1章4話
上方から加速をつけて振り下ろされた巨大な斧。その威力はバールで攻撃を受け止めた翔くんの足が地面に埋まるほど強烈でした。武器を重ねた後、器用に空中で体勢を変え、そこに足場があるかのような動きで距離を取ろうとした縫いぐるみを翔くんが打ち据えます。体格差を考えるとそれは大打撃だったようで、打ち据えられた箇所から緑色をした綿のようなものを撒き散らして飛んでいきました。
「うわ、気持ち悪りぃ。【血塗れの気狂い兎】って名前も気持ち悪りぃ」
踝まで腐葉土に埋まった足を引き抜き、追撃をかけるために駆け出す翔くん。動き難い地形なのにそれを物ともしない彼の筋力に惚れ惚れします。若いって本当に羨ましいですね。
気の幹に当たった縫いぐるみはさしたる痛みもないのか、持っていた斧を構え直して矢継ぎ早に斬撃を繰り出しています。私の膝くらいの大きさなのに、どうやってあの斧を操っているのかしら。それ以前にどうやって斧を手に入れたのかしら。斧を取られた方は困っていないかしら。危急を脱して少し落ち着いた私はそんなことを考えてしまいます。
翔くんは斬撃を避けたり受けたりしながら着実に攻撃を縫いぐるみに当てていました。見たところ彼がかなり優勢で、その小ささで攻撃するには武器を振り上げるしかない縫いぐるみにさしたる苦労をしている風ではありません。敵は上方からの一撃必殺を旨としていたのでしょう。そう言えば【血塗れの気狂い兎】と呟いていたけれど、お知り合いかしら。
「ふいー、ちょこまかと動きやがって」
「お疲れ様ね、これでも召し上がれ」
完膚なきまでに縫いぐるみを叩きのめして帰ってきた翔くんを労い、用意しておいた麦茶を差し出します。徐々に壊れて小さくなってゆく塊は見ていて気分の良いものではありませんでしたが、必要以上の不快感は湧き上がりませんでした。明らかな殺意を持って襲ってきた敵なので抵抗できなければ死に損になります。背後に突然現れ銃を乱射されたり、手の届かない場所から爆撃されれば死ぬしかありませんが対抗手段を講じられるのなら講じるべきだと思うのです。何も成せず、むざむざ散るほど悔しいことはありませんから。
「いつ飲んでもこの麦茶は美味いな、おかわり頂戴」
「はいはい、たんと飲んでね。ところで翔くんはあの縫いぐるみとお知り合いなのかしら」
「俺が【血塗れの気狂い兎】と知り合いなわけないだろ。初対面だぜ」
「そう、それよ。お名前を知っていたようだから」
「名前なんて頭の上に出てるじゃないか。相田さん老眼かよ」
「老眼は認めるけれど、私には見えないわよ」
「何だって……すると……そうか、これが……」
何やら難しい顔をしたり口元を綻ばせたり、百面相をしながら何か考えている様子の翔くん。若い時の閃きは尊いものだから邪魔はしないでおきましょう。私は荷台に腰掛け直し、先ほど風に乗って飛んできた緑色の綿で眼鏡を拭きました。あら、意外と綺麗になるものね。そこいら中に飛び散っているので少し多めに拾っておこうかしら。
「相田さん、聞いて欲しい」
「何かしら」
翔くんがニヤニヤしながら話しかけてきました。この表情には覚えがあり、男子は何か良からぬ悪戯を思いつくとこんな顔をするのです。
「俺の転生特典が解った」
「それは良かったわね、どんな特典なのかしら」
「それが……超絶に凄いんだ」
とても凄いと言いたいのですね。翔くんと話していたら若者言葉を覚えられて楽しいわ。
「意識して見た物の名前が解る、とそれだけでも凄いんだけどそれはデフォだ」
また新しい言葉が出てきました、デフォって何なのでしょうか。モルフォ蝶という美しい蝶もいることだし、その辺りから転じて生まれ持った凄さは本人にしてみれば何てことはないと言う意味かしら。若者言葉は難解ですね。
「ステータスウィンドウを呼び出して、そこからレベルアップできるのが俺の転生特典らしい。しかもボーナスポイントを自由に割り振れてスキルも取れるっぽい、わりと本気で凄いだろ」
ごめんなさい、さっぱり理解できないわ。でもこれだけ喜んでいるのだから彼にとってはとても素晴らしいことなのでしょうね。
「そう、それは良かったわね。モルフォ蝶もビックリよ」
「モルフォ蝶がビックリしたらどうなるんだよ。これだから老人語は難しいぜ」
何だかその言われようは釈然としませんが、私の言葉を解ろうと努力してくれている姿勢は心から嬉しく思います。
「それはそうとこの斧、使う?」
そう言って足元に投げ出されたのは先ほど縫いぐるみが振るっていた斧でした。金属部分には乾いた血がびっしりこびり着いていて刃も所々欠けています。翔くんは優しくて思いやりがある良い子なのだけれど、こんな棺桶に片足を突っ込んでいる老人が斧を使えると本気で思っているのかしら。
でも転生特典とやらが存在する世界なので可能性はあるのかも。これでも幼少の時分は一日中鍬を持って畑を耕したものです。あの頃は「るりちゃんは働き者だね」とよく言われました。手斧で薪を割るのも私の仕事でしたので、斧の扱いには慣れています。
「そうね、使えるかしら」
試しに持ち上げようとしたら、やはり重くて持てませんでした。
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