもの扉が見え、明らかに人の手により丁重に造られたと分かるのですが、それにしては人の気配が全くありません。これだけ大掛かりな施設を築いた人達はどこへ行ってしまったのでしょうか。
「相田さん、そこの床に気をつけて」
他の床と同じにしか見えませんが何かあるのでしょうか。
「俺のスキル【罠探知】に反応がある。きっと他にもあるだろうから俺の後ろをゆっくり着いてきてくれ」
「分かったわ。翔くんがいると安心ね」
彼は照れたように顔を歪め歩き出します。その歩みは決して早いものではありませんが、何かを確信して進んでいるのが見て取れました。
「翔くんもこの階層は初めてなのに、迷いなく歩けるのはどうしてかしら」
「この階層自体、冒険者が訪れるのは稀だろうからな。人の通った形跡を確認しながらそっちに歩いてるだけだよ」
そんな形跡なんて私には分からないのだけれど、きっと彼にはそれすらも分かる能力が備わっているのね。翔くんは一体幾つの能力を隠し持っているのでしょうか。
それからも休憩を挟みながらゆっくりと歩き続けました。翔くんが罠を警告してくれるおかげで今のところ何ごともなく平穏無事です。それにしても罠が多いですね。この階層は魔物がいない代わりに罠で侵入者を撃退する造りなのかしら。それともいないと見せかけて魔物は虎視眈々と奇襲のチャンスを伺っているのかしら。そんなことを考えておりましたら、ある扉の前で翔くんが立ち止まりました。
「この先に誰かがいそうだ」
「何か音がするの?」
「いや、比較的新しい痕跡が扉の前にある。この中に入ったってことだろう」
その扉は他の扉と比べても何ら変わりなく、四方に申し訳程度のレリーフが施されているだけのものです。侵入者を待ち構えて奇襲を行うのに適しているとも言えます。危険があるかもしれないのに入るなんて愚の骨頂ですね。無視して先を急ぎましょう。
「オラオラ、出てこいや……あ?」
好奇心が猜疑心に勝るのは若者の特徴で、彼もその例に漏れず蛮勇なのでした。勢いよく扉を開けたその先には長く美しい髪を広げた男性が倒れています。床の色と似通っているそれはかつてより色艶もよく、毛先も切り揃えられておりました。
「み、水を……」
「あんたのデフォは行き倒れかよ」
覇気のない顔でそう訴えてきたのは、紛うことなき私の知人であるドーラさん。
「お水はないので麦茶をどうぞ」
彼の口元にヤカンの注ぎ口を添わし、ゆっくりと麦茶を送り込みます。
「ング、ング……はあっ、生き返りました。やはりこの麦茶は素晴らしいですね」
「暫く見かけないと思ったらこんな場所にいたのかよ。あんた何してるんだ」
私が冒険者になってからというもの、彼は姿を見せなくなっていました。どうしたのか気にはなっていたのですが、人にはそれぞれ事情がありますのでそう深くは考えなかったのです。それがこんな場所に一人でいるなんて、本当にびっくりしました。
「話せば長くなるのですが聞きますか」
「短いのを頼む」
そうしてドーラさんはここへきた経緯を話し始めたのです。
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