魔王の側近
目を覚ますと、洞窟のような場所にいた。
冷たい岩肌の壁。窓はなく、ロウソクに灯った炎がゆらゆらと周囲を照らしている。
——ここは、どこだ。
頭がぼんやりする。体を起こして気づいた。俺はマットレスのようなものの上に寝かされていたようだ。ブランケットまでかけてある。
あたりを見渡すと、俺のマットレスに並ぶようにしてリコが横たわっていた。
「リコ! ……リコ?」
「んにゅー。ぴー。ぴー」
鼻が鳴っている。
よく見れば、リコの下にもマットレスが敷かれている。どうやら寝ているだけのようだ。
「目が覚めたかい?」
黒いハット帽がやってきた。
目は相変わらず鋭いが、表情は柔らかく、敵意や攻撃的な様子は感じられなかった。少しだけ安心する。
「——ここはどこだ?」
「我々のアジトだよ。これをどうぞ」
そう言って、ハット帽が一枚の紙を差し出した。俺はそれを手に取る。
「僕らの作品の概要だよ。この物語の世界観とか、どうして君たちが誘拐されているのかをまとめている」
「え?」
「これまでもいろんな人を誘拐してきたんだけど、みんな混乱しちゃうんだ。だから、この現状をなるべく早く理解してもらえるようにね」
「……」
なんとまあ、用意周到なことだろう。
まだ完全に信頼はできないが、ハット帽の口調に嘘や悪意は感じられなかった。これまで何十回、何百回と説明して、今や頭を使わずとも口から勝手に言葉が出てきるかのような、慣れた様子だ。
受け取った資料に目を通す。
資料によると、彼らは「ハッピーマン」という作品の悪役らしい。
作品のジャンルは、子供向けのヒーローモノ。
ストーリーの基本的な流れは、世界征服を企む悪の組織(目の前の彼ら)が街にいる若い人を誘拐して、それを街のヒーロー「ハッピーマン」が助けに来る、というものらしい。
「つまり、俺たちはそのストーリーを展開するために誘拐されたってことか」
「ああ」
「いつもいつもこんなことを?」
「そうさ。この作品は1話完結の物語でね、だいたいストーリー展開も決まってるんだ。テンプレートの繰り返しなんだよ。でもまあ、前向きに協力してくれる人は少なくて、毎回毎回、誘拐するのも大変なんだ」
「……なら、そもそも誘拐なんかしなきゃいいのでは」
俺がそう言ったら、はは、とハット帽が力なく笑った。
「そうはいかないよ。僕らが誘拐しなければ物語は始まらないからね。ヒーローは悪役がいて初めて存在できるんだから」
そうだった。ここはフィクションの世界。みんな物語を作るためにいるのだ。
「強引な手を使ってしまって、悪かったね。でも、僕らもちょっと焦っていたんだ。どうしても、今の時点で誰かを誘拐している事実を作っておかなきゃいけなかったからね」
みんなが必死になって物語を作っている、というのは、俺も今では理解している。心優たちヒロインと同様、求められていることをやっているだけなのだ。
今のタイミングでなければ、いくらでも協力したいと思う。こうやって、彼らを追い詰めてしまったのは、(故意ではないが)俺が原因でもあるのだから。
ただ、あのタクシードライバーにタクシーを返さなければいけない。それだけが気がかりなのだ。
交渉してみようか、と思う。
こうやって落ち着いて話をしてみたら、とても親切な人の印象を受けた。口調も穏やかだし、質問にもきちんと答えてくれる。
悪い人ではないのだろう。
「事情はわかった。できることなら俺も協力したいと思う。明日でも、明後日でも、なんなら1週間ここにいてもいい。だけど、今だけはちょっとやらなきゃいけないことがあるんだ。さっき乗ってきたタクシー、あれ、実は借り物なんだよ。あれを返さないと運転手が困るんだ」
「それは無理だね。君たちには、今、ここにいてもらう必要があるんだ」
「いつまでいなきゃいけないんだ?」
「こればかりはハッピーマンたち次第だけどね。いつ助けに来るのか。でもまあ、いつもの流れだと、今日の夜には解放できると思うよ」
「今日の夜?」
——もう待ちくたびれたわ。そろそろ私も用事があるのよ。早くしてね。
タクシードライバーの言葉が頭を過ぎる。
夜では遅い。
「せめてリコだけでも逃してあげられないか。俺はここに残るから。彼女だけでも開放してくれたら、タクシーを運転してあの場所まで届けることができるんだ」
「んにゅー。ゆうにゃんー? よんだー?」
リコが目を擦りながら起きた。
「あ、リコ。ちょうどよかった。ちょっと、」
「ふぁあああぁああ」
大きなあくびに遮られる。
「んにゅー。あれー。寝ちゃってた。なんで寝てたんだっけ、ゆうにゃん。……え?」
俺の横にいるハット帽に気づいて、
「——にゃああ! ゆうにゃん! だだだ大丈夫!? 大丈夫なの!?」
「大丈夫だ。おちつけ」
リコを諭す。
ことのあらましを説明すると、リコは落ち着いた。だが、俺の提案を伝えたら、きょとんとした表情で、
「——でも、私、運転できないよ?」
「え。そうなのか。じゃあ——」
じゃあ、俺が運転するからリコはここにいてくれ、——そう言いかけて、口をつぐんだ。リコを置いてけぼりにしたら、また大変なことになる。
うーん、と頭を捻っていると、ハット帽がぽんと手を叩いた。
「そこまで言うなら、魔王様にお願いしてみるかい」
「魔王様?」
「ああ。我々のボスさ。人を誘拐しろと命令する、張本人だよ。僕は魔王様の
どうだい、と伺うような優しそうな目で俺をみた。
なんという親切さだろう。
側近さん、と呼ばせていただくことにした。
「魔王さんは俺たちの話を聞いてくれるのか?」
「基本的には優しい人だからね。まあ、最近はちょっと、すこし機嫌が悪かったりもするけれど。どうする?」
「行くよ。連れていってくれ」
「わかった。じゃあ、案内するよ」
側近さんがくるりとかかとを翻し、洞窟のような部屋から出て行こうとした。
俺は振り返って、リコに声をかけた。
「リコはどうする?」
「いく! いくいく!」
マットレスから飛び起きて、リコが俺の腕を掴んだ。
「でも私、武器とか持ってないよ。バトルになったらどうしよう」
「バトル?」
側近さんが振り返った。苦笑いするような口調で、
「心配しなくても大丈夫だよ。魔王様だって、君たちのことをとって食うわけじゃない。もしも君たちに危害を加えるつもりなら、こんなところでまどろっこしい説明なんかせずに最初から煮るなり焼くなりすればいいんだからね」
まるで何度も説明したかのように、その言葉は言い慣れていた。
「君たちは助けられるために誘拐されているんだ。安全は保証されているよ」
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