第28話 エピローグ(4)

 やり場のない怒りを抱えたまま、俺が学長室の重い扉から出ると、目の前の廊下にサリフォンが立っていた。白い壁にもたれるようにして立ち、腕を組んで俺を嘲るように見つめている。


「お前――!」


 薄く笑った顔を見た瞬間、今の今までしていた我慢の口火が切れた。


 毛足の長い絨毯が敷かれているのに、足先がとられそうになるのもかまわずに駆け寄ると、サリフォンの白い服を掴みあげる。


「よくもあんなでたらめを!」


 ――いや、でたらめかどうかは微妙だが! とりあえず悪意だけは十分に買ってやる!


「ふん」


 けれど、薄笑いを浮かべたまま、サリフォンは襟を掴んだ俺の手を上から握り締める。


「貴様が分不相応にこの学校に残ろうとなどするからだ」


「なんでそこまで俺を目の敵にする!? 迷宮での賭けには勝っただろうが!」


「あんな勝ちで納得するとかふざけるな! だいたい、ほかの者は勝負に手を出さないという本来の取り決めを反故にしたのはお前だ!」


「細かいことをぐちぐちと――」


 襟を握る手が震えてくる。だが俺が食いしばった唇を見て、皮肉げにサリフォンは笑った。


「ふん、だがこれでお前は留年確定で約束通り退学だろう?」


「生憎だったな。俺にもアーシャルという証人がいるお蔭で、騎士道にそって決闘で決着をつけろだとよ」


「決闘――?」


 俺の言葉を繰り返すと、急にサリフォンの手が俺の腕を荒々しく投げ捨てた。


「はん。学長はお前がお気に入りだからな。媚びるのだけが取り柄では仕方がないか」


「待て!」


 だけど、サリフォンはもう踵を返して歩き出している。その背中に追いかけるように叫んだ。


「約束通り、本当に俺の母さんのことは誰にも話していないんだろうな!?」


 けれど、それにちらりとだけ視線が返される。


「そうだな。貴様がこの学校を出て行ったら、このまま誰にも話さずにおいてやる」


 ありがたく思えと笑っている背中に、殴りかかりたくなる。だけど、近づいてくるほかの話し声に必死に持ち上げた手を握り締めた。


 そのまま歩いていくサリフォンの背中を見送るが、どうしても怒りのやり場がない。


 サリフォンが行ったのとは別の階段を使って下りていっても、まだ煮えたぎっているはらわたをおさめることはできなかった。


 それが俺の顔に、はっきりと表れていたのだろう。階段を下りた先にいたアーシャルが俺を見つけた瞬間輝いた明るい顔を曇らせた。


「兄さん……」


「おい、どうだった? 学長の話?」


 アーシャルと並んでいたコーギーが、心配そうに覗き込んでくる。高い背で心配そうに見つめている姿に、俺はやっと階段からせわしなく動かしていた足を止めると、爪を噛んだ。


 うまくない。当たり前だが、そこにしかこの怒りのぶつけようがない!


「サリフォンと決闘することになった……!」


「え!?」


 俺の言葉に、アーシャルが瞳を開いて固まっている。


「あいつ! 俺の迷宮での行為に騎士道違反の申し立てをしやがった! 言い分が分かれているから、決闘して勝った方を正義とするだと!」


「おい、騎士道違反って、お前まさかサリフォンに何かしたのか? いや、そりゃあ、したくなるのはわかるが、それなら俺がいる時にしてくれたら証拠ごと抹殺してやったのに」


「しとらんわ! それにさりげなくそそのかすな!」


 だけど、いつもの口調に混ぜて、コーギーの瞳がひどく心配そうになっている。それに断定してからかおうとしないところに、コーギーの心配を感じて、俺はやっと一つ大きな息をついた。


