第25話 エピローグ(1)


 赤い太陽が街の高い教会の端に沈んでいこうとしている。幼い頃から育ってきた故郷の街の風景を眺めながら、俺は懐かしい石畳の上を歩いていた。


 黒い影が長く通りに伸びて、金色に染まった石畳の上を歩く俺とアーシャルの前を彩っている。


「ここが、兄さんがいなくなってから、ずっと暮らしていた街?」


「ああ。王都のドリードからは少し離れているがな。この国の西では、まあまあの規模の街だ」


 話しながら歩くと、俺の前に伸びていた影は、すぐに、ある店の扉に辿りついた。古いが、周りに花を飾って小綺麗にされた扉の上には、小さな靴の絵の看板が揺れている。カルムの俺の家だ。


 ――懐かしいな……


 長く帰っていなかったわけでもないのに、すごく久しぶりな気がする。人間として育った家に帰ってきただけなのに。


 思わず目を細めて懐かしい故郷の我が家を見つめていると、窓の中から玄関にいる俺の姿に気がついたのだろう。窓の向こうによく知った茶色の巻き毛が揺れて、慌てて開けた扉から飛び出してきた。


「お兄ちゃん!」


「ユリカ!」


 満面の笑顔で駆け寄ってくる。飛びつくように抱きついてくる妹を、俺は体が後ろに傾きながら両手で受け止めた。


 ――こいつ、前より背が伸びたな。


 まあ、無理もない。もう十一なのだから、さすがに小さい頃と同じじゃないだろう。


 けれど、前よりも重くなった体重で、ユリカは俺に全身を預けると、柔らかい腕で思い切り首を抱きしめてくる。


「お帰りなさい! びっくりしたわよ! 急に外に立っているんだもの!」


「あ、ああ。今試験期間中だから、学校に帰るついでに、ちょっとだけ顔を見ておこうと思ったんだ」


 だから、わざわざアーシャルに、この街に寄ってもらった。でも、本当はサリフォンの言葉に、故郷の家族が心配になったからだ。


 だけど、俺の言葉を聞いたユリカは、小さな頬をぷくっと膨らませている。


「ちょっとだけ? 泊まっていかないの?」


 その言葉に、俺は後ろのアーシャルを振り返った。


 ――さすがに、アーシャルの前で人間の家族と過ごすわけにはいかないよな……


 そうでなくても、十七年ぶりに出会えたんだ。もちろん人間の家族も大事だが、今日だけはアーシャルを優先してやりたい。


「ああ――悪いけれど……」


 けれど、俺の視線にユリカも後ろに立つアーシャルに気がついたらしい。


「だれ?  このお兄ちゃんに似た人――」


「あ、いや、こいつは――」


 なんて言えばいいのだろう。


 今の俺の家族のユリカの前で――

 

 だけど、答えることのできない俺の横で、アーシャルが悲しそうに顔を伏せた。


 ――違う! ごめん、そんな顔をさせたいわけじゃないんだ!


 ただ、どう説明したらいいのかわからなかっただけで。俺が前世で竜だった時の弟なんて話しても、きっとユリカには「物語の読みすぎよ」と笑われてしまう。だけど、ほかにどう説明したらいいのかも思いつかない。


 けれど、迷っている俺の顔を見つめて、ユリカはぽすんと俺のお腹に肩を寄せてきた。その表情は、甘えるように微笑んでいる。


「お兄ちゃん、あの石のお守りまだ持っている?」


「あ、ああ」


 その言葉に、皮袋につけていた小さなお守りを、慌ててユリカの前に取り出した。懐かしいお守りが、いつも俺が愛用していた皮袋に昔と同じようにつけられているのを見て、にっこりとユリカが笑う。


「うん。じゃあ、いいのよ」


 ――なにが?


 いや、多分まだお守りを大切にしている確認だと思うんだが。そうだよな、ユリカ?


 けれど、その時くすくすと笑う声が聞こえてきた。


「お帰りなさい、リトム。店の奥まで聞こえているわよ?」


「母さん」


 柔らかい声に振り向くと、店の中から靴の皮を入れた籠を抱えた母さんが、微笑みながら俺を見つめている。布でくくった黒髪の下の優しい瞳は、俺と似た青い色だが、俺よりは淡くユリカに近い。


「試験期間じゃあ大変ね。でも、もうすぐ夕ご飯だから、食べていくでしょう?」


 その言葉に店の中を見た。奥では、ユリカと同じ色の髪の父さんが、作業台に座りながら、久しぶりの俺の姿に目を細めている。


 それを見て、ほっとした。


 ――よかった。いつもと同じ光景だ。


 だから、笑って首をふった。できたら、こんな家族を怯えさせるような不安は、俺だけで片付けてしまいたい。


「いや――急いで、試験合格の証拠を学校に持って帰らないといけないから」


 それに、残り少ない時間なら、尚更長く離れていたアーシャルのために使ってやりたい。


 ここからドリードの学校に戻るまでの数日しかないのなら、余計に。


 それに――故郷の家族は無事だった。それなら、もう心配することもないだろう。


 だから俺はお腹に凭れるユリカに腕を下ろすと、ぽんぽんと茶色の髪を撫でてやった。俺の手のひらの下で、よく知った感触がふわふわと柔らかい。その下で幼い空色の瞳が、俺の手の動きが気持ちいいように細められている。


「もうすぐ冬休みだからな。そうしたらゆっくりと帰ってくるよ」


 だから、俺は一度ユリカに微笑んだ。そして、後ろに立っているアーシャルを振り返ってやる。


 ――でも、今だけはまだ、アーシャルの側にいてやろう。あれだけ探し回って、やっと俺を見つけてくれたんだから。


 けれどもアーシャルは、人間の家族といる俺の姿に、泣きそうな眼差しをしていた。


 ――ごめんな、そんな瞳をさせて。


 でも、人間の生活も捨てられないから。だから今泣きそうなアーシャルにどうしたらいいのかもわからない。


 でも、たとえ種族が違ってしまっても、俺はお前の兄だから――と、安心させるようにアーシャルを見つめた。


 けれど、そんな俺に、後ろからユリカの声が追いついてくる。


「お兄ちゃん! 女の人にも男の人にも油断しちゃあだめよ――!」


 ――おい、ユリカ。お前は、一体何を考えて、今それを叫んだんだ?


 まさか、アーシャルに変な誤解をしていないよなと、振り返った俺の額には嫌な汗が浮かんでしまった。 


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