第一章4 『平穏は時に毒になる』

そこからは平和なものだった。

 今日だけで、母が倒れ仕事がパーに成りかけたり、その仕事を盗賊に任せる自体になったり、城門で若い兵士にいっぱい食わされたり、散々な目にあう一日だったが(大体は僕が悪いのだが)

 街を出て、疲れた体と馬にムチを打ちつつ西へ向かい、あたりが暗くなりだした頃には、僕の故郷の隣町ユークリッドへとたどり着いていた。


 「やっとついた・・・このあたりは全然と変わらないなぁ」


 国の首都のような都会と違い、僕の生まれ育ったこのあたりは、町一つに付き、宿屋が一軒しかないようなドがつくほど牧歌的な地域だ。

 この町も冒険者のためのギルドや、商会の支部のような公的な建物がないほどで、あたりを見渡しても、ヤギや羊が走る草原や、おいしい野菜の畑、あとは子供の遊び場程度のものだろう。

 それでもあくまで村ではなく、ここや僕の故郷が町と名乗っているのは、町長たちの小さな見栄からだろうね。確かに村と地図に書いてあるより、町と書いてあれば、冒険者や観光人も、立ち寄ってみようと思うだろう。

 彼らは町ならば、寝心地の良い宿屋や、鍛冶屋や道具屋、運が良ければギルドの支部くらいはあるだろうと考え、町に立ち寄る。

 そうした連中は大抵、安い宿の一部屋で仲良く一夜を過ごし、朝にはクマを付けてスゴスゴと帰っていく。商人となった僕としても、こういう見栄っ張りな町に何度か痛い目を見たものだから、町ではなく、村と変更したほうがいいだろう。というか変更するべきだ。これ以上被害者が出る前に。

 

 町にはもう夜ということもあり、あたりに人は少なく、店も閉めている最中の所がほとんどだった。

 とにかく今日はもう疲れた、今日はここの宿に泊まらせてもらって、明日の朝、町へ向かおう。

 

 「あれ、あなた、ウォレスさんじゃない?」


 宿屋に歩を進めていた僕に、修道女のような格好をしたお婆さんが声をかけてきた。

 そのお婆さんには見覚えがあった。小さい頃、こっそり家を抜け出して、友人とユークリッドまで遊びに来ていた時、よく家に泊めてくれたお婆さんだった。

 

 「えぇ、久しぶりです、マリーさん」

 「あらあら、ずいぶん見ないうちに立派になっちゃって」

 「はは、その節ははおせわになりました」

 「うふふ、そういう変に真面目な所は、昔とぜっんぜん変わってないわねぇ」

 「そういうマリーさんも、20年経っても全然変わりませんね」

 「ふふ、ありがと、なにかあったらまた遊びに来なさい」


 彼女は告げると、よかったらと果物をいくつか僕に渡し、ゆっくりと去っていった。


________________________________________


 さっき僕は、ここみたいな見栄っ張りな町は嫌だと言ったが、こういった人の暖かさを、多く感じられるところは、来るかいのある長所だと思っている。

 町を歩けばほとんどの人が挨拶を交わしているし、とれたての野菜を分けてくれたりもする。

 昔はこんな田舎からは、いつも早く出たいと思っていたが、たまに戻ってきてみれば、存外悪くないものだ。


 「お?こんばんわ、お客さんかい」

 ・・・だから宿が果てしなくボロくとも、思うところなどこれっぽっちも無いのだ。


 マリーさんと別れた僕は、果物をかじりつつ、さっそく宿屋へ向かった。

 この宿には10年近く来ていなかったが、僕の記憶に残っていた綺麗な宿は、十年という長い月日で、跡形もなく綺麗に無くなっていた。

 壁には植物の蔦が元気に生え、塗装も軒並み剥がれてしまっている。この町に立ち寄った大体の人は、ここが宿屋とはすぐには気付きはするまい。

 宿に入ると、僕を見た妙齢の店主は嬉しそうに声をかけてきた。


 「こんばんわ、はい、ここで一泊したいんですが」

 「そうですかそうですか~」

 

 と言うと、店主は一瞬、僕の服装を一瞥し、嬉しそうに笑った。

 こういう質の人間はよくいる。客の質を服装や顔で判断し、その都度値段を変えてくるのだ。例えば、貴族や商人なら100、冒険者なら60、若者や村人には30という風に値段を変えて部屋を売る。よく使われる手だ。と言っても、行商である僕も、頻繁に使う手ではあるのだが。


 「それじゃあ、一泊80グリンだよ」


 店主は無邪気そうな笑顔でそう言った。80グリンもあれば、首都ザットンで泊まっていた宿に朝食付きで泊まれるだろう。ここならせいぜい20グリンがいいところだ。

 だが僕にはここを逃すと他に泊まれる宿は無い。もう一つでもこの町に宿があったなら

 『高すぎる!仕方ない、今日はあっちの宿で泊まることにするか』と吹っ掛ければ、大抵の宿は慌てて、多少の減額を提示してくる。そこにこっちから更に安い値段を提示し、両者の折り合いのつく値段まで持っていくという感じに、交渉することができる。

 だが僕の記憶が正しければ、この町には宿屋が一軒しか存在しない。仮にこの宿に値段の交渉を吹っ掛けても、相手はこちらがここ以外に泊まれる場所が無いことを知っている。なので嫌ならよそに行ってくれと簡単に客を突っぱねることができる。もし交渉まで持っていけたとしても、店主の気分を害させてしまえば、今日の野宿は免れない。

