第一章5 『10年は思ったほど長くない』

 翌日、支度を終えた僕はさっそく、故郷ザットンへ向かうため部屋を出た。


 「おはようさん、よく眠れたかい?」

 「ええ、あのベッドには驚かされましたよ」


 おかげで首が痛くてたまらないぞ。という文句は心にしまっておく。

 スクロールを鞄にしまった僕は、これ以上考え事をしないようにすぐに眠ることにした。

 ・・・したのだが。

 宿のベッドはあまりに固く、よく見れば布が一枚敷いているだけで、ほとんど床で寝るのと変わりなかった。僕としては硬い床で寝るなんてことは、旅先で野宿をした経験も何度かあるから、別に気にするほどでもなかったんだが・・・。

 やはり80グリン払ってこれというのは、商売人としてこの店主の外道さ加減を、小一時間説教してやりたいばかりだ。今日の所は皮肉を漏らすだけにしておくが。

 

 「そうですか、それは良かった」

 「はい、特にあの絶妙な硬さがたまりませんね」

 「それは良かった、ここに来た人は皆さんそう言ってくれるんだよ~」


 こちらの営業スマイルに対し、店主も笑顔を返してくる。いくら相手が老人とはいえ手を出してしまいそうになる。というか客の皮肉に対して皮肉で返す宿屋なんてアリか!?

 彼の表情を伺うと、彼は相変わらず、ニコニコとこちらを見ている。


 ・・・まさか本心か?


 もし本心から客のことを想って言っているなら、彼はとっても困った男だ。

 いつか彼がさっきのような皮肉返しで貴族や商人を怒らせ、宿を破壊されないといいが・・。

 とにかく今は母さんが先だ、彼への説教に裂けるような時間の余裕は無い!

 それでも彼と宿の行く末を若干後ろ髪を引かれつつ、店主に笑顔で一礼し宿を後にした。


 「また寄ってってくださいね」


 願わくば、次来たときはきれいな部屋の、柔らかなベッドで眠りたいもんだ。

 

___________________________________________



 ユークリッドを後にし、暫く馬を走らせ長い森を抜けると。

 僕には慣れ親しんだ、あたり一面緑豊かな平原へとたどり着いた。

 平原には山羊や鹿が多く群れを成しており、こちらのことを気にする様子は無く、熱心に草を食べている。そして一つの小さな群れのあたりをよく見ると、犬が一匹元気に走り回っていた。

 その近くには羊飼いあろう男が犬に合図を送っており、どうやら放牧された山羊を柵へ誘導しているようだ。

 羊飼いはこちらに気がつくと、笑顔で手を振ってきた。それに手を振り返し町へと向き直る。

 少し丘になっている平原の真ん中へ歩を進めると、変わらない、故郷ザットンの姿が見えた。

 

 「帰ってきたんだな」 


 10年ぶりに帰ってきた故郷に、僕は思わずそう呟いた。

 町は一見して昔とさほど変わっていなかった。相変わらず整備されていない道。

 点々とした家々。穂を出し始め、黄色く色づき始めている小麦畑。赤く熟れた林檎の木。

 どうやら10年という月日は、僕が思ったより町に影響は無かったようだ。

 少し家の方へ歩くと、驚いた様子で金髪の男がこちらに掛け寄ってきた。


 「ウォレス!ウォレスじゃねーか!帰ってきたんだな!」

 「ああ、久しぶりラルフ、君も老けたね」

 「うるせー、俺はまだ26だっつーの!」


 ラルフはこの町で一緒に育った友人の一人だ。

 この町で育った仲間達の中では一番のイタズラ者で、よく彼のせいで大人たちに叱られたものだ。

 おそらく回数は二桁を超えているほどだろう。放牧された羊を追いかけ回したり、畑の果物を盗んだり、 町中のポストの中身を入れ替えたり、町一番といってもいいほどのわんぱくぶりだった。

 よく彼の親父さんには、こんな馬鹿とよく付き合ってられるなと何度も感心されたものだ。

 それでも彼を嫌いになれなかったのは、彼が僕よりも町を出たがっていたからだろう。

 いたずらも、家業を継がなければいけないというしがらみからきていたのだろう。

 皮肉なことに仲間たちの中で彼一人が、家業の鍛冶屋を継がされて町に残っているのだが。


 「そんな年なんだし、君も町を出ようよ、大変だけど楽しいよ」

 「お前も同じ歳だろうがウォレス、ていうか俺が町を出たら、狩りの道具やら料理道具を作る人間がいなくなるんだよ、だから出たくても出してくれねーの!」

 「なら弟子でも取ってみたら?」


 軽い気持ちで彼にそう答える、だがこの町の若い男は大体、18の頃には町を出る。別にそういう決まりは無いのだが、魔物に怯え、町の中でずっと畑作業をしたいと思う子供はあまりいないだろう。

