キャラ被りのツインテール

 D組に入り、机の影に隠れるようにしてしゃがんだ。

 少し廊下を伺う。小鳥遊雪斗が追ってくる様子はない。


 はああ、と腹の底からでてくるようなため息が出た。


 リコはリコで、思い詰めたような表情で、息を切らしている。


「リコ、何やってるんだよ。車で待ってくれって言っただろ」

「……待ってたもん、ずっと。一人で。車で。でももう無理だもん。我慢できなかったんだもん」

「我慢してくれよ。今は別の作品を見学させてもらってるんだから」

「関係ないもん」

「心優たちに迷惑かかるんだって」

「関係ないもん!」


 リコが俺の制服の袖を掴んだ。


「だって、これはゆうにゃんの物語だもん。私はゆうにゃんの相棒バディなんだもん!」


 リコの瞳には、涙が浮かんでいた。


「もう嫌なんだもん! ゆうにゃんが別の人と一緒にいるの。私がゆうにゃんのバディなのに、私を置いてどっかにいっちゃうの。我慢しようと思った。作品から退場しなければいいって、そう考えようとした。けど、でもやっぱり無理。だって、私がゆうにゃんの相棒だもん。別の作品とか、関係ないもん。ゆうにゃんの横にいるのは、私じゃなきゃ嫌なの!」

「リコ……」


 ——ただ、一つだけ、これだけは約束して! 私を絶対に物語から退場させないでね!


 かつて、リコが言っていたセリフが頭をよぎった。


 俺は、自分がどれだけ軽率な行動をしたのか、今更実感した。


 ——もういいもん! リコにゃんは怒った! 知らないもん。ぷんっ!


 別れ際にそう言った後、リコはずっと、助手席で膝を抱えて俺が戻ってくるのを待っていたのだ。


 車の中にひとりぼっち。

 脇役として登場したにもかかわらず、主人公は別の作品の登場人物とどっかに行ってしまって、車の中で、ただただ時間が過ぎていくだけ。


 静まり返った車の中にいれば、そりゃ、いろいろ思うこともあっただろう。焦りや不安、いろんな感情が巡っただろう。


 俺が車を出てから、すでに結構な時間が経っている。リコだって、すぐにこの学園に侵入しようとしたわけではない。葛藤だってあっただろう。本当に学園に行ってもいいのだろうか、と迷ったに違いない。ラッキースケベをしようとしたのも、ラブコメの舞台にふさわしい登場がなにか、考えに考えを重ねた結果の行動だったのかもしれない。

 そりゃ、こうなるに決まっている。

 物語が始まってからずっと、リコに何度も救ってもらったのに。

 

「リコ、悪かった。俺が軽率だったよ」


 俺はリコに頭を下げた。


「そうだよな。これは俺たちの物語なんだもんな」


 リコは黙ったまま、こくり、とうなずいた。

 話をして、少し冷静になったのかもしれない。リコはうつむいたまま、


「……でも、ごめんなさい。私のせいで、大変なことになっちゃった」

「いや、本当ですっ!」


 突然、横から声が飛んできた。ルルがD組にやってきたのだ。


「やってくれましたねぇ、お二人とも。廊下はてんやわんやですよぅ」

「す、すまない」


 俺とリコは頭を下げた。


「手短に説明しますっ。いまココ先輩たちが雪先輩の対応をしているんですけど、時間の問題です。雪先輩がさっきの出来事を気にしています。——裕介さんはまだいいにしても、さすがにそちらの女性の方は目立ちすぎです。このまま、何でもありませんでした、ではすみません」

「ご、ごめんなさい」

「俺たちでできることがあれば、なんでも――」


 そこで、俺は言葉を切った。


 ルルの手には、心優たちが着ていたものと同じメイド服があった。


「――それは?」


 ルルの顔を見る。

 そして、俺はようやく気づいた。

 

 ルルの顔には、不敵なが浮かんでいたのだ。

 頬を紅潮させ、口元からは八重歯が覗き、目は爛々らんらんと輝いている。


「もう。ココ先輩が困っていたら、ルルが助けるしかないじゃないですかぁ。ルルがツインテールでよかったですよぅ。キャラ被りしててよかったって思ったのはじめてです」

「あの、——何を言って」

「ハプニングは楽しまなきゃ。ここはフィクションなんですから。んふふ、——ココ先輩の受け売りなんですけどっ」


 そう言って、ルルはD組のロッカー上に置いてあったピンク色のペンキを頭からかぶった。


「えええっ!?」

「ぷはーっ」


 雑にタオルで顔を拭う。軽く髪を絞る。


 ――おお!

 

『ピンク色のツインテール』がそこにいた。

 ルルがメイド服に着替えながら、

 

「ここはルルが身代わりになります。ペンキではしゃいでいたって設定で押し通しておきますから!」

「——わかった! ありがとう」

「んふふ、このメイド服、ルルも着てみたかったんですよね。ココ先輩とお揃いコーデです。――待っててください、ココ先輩。ルルがすぐに行きますからねっ!」


 着替え終わると、ルルは耳元を押さえた。


「ココ先輩たち、こちらは準備完了です。10秒後にD組から出ます。接触準備お願いしますっ」


 くるりとこちらを振り返る。ルルのピンク色のツインテールが揺れた。


「雪先輩がこちら側に背を向けるよう引きつけておきますから、お二人は北側階段を使って移動して下さいっ! ――じゃあまた!」


 時間を数えて、ルルがD組を出て行った。

 

 どっ、と廊下がわいた。

 きっと、小鳥遊雪斗と接触したのだろう。


 しばらくして、教室からこっそりA組の方を覗いた。

 ルルが言うとおり、小鳥遊雪斗はこちらに背を向けている。


「よし、いくぞ」

「うんっ」


 リコに合図をして、俺はD組を出た。

 エキストラの陰に隠れるようにして、階段へと移動する。


 その最中、俺はちらりと心優たちの様子をうかがった。


 A組の前では、相変わらずラブコメディが続いている。

 髪をピンク色に染め上げたルルが、小鳥遊雪斗の腕にじゃれつくように絡みついている。ぴょん、と跳ねた拍子にツインテールが横の心優にあたり、心優のメイド服が、少しはだけた。


 心優が胸元を隠し、頬を染めて、小鳥遊雪斗を恨めしそうに見て何かを言った。小鳥遊雪斗が何か弁解するように必死に答えている。その後ろで、カスミが腕を組んで、怒ったように何か言っている。

 何を言っているかは聞こえない。

 でも、きっと、それぞれこの場に必要なセリフに違いない、と思った。


 ――私に求められていることがあるんです。そしてそれに応えられたって実感した時には、すごく、すっごく嬉しいんです。


 心優の言葉を、思い出す。


 自分に与えられた役割を理解し、一心不乱にその期待に応えようとしている彼女たちの姿勢が、眩しくてたまらなかった。


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