 

 「あれ?この店ってそんな高かったですっけ?」

 「そうだよ、うちは昔っから80グリンだよ」

 「あー、朝早く出るので、朝食は無くてもいいんですが・・・」

 「わかりました、80グリンになります」


 店主は営業用のスマイルを全く崩さず、淡々と答えた。

 多少の減額をしてもらおうと足掻いては見るが、どうやら失敗に終わったようだ。更に食い下がったりしても、それが僕の得になるとは到底思えない。


 「わかりました、一泊お願いします」


 と、営業用のスマイルを浮かべ、彼に八枚の銀貨を手渡した。


 「ひー、ふー、みー・・・・・確かに頂きました、二階の奥の部屋を使っとくれ」

 「ありがとうございます」


 最後にもう一度店主に笑顔で会釈し、僕は部屋に向かった。


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 部屋は、ここまで続けてきた営業スマイルも引きつるほどに、予想よりはるかにボロかった。

床は歩けばどこも軋み、ライトも魔法ではなくランタンが壁に掛けられている程度で、ベッドもシワだらけでくしゃくしゃになっている、最悪なのは当然とばかりに蜘蛛の巣がいくつも張られていることだ。


 「これに80グリンって、いくらなんでも非常識すぎるだろ・・・」


 泊まる前から非常識な値段設定だとわかってはいたが、どうにもそう言わずにはいられなかった。

 なんせ首都で泊まった宿では同じ値段で、バスルームやキッチンもある宿というより一軒家並の生活基盤が揃っていたのだ。それも毎日宿の店員の清掃付きで。

 ・・・今度ここの町長と会う機会があったら、宿をもうひとつ建てないかとアプローチしてみよう。

 そんなどうでもいい決意を胸に置いておき、マリーさんに貰った果物で夕食を済ませたころには、あたりに灯りは消え、もう寝静まっている頃だった。


 「母さん・・・大丈夫かな・・・」


 今日はドタバタしていたのであまり考えられなかったが、ダンカーさんが言ったことが正しいなら、僕の母はおそらく助からないのだろう。昔から、病気などしたことのない母で、僕が風邪を引いてうなされていた時も、父のいない苦しい生活にもめげず、笑顔で看病してくれていた。

 そんな母の苦しむ姿など想像できず、今まであまり実感が湧いていなかったが、一旦静寂の中で再度認識してしまうと、不安の種はどんどん育ってしまった。


 もしかしたら、母はもう死んでしまっているかもしれない。もう言葉を話せないかもしれない。もうあのおいしかったアップルパイを、二度と食べられないかもしれない。


 やめよう、明日になればわかることだ。そう心の中ではわかっていても、一度育った不安の種は、なかなかそれを許してはくれない。

 

 そもそもどうして母のそばにいてやれなかった?それに僕は、母より自分のことを優先する奴だったか?こんなことになるなら、はじめから行商なんかやめて、実家で畑でも耕しておけばよかったんだ。


 普段なら考えもしないことが、どんどん心を乱していく。


 「・・・そうだ、スクロール」


 救いを求めるかのように踵を返し、荷物の中から伝達のスクロールを引っ張り出した。

 

『明日の朝、そちらに向かいます母さん、

 母さん体調はどうですか、まずなんて言ったらいいのか・・・

 とりあえず、その場にいられなくてごめんなさい。仕事でいなかったからって、僕は母さんをないがしろにしてしまいそうになった。仕事を優先してしまいそうになった。

 頭では行かなくちゃいけないとわかっていても、理性が、仕事はどうする、生活はどうするんだと考えてしまって、母さんを一番に考えてあげられなかった。

 幸い、友人が預かってはくれたけど、それがなかったら、僕はどうしてたか分からない、母さんは大丈夫と勝手に決めつけて、仕事に戻っていたかもしれない。そう考えてたら・・・』


 そうスクロールへ記したあたりで、言葉が出てこなくなってしまった。

 スクロールに不安をぶつけたからって、それで不安が取り除けるわけは無い。衝動に任せ、闇の中を突っ切りたいほどに、この時のウォレスの心は、不安に取り憑かれていた。


 あんな盗賊に預けてよかったのか?もし多額の資金があれば母が助かるとしても、彼女が裏切っていたらどうなる、母は助からないし、僕ももう行商は続けられない。やっぱり召使いでもやとっておけばよかったんだ。少なくとも盗賊なんかより信頼になる。

 でもローマッドが言ったみたいに召使いに全て持っていかれたら、結局同じことだ。あの時、どうするのが一番良かったんだ?あの時、こうしていたらなんとかなっていたのか?


 ウォレスの思考は、明後日の方向へ加速し、不安の芽を広げていく。このまま止めるものはなければ、彼は闇の中を当てもなく彷徨うか、一睡もできずに朝を迎えるだろう。


 と、不意にサラサラとなにかが物音がした。


 僕の思考は、その音でやっと止まった。急いで、スクロールに目を向けると


 『待っています』


 小さく、かすれた字で母からのメッセージが記されていた。

 これを書くのにだって、母さんは必死になってしまうほど、衰弱しているのかもしれない。

 ・・・いや、こんな僕の顔みたら、母さんに怒鳴られるかもしれないな・・。

 その光景を想像しクスリと笑うウォレスの心からは、もう不安の種は消え去っていた。


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