2章5話

 幼い頃から関わってきた人物は、それがたとえ血縁ではなくとも気にかけてしまうものです。私の妹が二十歳の時に長女をもうけたのですが、共働きで忙しかった彼女たち夫婦は、ことあるごとにその子を預けに来ました。私はといえば主人と結婚する前もその後も変わらず、童話の挿絵を水彩画で描くことを手慰みの生業としておりましたので自由時間だけはたっぷりとあったのです。

 その子が小学校に入るまでの期間、最初は嫌々面倒をみていたのですが、面白いもので一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、懐いてくる彼女に愛情を感じるようになりました。


「本当に有難うございました。私はローマン領主家に仕え、コルネット御嬢様のお目付け役を任されております者。このようなことをお願いするのは心苦しいのですが、御嬢様を救出してはいただけないでしょうか」


 懇願してくる男性の真摯な瞳に、コルネットさんへの愛情を感じました。


「我々が強制転移の罠にかかった時、殿を務めていた御嬢様だけは魔法陣の効果範囲外におりました。そのことから察するに六階層で孤軍奮闘されているはずなのです。私が戻りたい気持ちは山々なのですがこの有様では……充分なお礼はお約束します、どうか御嬢様を助けていただけませんでしょうか」


 メンバーの皆さんがいなくなったのであればコルネットさんも撤退するのが普通だと思うのですけれど、なぜそうしないのでしょうか。何か撤退できない理由か、もしくはそれをしないだけの実力があるのでしょうか。

 ともあれ元よりそのつもりでここまで登ってきましたので、お礼など貰うつもりはありません。何より翔くんがそんな見返りは求めていないと思うのです。


「いえ、お礼だなんて――」

「いいだろう。御令嬢の命、その重さの分だけギンを用意しておけよ」


 求めていました。棚ぼたよろしく貰えるものは貰う強かさは逞しいですね。しかしその言い方だと時代劇の悪役みたいです。


「かたじけない」


 おかしいですね、何だか本当に時代劇のやり取りに聞こえてしまうのは私だけでしょうか。


 傷口も塞がり命の危険はなくなったとはいえ、失血で満足に歩けない男性はそのまま冒険者の方達と街へ戻って行かれました。

 私達はその後も少しだけ休憩を挟んで歩き続け、途中何度もトカゲの魔物に襲われましたが、その都度、翔くんが敵を退けてくれます。何も役に立てていないのに休憩なしでは歩き続けられない自分が少し嫌になりますね。麦茶で疲労を回復してなお、体のあちらこちらが痛むのは老体ゆえの悲しさです。


「何か私にできることはないかしら」

「は? 相田さんそんなこと気にしてたのか」

「だって翔くんばかり辛い目に合わせてしまっているもの」

「いやいや、相田さんの麦茶があるからこのペースで進めるんだ。それに俺がもらった傷もすぐ魔法で治してくれるしな」


 迷宮入口で見せた彼の動揺を思えば、本当はもっと急ぎたいはずです。それなのにどこまでも私を労ってくれる優しさが本当に嬉しく感じました。もし翔くんが致命的な怪我をしてしまったなら、老い先短いこの命と引き換えにしてでも回復魔法をかけ続けると誓います。


「そろそろこの階層のゴールに――」


 何か言いかけた翔くんが言葉を切り、洞窟の前方で倒れている人影に駆け寄ります。


「大丈夫かっ、おい……ダメだな……」


 その人は装着している胸鎧の形状から女性のようでしたが、本当にそうなのか判別のつかないほど酷い傷を負っていました。大きな傷跡が頭から顔にかけて走り、そこから流れ出たであろう血液で上半身が染まっています。左手と両足はありえない方向にねじ曲がり、右手は肩の部分から喪失していました。一見して亡くなっておられるとわかる状態です。右胸には巨木のレリーフが施されているのがかろうじて見て取れることからローマンの翼のメンバーだったのでしょう。


「これで三人目。ローマンの翼は五人パーティだから御令嬢を除けばあと一人か」

「その方と御令嬢の無事を祈りましょう」

「転移の罠はランダムで転送されるらしい。階下でもこれだから、もし六階層より上の未踏破地域へ転送でもされていたら……」


 そのような悪意に満ちた仕掛けがあるなんて信じられません。この塔は一体何のために存在しているのでしょう。そもそもここは本当に塔の中なのでしょうか。三階層は塔の内部だといわれても納得できますが、一階層、二階層、そしてこの四階層は全く趣が違う世界です。まるで外にある他の場所を切り取って箱庭に仕立て上げたとしか思えません。もしその考えが正しいのなら本当の一、二、四階層へはどうしたら行けるのでしょうか。いえ、そもそも本当の一、二、四階層なんてあるのでしょうか。考えても答えの出ない疑問が次々と湧き出します。


「とにかく先へ進もうぜ。そろそろ四階層のゴールに着くはずだ」


 険しい顔を隠すように歩き始めた翔くん。私はただ黙って彼の背中を追うことしかできませんでした。

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