第3章 悪役の役割
急展開
タクシードライバーが髪を耳にかけた。
胸元には名札がついている。「
年齢は俺よりも2、3歳ほど上だろうか。
「どこにあるの? 私のタクシー。まだ借りていたいっていうの? 私はいつまで待っていたらいいのかしら」
怒った口調を隠しもせず、タクシードライバーが俺を睨んでいる。
「すみません。もう、大丈夫です。すぐに返します。——あの、あなたはこれまでどこに?」
「待ってたのよ、ここで」
「——え?」
「待ってたのよ! あなたが『必ず返す』っていうから!」
タクシードライバーが俺を指さした。
「連絡先もわからないし、私が移動したらあなたも私の居場所が分からなくなるでしょう。そもそも、私の荷物、全部車の中だもの。覚えている? 運転中だった私を引きずり出したのよ。私なにも持ってない。何もできないわよ。あなたの言葉を信じて待つしかないじゃない」
「警察とか、いかなかったんですか?」
「——警察?」
タクシードライバーが目を丸くした。お前は何を言っているんだ、という口調で、
「ここ、現実世界じゃないのよ。フィクションの世界よ。誘拐や人殺しが当たり前のように行われる世界なのよ。どうして警察、なんてものが機能すると思うの?」
そうなのか。
「とにかく、早く返して。荷物がないと、何もできないじゃない。お金も資料も全部タクシーに置いてあるんだから」
「——荷物?」
肝が冷える。
「すみません。荷物、ほとんど捨てちゃいました」
俺がそういうと、タクシードライバーはゆっくりとこちらを向いた。
「……捨てた?」
「捨てました。全部。窓から投げ捨てて」
「……窓から……投げ捨てた?」
声に怒気が宿る。もう怖い。怖くてたまらない。
心優を助けようとがむしゃらに行動していたわけで、こんなふうに問い詰められることになるなんて思いもしなかった。
こうなれば、もう謝るしかない。
「すみませんでしたっ!」
俺は土下座した。なんという軽い土下座だろう、と我ながら思う。
「もう一生懸命で。知り合いが誘拐されて、俺も気が動転してて」
「じゃあ! あれは!」
ぐい、とタクシードライバーが俺の胸ぐらを掴んだ。
「銃、銃なかった!? 車の助手席に隠してたやつ!」
——銃。
「あった、——ありました」
「それも捨てちゃったの!? あれがないと私、——私」
リコをみる。
そういえば、リコが発砲した後、どこにやったのだろう。
「あるよ! 助手席に戻したから!」
「弾もちゃんとある!? 使ったりしてない!?」
使った。
猛スピードで走る高級車を止めるため、発砲した。
「弾は、——使いました。2発ほど」
「2発? 2発だけ?」
「は、——はい!」
めちゃくちゃ顔が近い。鼻がぶつかりそうだ。
はああ、とタクシードライバーが安堵のため息をついた。
「まあ、2発だけなら大丈夫か。——よかった」
その表情を見て、こちらもため息が出る。
「……よかった」
もう、取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと思うと気も休まらない。
「でも、本当にそれ以外のものは捨ててしまったんです」
「もうこの際、他の荷物はいいわ。ストーリーには直接関係ないから、いくらでも説明できるし。じゃあ返して。どこにあるの? 私のタクシーは。もちろん、銃付きでね」
「宮森学園の駐車場です」
「宮森学園?」
タクシードライバーが宮森学園を見上げた。
「私はここには入りたくないわね。意味もなく違うドラマに関わるのはトラブルのもとだし。責任取ってここまで持ってきて」
「わかった」
「もう待ちくたびれたわ。そろそろ私も用事があるのよ。早くしてね」
了解、と言って、俺とリコは学園まで戻った。
職員用駐車場には、俺が駐車した場所に、きちんとタクシーが停まっている。
——よかった。
これでタクシーがなくなっていた、なんてことになったら
「それにしても、拳銃なんて持って。何をするつもりなんだろう」
「さあ。西部劇とかやってるのかも!」
「いや、それならタクシーじゃなくて馬に乗ってるだろう」
俺はタクシーの取手に手をかけた。
その異変に気づいたのは、リコが先だった。
「あ! ゆうにゃん、だめっ! ——んんっ!」
「——え?」
振り返る。
リコが口を塞がれ、羽交い締めにされていた。
「リコ!」
心優を誘拐した生き物がいた。
2メートルをゆうに越える、大きな図体。そこらへんの木なら簡単にへし折ってしまいそうな太い腕と足。顔には、皮膚を継ぎ接ぎしたような縫い目。焦点の合わない大きな目がこちらをギョロリと見た。
うう、と唸っている。
脳内で本能が警告音を鳴らしていた。
近くで見ると迫力が違った。
「や、やめろ! リコをはなせ!」
「いいや、はなさないよ」
タクシーの運転席の窓が開いた。
いつの間にか、タクシーに人が乗っていた。
そうだ。こいつらは2人組だった。
青白い肌。猫のような鋭い目。黒くて縁の長いハット帽を被り、ハンドルを持つ手の先には鋭い爪がでている。
諭すような口調で、黒のハット帽が言った。
「すまないが、君たちを誘拐させてもらう」
なんだこの、急展開は。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺たちは用事があるんだ。他をあたってくれないか」
「いいやできない」
ハット帽が答えた。
次の瞬間には、俺は大柄な図体に抱えられ、リコ共々タクシーの後部座席に放り込まれた。
「午前中、君たちのせいで予定が崩れてしまったんだ。だから、協力してもらうよ」
運転席のハット帽が言った。
「いや、待ってくれ! 話を聞いて欲しい。今だけはダメなんだ! せめて、このタクシーだけでも」
「すまないね。君たちにも事情があるのはわかっている」
タクシーのエンジンがかかる。
「だけど、同じように、我々にも事情があるんだ。時間がない。車を出すよ」
「た、頼むから——今は……」
——あれ、
眠気がきた。
ああ、まずい、と思う。
このままじゃ、——気を失う。
「や、めろ……っ」
目の焦点が合わない。
タクシーが走り出した。
眠気に抵抗する。が、もう意思だけではどうしようもない。
体が、ゆっくりと倒れていく——
——泥棒! 返して! 私のタクシー!
必死に叫んでいる。けれど、その抵抗も虚しく、タクシーが加速する。タクシードライバーの叫び声が、遠ざかっていく。
そして、俺は気を失った。
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