1章7話

 夜明けと共に降り出した小雨は泥濘と溶け合い、足元の悪さを増しています。それでも目的地が見えているのは心強いもので、私と翔くんは過度の休憩を交えながら着実に塔へと近づいていました。


「相田さんの手押し車、魔道具だったのか。ズルいな」


 魔道具が何かは大凡の見当がつきます。骸骨に攻撃された折りに発したあの淡い光は超常のものでした。前の生で主人が使っていた頃は一度もあんなことが起こったとは聞きませんでしたので、この世界に落とされた関係で何らかの力が働いたのだと思います。


「座れるだけではなくて私を守ってもくれるなんて、ありがたいわ」

「でも【聖なる手押し車】だから、アンデッド以外には効果がなさそうだけどな」


 そう言えば翔くんには見た物の名称が解るのでした。アンデッドってバンケットの類語かしら、そうだとすれば骸骨兵が侵入できなかったのは道理です。さながらあの光景は死霊の宴会みたいなものでしたから。それにしても名前を見て効果を推測できる翔くんは凄いですね。【聖なる手押し車】という名称のどこに宴会要素を見出したのか、私の知りうる知識では見当がつきません。若者よりは一日の長があると考えていた時分もありますが、彼と行動を共にするようになってからそれは間違っていると思うようになりました。なにはともあれ、この魔道具と一緒に転生させて下さった方へ感謝を。


「るり子退魔結界……いや、神聖ババアサークルが最適か……」


 翔くんがブツブツ言いながら何かを考えております。私は彼がたまに見せる真剣な顔も好ましく感じていますので、小雨に打たれたその横顔を静かに見ておりました。


 近づくにつれ、遠目に見えていた塔が山のような大きさだと解りました。その段になってようやくここは人の住む大地なのだと確信できたのです。塔を中心に高い石壁が張られており、その外壁を囲むように沢山の質素な木造家屋が建ち並んでおりました。中には布でできた家も見て取れます。人々が歩き回っている姿もちらほら目につき、私は何とも言えない安堵感に襲われました。森からここまでの間に出会った生き物は縫いぐるみと骸骨だけでしたので、もしかしたら人間のいない世界なのかしら、などと頭の片隅で考えておりましたので。


「絵に描いたようなスラムだな」


 壁の外に追いやられた貧しい人々が暮らす場所。実情ははっきりと知りませんが、見たところその様相がぴったり当てはまります。どこからともなく漂ってくる悪臭がその印象を強くしているのかもしれません。


「あの門のところ、あそこから中へ入れそうだな」

「そうね。でも私達が入れるのかしら」

「悩んでても仕方ないだろ、行って聞いてみようぜ」


 高い石壁を境にあちらとこちらを隔てている気もしますが、石壁に据え付けられた門は開いています。何者をも拒むつもりなら開け放ってなどはいないでしょう。


「何だかワクワクしてきた」

「私は何だか嫌な感じがするわ」


 門へと進む私達を貧しい格好をした人達が興味深げに見てきます。特に敵意もやっかむ感じもないようですが、中には隙きあらば襲ってやろうかと目が語っている方もおられました。年寄りは目を見ただけでそれまでの経験と照らし合わせ、その人が何を考えているのか大体解ってしまうものなのです。


「おっさん、この門の中に入っても良いか」


 門の入口で壁にもたれている男性に翔くんが声をかけました。


「入っちゃいけない法律でもできたのかよ」

「いやほら普通、身分証とか入場料とかいるだろ」

「お前、どこの田舎モンだよ。そんな話聞いたことねぇぜ」

「ああ? 俺のどこが田舎モンに見えるんだ、殺すぞ」


 男性は片手にアルコールの類らしき物が入った瓶をもっており、少し酔っているようです。しかし殺されるようなことは何も言っていません。何が翔くんの癇に障ったのでしょうか。


「翔くん、無闇に殺すなんて言葉使っちゃいけないわ」

「そうだぞ坊主、返り討ちに会う覚悟がなけりゃ暴言は止めるんだな」

「でもよ、門番と一悶着あるのがお約束だろっ」

「門番なんていやしねーよ。通りたければ通れば良いし、さもなけりゃ酔いの邪魔をしてんじゃねぇぞ」


 どうやら壁の中には入れるみたいです。「マジか、俺のワクワクを返せ……」と、まだブツブツ言っている翔くんを促して門をくぐります。「ごめんなさいね」と通り過ぎざま男性に謝ると「チッ、ババアに謝られてもな」と舌打ちをされてしまいました。


 壁の内側は、ある種独特な雰囲気が見て取れました。道路は石畳が敷きつめられ一定の間隔で青々と枝葉を伸ばした巨木が据えられています。レンガ造りの建物が多く目につきますけれど、私の知っている北欧の牧歌的な街並みとは少し趣が異なりました。戸建ての建物はなく、一つの建物が横に長く伸びてそこに幾つかの住宅やお店が入っているようです。それが幾棟も並び、さながら港の倉庫街を内陸に造った然としていました。全ての建物は二階建ての高さなのですが、右側に向かうほど屋根の傾斜がきつくなり、端近くにもなると路面に接しております。まるで大きな滑り台が何百台も並んでいるような街並みですね。行き交う人々の中には腰や背中に剣や槍を携え、様々な素材でできた防具を身に着けている方も見受けられます。


「よっしゃ、とりま街を見つけるって第一目標は達成したな」

「そうね。それはそうと第二目標は何かあるのかしら」

「俺としては色んな場所を冒険したい」

「まあ素敵。若いうちは冒険をしたほうが良いものね」

「その前に金を作らなきゃ動けないけどな。それと……」


 翔くんは若者らしく大きな夢を持っているのね。私みたいなおばあちゃんになれば無理だと諦めてしまうことも、きっと若さで何とかしてしまうのでしょう。そういうことなら悲しいけれど、いづれお別れする時が来るのですね。朝から降り続いていた小雨はいつの間にか上がっており、遠くに白けた虹が架かって見えます。


「それと、もちろん相田さんも一緒に連れて行くから」


 本当に、この子ったら――

 嬉しくてもう一度ショック死しそうになったじゃないの。

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