 もっと広い世界を見て、いろんな冒険をしてみたい。

 おおよそ畑以外何も無い小さな町には、そんな夢見る子供を魅了するようなものは無いのだ。

 だからこの町に残っている若者は大体、ラルフのように家業を継がされた人間なのだ。


 「お前、わかっていってるだろ・・・」


 ガックリとラルフはうなだれてそうつぶやく。昔あれだけ彼には巻き込まれてひどい目に合わされたんだ、これくらいの仕返しはしたって罰は当たらないだろう。

 ラルフ本人も軽いジョークと受け取っていたようで、別に気にしている様子も無かった。

 その後、お互いの近況を報告し合ったり、懐かしさからつい僕はラルフと長話をしていた。

 

 「さて、再会を祝して一杯やりたいとこだが・・・」


 何かを察している表情でラルフはつぶやく。おそらく母のことは知っているのだろう。

 まぁ当然といえば当然だ。そこまで規模のある町ではないのだから。


 「僕もだよ、でもすまない、今日は・・」

 「分かってるって、早く行ってやれ」


 ラルフは僕に背を向け、手をヒラヒラと振って早く行くように促した。


 「あぁ、悪いラルフ、また落ち着いたらリンゴ酒でも奢るよ」

 「ばっか、こっちは飲み飽きてんだっつーの」

 

 ははっ、イタズラ好きのオオカミ少年だった彼も、10年も経てば丸くなるもんだ。

 僕はラルフに再会の約束を告げ、僕は母が待つであろう家に向かった。

 

 _____________________________



 「ほんとに、帰ってきたんだなぁ・・・」


 10年ぶりに帰ってきた我が家は、あの日家を出た時と何も変わっていなかった。

 遠目でも我が家とわかる、林檎のように鮮やかな赤い屋根。

 よく手入れされた花壇。そして、庭にある大きな一本の林檎の木。

 あの木の林檎が、僕のいつものおやつだった。そのまま食べるのも美味し買ったけど。やっぱり母さんの作ってくれたアップルパイが一番の好きだったな。


 変わってない。何も変わってない。


 家を出たあの日のことも、ついさっきのように感じてしまうほどに、

 家は当時のままで、入ればいつものように母さんが、おかえりと迎えてくれるような気がしてしまう。

 そして僕の好きなアップルパイを焼いてくれて、今日はどんなことがあったのと聞いてくる。


 変わらない、いつもの日常。


 だが現実は違う。日常はもう終わったんだから。

 ドアノブに手を掛ける。さっきまで平気だったのに、どうしても鼓動が速くなってしまう。

 

 はは、僕ってこんなに臆病だったんだな。


 自分の情けない姿に、つい笑ってしまう。

 もう10年も前のことなのに、まだ母さんが元気に迎えてくれるのだと信じている自分がいる。

 ドアノブをひねる。冷や汗が出る、数秒しか経っていないのに、それがとても長く感じる。

 

 しっかりしろウォレス・マードック、もう母さんは目の前じゃないか。

 ここでのんきにぐだぐだしてたって何も始まらないぞ!


 そう自分に言い聞かせる。心臓の鼓動がうっとおしいほど速くなるが、気にしない。

 ゆっくりと、ゆっくりとだが、僕はドアを開けた。

 中はとても静かだった。家の中を見渡す、中も昔とあまり変わっていない。

 そして母さんの姿は無い。ベッドで眠っているのだろうか?

 そう思って家の中へ入ると、奥で何か音がした。グツグツと、水が沸騰するような音だ。


 母さん・・・!


 僕はゆっくりと、キッチンへと歩を進めた。

 足枷をはめられたような気分だ、一歩一歩がとても重く感じる。

 それでも意を決して僕はキッチンに入った。


 「ただいま」


 と僕は部屋に入ると共に、料理をしているであろう母に声を掛けた。

 キッチンにいた女性は料理の手を止め、僕の方へ振り向いた。

 それは母では無かった。その人は、綺麗な女の子だった。

 肩までかかった、流れるような白い髪、傷一つ無いきれいな肌、長袖のシャツとスカートに、エプロンを着ている。

 見た限りだと、年は十代後半といったところだろうか。

 女の子はパチクリと目を丸くしてこちらを見ている。

 まずい、なにか言わないと。そう思っても緊張のしすぎからか、言葉がうまく出てこない。

 沈黙が流れる。

 と、不意に女の子の表情が変わった。何かに気付いたような表情に変わる。そして


 「おかえりなさい」


 と、女の子は笑顔で僕に答えた。


 その笑顔はとても純粋で、そしてとても優しい笑顔で、でも少し悲しそうな、そんな笑顔だった。

 僕はその笑顔に思わず、目を奪われてしまっていた。

 

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