さよならヒロイン
階段を駆け下り、職員用の出口から中庭に出た。
中庭には当たり前のようにエキストラがたくさんいて、新歓祭の準備に明け暮れている。
校舎を見上げる。
この場所からは、西棟廊下はみえない。きっと、今も心優たちは物語を作っているのだろう。
「せめて、ありがとうって伝えたかったな」
「——うん」
傍でリコがうなずいた。
校門から外に出ようとしたら、横で看板を書いていた学生から声をかけられた。
「あ、あの」
この学園に入ってきた時に、心優が話しかけた生徒だった。耳に手を当てて、
「あなたが裕介さん、ですか?」
「え、はい」
「藍見さんから伝言です。ちょっと、ここで待っていてください」
「え? 心優が?」
どうして、と聞こうと思ったところで、後ろから足音が聞こえてきた。
「裕介さん! リコさん!」
心優だった。メイド服を靡かせて、こちらに走ってくる。
「心優!」
「はあ、——はあ。よかった、間に合って。何も言わずさよならなんて寂しすぎですよ」
「大丈夫なのか、こんなところに来て」
「ええ。カスミさんが時間稼ぎするから行ってこいって言ってくれて。ちょっとだけ抜け出してきました」
呼吸を整えながら、あはは、と心優が笑い声を上げた。
横でリコが頭を下げた。
「心優ちゃん、ごめんなさい! 私のせいで、こんなことになっちゃって」
「え? いやいや、何を言ってるんですか、すごくよかったですよ!」
心優が両手を振った。
「大丈夫です。このくらい、あそこにいるみんな慣れっこですよ。私がいっぱいハプニング起こしちゃうから」
そうだった。彼女はそういう人だった。
「やっぱり、フィクションはこうでなくちゃ。予定調和ばっかりじゃ、つまらないですもんね。ルルちゃんの見せ場もできましたし。——ふふ、ルルちゃん」
何かを思い出したらしい。口元を押さえ、心優が笑いを堪えている。
「ルルちゃん、——かわいいですよね、ふふ、」
「あの、心優?」
「あ、すみません。——ちょっと、ルルちゃんの髪型がツボに入っちゃって。リコさんにそっくりで」
心優がパタパタと顔を仰いだ。目尻には涙が浮かんでいる。
「実は、メイド服を着るっていうのは、リコさんからヒントをもらったんです。とても可愛い衣装だったので、私も着てみたくて。リコさんに車で待ってもらうようお願いしたのは、その、リコさんに見られるのが恥ずかしかったっていうのもあったんです」
「そうだったの? 言ってくれたらよかったのに!」
「すみません。でも、黙ってたおかげで、いろいろもりあがったから、黙っててよかったのかも」
いたずらっぽく心優が笑った。
横から、エキストラの学生が、
「あの、藍見さん。カスミさんから戻るように連絡がありました」
「え? あ、もう時間。わかりました」
心優は腕時計をチラリと見て、残念そうな顔をした。
「いくのか?」
「はい。私はここで退場です。雪ちゃんたちのこと、これ以上放っておけないですから」
愛嬌のある笑みの中に、ほんの少しさみしそうな影が見えるのは、俺の錯覚だろうか。
「いろいろと巻き込んじゃってすみませんでした。でも、あのときお二人の間に割り込んで行って、本当によかったって思います」
「こちらこそ、ありがとう」
「ありがとうね、心優ちゃん!」
「ふふ。リコさんも、裕介さんとのラブコメ、頑張ってくださいね。またどこかでお二人の物語に参加させてください。——では!」
そう言い残して、心優は校舎に戻っていった。
「俺も頑張らないとな。リコ。——リコ?」
「……ゆうにゃんとリコにゃんのラブコメ。——にゅふ、にゅふふ、」
「こわいって」
ぽんとリコの頭を叩いて、俺は校門をでた。
リコが含み笑いをして俺の方を見た。
「いっちょ始めちゃおうか、ゆ・う・にゃんっ☆」
「結構です」
「もー。恥ずかしがらないでよ! 心優ちゃんも、私たちのラブコメ見たいって言ってたでしょ?」
「いやだよ。もう2度とリコのタックル食いたくないって——」
ふと、視線を感じた。
——ん?
校門の目の前には、大通りがある。心優が一番最初に誘拐された場所だ。
その横断歩道の信号機にもたれかかり、物凄い人相でこちらを睨みつけている人物がいた。
——見たことある人だな。
それが、最初の印象だった。けれど、どこであったのか、俺は瞬時には思い出せなかった。物語が始まってから、いろんな出来事があって、その事実を記憶の奥底に仕舞い込んでいたのだ。
その人物は、フォーマルな格好をした女性だった。茶色く染めたショートカットの髪。白のワイシャツに黒のベスト、首元には赤いリボン。黒のパンツスーツ。手には白い手袋をつけていた。
どこであったんだったけ。確か、この大通りでだったと思う。あれはまだ心優と出会ったばっかりで、心優が誘拐されて、そのあと——
「——あ、」
ようやく、思い出した。
——しまった、
まだ距離があるが、その人物は明らかに怒っていた。いや、怒っている、なんて生温いものではない。殺気立っていた。
俺の驚いた顔を見て、その人物がこちらに向かって歩き始めた。
もう俺は動けない。蛇に睨まれたカエルというのは、きっとこんな気持ちなのかもしれない。
一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる。距離が縮まって、怒りで引きつった表情が、瞳孔の開き切った瞳が、よく見える。
間違いなかった。
心優が誘拐されたとき、俺はこの場所でこの女性にこう言ったのだ。
——タクシーお借りします。すみません。絶対に後で返しますから!
「それで?」
その人物が、俺の目の前まできた。
「いつになったら私のタクシーを返してくれるのかしら?」
こめかみに青筋を立て、目をバキバキに見開き、怒りに震える声で、タクシードライバーが言った。
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