「ただ戦うのに邪魔だったから、敵の剣にかかりそうだったあいつを蹴り飛ばしただけだ」


「なるほど。その状況でも助けようとしたと言わないお前の潔いまでの陰険さを暴露しているのなら、間違いないな」


「おい……お前の中での俺の認識はどうなっているんだ?」


「それはもちろん、剣の達人で誰よりも輝かしい我ら町人出身の期待の星さ。空に輝けるあの陰険さを讃え見習えと、日々後輩を教化しているのさー」


「変な宗教を広めるな!」


 ――コーギーなら本当にやりそうで怖い。


 けれど、その時真っ青な顔でアーシャルが俺の腕を掴んできた。


「兄さん……! 決闘って!」


 あ、まずいぐらい真っ青になっている。火竜で赤い鱗なのに。


 アーシャルの顔に、俺はふうと溜息をつくと、ぽんと頭を撫でてやった。


「大丈夫だ。いくらなんでも、学校でするのに生死までは賭けん」


 むしろ、止められることなくあいつの息の根を絶てるのなら最高なのに。


「リトム」


 けれど、その時、奥の通路から亜麻色の髪の青年が歩いてくると、階段の下にいる俺たちの姿を見て足を速めた。


「サリフォンのせいで進級できないかもしれないと聞いたが」


 耳の早いもう一人の親友に、俺は僅かに唇を噛んだ。元々貴族階級出身のラハルトは、住んでいるのが学校の正式な寮ということもあり、富裕階層への人脈も広い。どこかでもう噂を聞いたのだろう。


「ああ。決闘でどちらの言い分が正しいのか、争うことになったよ」


 忌々しげに告げると、友人は大きく頷く。


「そうか。どうやらサリフォンの奴、お前と並んで名前を挙げられている白銀騎士団の推薦をとらないと家を継がさないと言われているらしい」


「家を?」


 確か、あいつの家は有名な将軍家の家系だったはずだ。父も祖父も歴代王国に仕えて、将軍や騎士団の要職についていると聞いたことがある。


「ああ。サリフォンの家は父親も叔父もここの推薦で白銀騎士団に入っているからな。だかららしい」


「そんなこと俺が知るか!」


 ――だからか! 急に俺を異常なほど目の敵にしだしたのは!


 母さんのことさえ、今頃持ち出して――知っていたのなら、いつでも話せたはずなのに!


 だからって、そんな家の事情を持ち込まれても困るだけだ! こっちはこっちの事情で手一杯だというのに!


 けれど、それにラハルトは大きく頷く。


「うむ。だが、大丈夫だ、リトム。いざとなったら、私が全教科の追試を先生に頼んでやろう。だからもし決闘で負けても、私が戦術的戦略的に徹底的な追試対策を組んでやるから!」


「おう……嬉しいが、それはこの間の期末試験対策で死にかけたから――」


 できるなら御遠慮したい。


「大丈夫だ。前回の失敗を踏まえて、今度は睡眠時間一時間と夕食の時間は確保しよう!」


「だからそれが死の行軍と言っているんだ! 俺の時だけ補給を抜くなよ!」


 ――こいつら、本当に俺の親友なのだろうか。


 ああ。この仲間に囲まれていると、取りあえず命の危険だけは回避させようとしてくるアーシャルがすごく思いやり深く思えてしまう。真実は、自分の望みのためなら、俺に容赦なく生死の危険を迫ってくる弟なのだが――


 ――あれ? なんで俺の周りってこんな奴ばかり……


 類友。一瞬、頭に浮かんだ単語を俺は必死に振り払った。


「まあ、とにかく、頑張ってくるわ――」


 決闘は、今日の昼三時から。


 さすがに、もうあまり時間もない。


「兄さん……」


「大丈夫だ。俺がお前の前で負けるかよ」


 ――兄を信じろよ?


「うん……」


 心配そうな頭を軽く叩いて安心させる。俺を信じているのに、ひどく怯えている今の瞳は、いつも夜に一人が嫌でついてきた昔を彷彿とさせる。


 思いだした記憶に、俺は思わず一度小さな苦笑をこぼした。そして、持って来ていた剣を腰に確かめて歩き出す。


「コーギー、ラハルト、アーシャルを頼むな?」


 ――大丈夫だ。何があっても負けるわけにはいかない。


 今も故郷では人間の家族が俺を待っている。父さんも母さんも、そして幼い妹も――決して奴隷にも罪人にもさせたりはしない。


 ――俺は何があっても二度と家族を捨てない!


 そして、決してこの学校をやめて、あいつの思い通りにもならないと、力強く一歩を踏み出した。 



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