1章5話

 森歩きの終わりは唐突にやってまいりました。私達が背にした巨大な倒木の前方にも同じくらい大きな倒木があり、それの腹側に隙間があったのです。倒木の大きさからすれば隙間は本当に僅かなのですが、私達からすれば直立でゆったり通り抜けられる程のトンネルでした。内には背の高い草が茂っており、抜きながら進んだので直立することはありませんでしたが。


 倒木のトンネルを抜けると視界が開け、それまで薄暗かった森の中から一気に陽の光の下へと出たのです。眼前に広がるのはポツポツと巨木は生えてはいるものの、そのほとんどが背の低い植物に覆われた草地であり湿地でした。


「やっと抜けられたぜ。森しかない世界ならどうしようかと思ってたんだ」

「だとすれば、さしずめ翔くんがターザンで私がジェーンになっていたのかしら」

「ババア調子こいてんなよ。寿命で死にかけのヒロインとか誰得だ」

「私は死にかけじゃなくて一度死んだのよ。死を体験した人間はしぶといと思うわ」

「そうなのか。相田さんが座って目を瞑る度、ぽっくり逝ったんじゃないかと冷や冷やしてたんだけどな」


 知らぬうちに気を使わせていたようです。八十ババアが目を閉じて動かなければ傍からすれば心配にもなるでしょう。


「よし、次の目的地はあの塔にしようぜ。休憩したら出発な」


 草地の先には塔らしき物が覗いていました。地平線の先から頭を覗かせているのですから相当大きな建造物なのでしょう。建造物があるのならそれを造った人なり国なりがあるはずです。あんな大きな物を造るなんて一体どんな人達なのかしら。私達は仲良く出来るのかしら。目を閉じてそんな想いを馳せていると翔くんが切羽詰った声で呼びかけてきました。


「相田さん生きてるか!」


 何か【生きています信号】を考えないといけませんね。


 私達は草地と湿地の入り混じった大地を進みました。泥濘の多い湿地を避けて進んでいますが勝手のわからない土地なので思うように避けることができません。足元を確認しながらの歩みは鈍行で、塔が少し大きく見えるようになった辺りで日が暮れてまいりました。私のことを心配した翔くんが十分に一度ほど休憩をはさんでくれたことも歩みを遅らせる要因になったのは間違いありません。

 彼の気遣いが嬉しくて言いそびれていますが、実のところ私の体は全く疲れていないのです。不思議なことに麦茶を飲んで少しすると体中の疲労がスッと抜けていくのですから。


「今日はここらで野宿だな。地べたで寝るのは気持ち悪いけど」

「私は平気ですよ。子供の頃はよく土間で寝転がったもの」

「相田さんの時代なら酋長を中心に一族全員が地べたで寝てたかもだけど、俺は現代人だからな。最低でも床がないと厳しいぜ」


 翔くんの中で私の幼少期は何時代に設定されているのでしょうか。一応これでも現代人の端くれなのですけれど。


「とりま体中が痛いから横になるわ」

「ええ、ゆっくりおやすみなさい」

「相田さん、俺が寝てる間に老衰しないでくれよ」

「ベストを尽くしてみます」


 よっぽど疲れていたのか、彼は直ぐに目を閉じて寝息を立て始めました。出会って間もない青年とこうやって軽口をたたき合う仲になれるなんて、生きている頃は想像だにできませんでした。今も生きていますが前回の生、という意味です。今生は事の始まりからとても楽しくて夢のようです。この世界に落として下さった方には感謝の言葉もありません。


 翔くんは大の字になったりコロコロと転がったりしております。あれだけ地べたが嫌だと言っていた割には自由奔放な寝相ですね。私はそれを見ているのが面白くて、つい観察を続けてしまいました。老体は新陳代謝が少ないので眠りが浅く、寝ずの番にはもってこいですね。


 石粒が地面に落ちるような音と草を何某かが踏みしめる音が同時に聞こえてきたのは、私達が横になって数刻経った頃でしょうか。最初は一方から、けれど徐々にそれは全方向から聞えるようになりました。満天の星空ではありますが昼間ほどの明るさはなく、私は音の正体をつかみかねております。

 翔くんを起こすべきかしら。でも気持ちよさそうに寝ているのでそれも気が引けます。立ち上がって正体を確認するべきかしら。でも万が一、昼間の縫いぐるみだとしたら私ではどうすることも叶わないでしょうし。

 こんな時、咄嗟にどうすれば良いのか老いた頭では最適解が見つかりません。オロオロとして無情にも時間だけが過ぎて行くのです。


「んん……」何かを感じたのか翔くんが覚醒し始めました。それだけで今まで抱いていた不安が胸から消えていきます。彼の存在は私にとって大きなものになっているのだと実感いたしました。


「翔くん、どうしましょう。何かに囲まれているみたいなの」

「マジかよ、荒ぶる鬼神と恐れられた寝起きの俺に近づくとは……」


 だれに渾名されたのでしょうか。気にはなりますが今は詳しく聞ける雰囲気ではありません。草を踏みしめる音はゆっくりと、しかし着実に近づいて来て、やがてその姿が薄闇の中から浮かび上がりました。


「ちっ、【囚われの骸骨兵】か。序盤に大量の敵とかクソゲーかよ」


 骸骨達はどう見てもこちらを殺す気満々で、眼窩から覗く青白い鬼火が一層殺気を際立たせています。まるで墓場から蘇ったような、そのむき出した骨の上に装備した粗末な武具が星明りを受け鈍く光っておりました。

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