心優の部屋


「あ、そこを曲がったところです」


 彼女(たち)が住んでいる家は、住宅地にある一軒家だった。俺は家の前にタクシーを停め、下車した。


「両親は?」

「どちらも海外出張でいません。雪ちゃんと2人暮らしです。雪ちゃんは学校に行っているので、この家には誰もいないです」


 ベタな設定ではあるが、冷静に考えたら、高校生が2人で一緒に住むなんてすごい状況だと思う。


「おじゃまします」


 男女二人暮らしの部屋にお邪魔をするという背徳感を感じながら、家にあがった。


 玄関横の階段から2階に上がり、突き当たりの部屋まで行く。扉には『ここねの部屋』とプレートがかけられており、『夜9時以降は入っちゃダメ!』とマジックペンでメッセージが書かれている。


「ちょっと汚いですが、どうぞ」


 少し照れくさそうに言う心優に続いて、部屋に入った。


 ——いい匂い。


 まずそう思った。男の部屋とは全く違う、優しくて甘い香り。その香りで、不意に女子の部屋にいることを強く意識した。


 心優の部屋は北欧の白い家具で統一されていた。要所にある青色の小物がおしゃれなアクセントになっている。


「すごーい。画面映えしそうな部屋だね、ゆうにゃんの部屋とは大違い」

「……まあ、確かに」


 横でリコが感心する声を上げた。俺も自分の変哲のない部屋を思い出して悲しくなる。あの部屋にもどることは、多分2度とないであろう。

 

「どうぞ、座っていてください」

 

 心優に促されて、俺たちは北欧デザインの椅子に座った。


「着替える前に、怪我したところの消毒だけさせてください。あとになってはいけないので」


 そう言って、心優は化粧台の引き出しから救急箱を取り出した。膝の下に貼られた絆創膏をめくり、消毒液をかける。さらに、黒く汚れてしまった靴下を脱いだ。くるぶしのあたりが青黒くなっている。


「あざになっていたのか」

「あ、大丈夫ですよ。痛みはそれほどありません。それに、靴下で隠れるので、ごまかせますから」


 心優が足首に湿布とテーピングをする。その処理の手際の良さに、ハプニングには慣れているという言葉が本当だったのだと気づいた。


「ほら、これで目立たないですよね」


 テーピングの上から靴下を履きなおし、心優が立ち上がった。

 そして、クローゼットを開ける。

 そのクローゼットの中を見て、リコが声を上げた。


「え!? 何この部屋!」


 クローゼットの壁一面に鏡が貼られていた。

 鏡に映ったリコと俺が、驚いた顔をしている。


 クローゼットの中は、2畳ほどの広さで、床にはエクササイズマットが敷かれている。さらにはダンベルとチューブ、ぶら下がりマシーンが置かれている。

 まるで、究極までコンパクトにしたトレーニングジムのようだ。


「私が作った秘密のトレーニングスペースです。ふふ、最初は鏡を貼り付けて、服装のチェックするだけのつもりだったんですけど、ちょっとずつ器材が増えていってしまって」

「すごいな……」


 トレーニング器具って、個人が購入しても、部屋のすみで物置になるもんだと思っていた。


「『おいくし』はハプニング要素多めのラブコメなので、自分の体を見られる機会が多いんです。だから、ここで毎日トレーニングして、自分の体型を管理しているんです」

「か、——体?」

「そうです。お風呂入ろうとしたときに鉢合わせしたり、階段から転げてスカートの中に顔を突っ込まれたり。ラッキースケベってやつです。そんなときに、みっともない体型だったら、読者もガッカリするじゃないですか」


 さも当然のように心優が言う。


「まるでラッキースケベをわざとおこしているようだな」


 俺がそう言うと、心優がキョトンとした顔をした。おまえは何を言っているんだ、という口調で、


「もちろんわざと起こします」

「――え?」

「ここはフィクションなんですよ。少しでも多くのハプニングを起こして、物語を印象的にしなきゃ。なにも起きない物語なんてつまらないじゃないですか。ハプニングで作品が盛り上がるなら、私は一生懸命ハプニングを起こします」

「そ、——そうなのか」


 いや、そうなんだろうか。


「ねえねえ心優ちゃん!」


 クローゼットの中からリコの声。

 リコはクローゼットに置かれていたノートを見ていた。

 ノートの中には、心優の一年分の身長と体重の記録や、毎日のトレーニングメニュー、早口言葉、発声練習のコツや可愛く見える仕草についてのメモなどが書き込まれている。


「すごいねこれ! 毎日記録をつけてるの?」

「そうです。日々勉強なんです。私をより魅力的に見せるにはどうしたらいいのか。ずっと考えているんです」

「魅力的に?」

「私たちラブコメのヒロインは、私たち自身が商売道具ですから。私たちが魅力的でないと、作品が面白くならないですからね」


 心優が鏡を見つめながら言った。


「私たちはフィクションの世界の人間です。現実世界の読者を楽しませるためにいるんです。それは、リコさんも同じですよね」

「うん、もちろん!」

「でも、一概にフィクションといっても、それぞれのジャンルによって求められるものが違います。アクション作品を見る人は、爆発や銃撃戦のような激しい場面を見て、スカッとした気分になるのを望んでいます。ミステリー作品を見る人は、シリアスな展開でハラハラしたり、謎解きで騙されることを楽しんでいます。異世界ファンタジーであれば、必殺技を習得して格好良く敵を倒す場面が求められます。そしてそれを実現するために、登場人物たちはスタントの技術やアリバイの作り方、必殺技の繰り出し方なんかを考えて練習する必要があります」

「にゃるほど」

「だけど、ラブコメに求められているのは主人公とヒロインが恋愛する様子です。好きになる過程や、心の揺れ動く様子を見てもらうんです。ラブコメは人の『感情』を扱っているんです。もちろん、ハプニング系のイベントでえっちなシーンを楽しんでもらったりしますが、それは飽くまで恋愛感情を抱かせるための過程の一つでしかありません。だから、私たち自身が魅力的でないと、その作品はすでに失敗なんです」

「にゃ、にゃるほど……」


 リコの顔が徐々に険しくなっている。話について行けているのだろうか。


「特にメインヒロインは、最終的に主人公と結ばれなければいけません。主人公から恋愛感情を抱いてもらわないといけないんです。だから、その重圧は半端ではないんです」

「じゃあさ、主人公さんに頼んだらいいじゃない! 私のことを好きになってーって」

「それができたらいいんですけどね」


 心優が笑った。


「リコさんはそれができるかもしれません。裕介さんがフィクションの人間だって気づいてますから。でも、普通は、主人公は自分がフィクションの世界の人間だと認識していないんです」

「あ、そっか」


 ぽん、と納得したようにリコが手を打った。


「はい。だから、私がこうやって、雪ちゃんに恋愛感情をもってもらえるように高感度を上げる仕草を練習したり、ラッキースケベに備えて毎日鑑の前で体型チェックしていることを雪ちゃんは知りません。というより、知られたらダメなんです」

「でも、そうはいっても、好きになってもらえる保証はどこにもないんだろ?」


 俺は彼女たちの話に割り込んだ。


「主人公の好みや相性ってのもあるわけだし、心優がどれだけ頑張っても、好きになってもらえない場合だってあるんじゃないのか?」

「もちろん、保証はありません。だからこそ、私の技量が試されているんです」


 心優と目が合う。


「主人公とヒロインが結ばれないラブコメなんて、誰も読みたくありません。だから、そんなことがあってはいけないんです。ヒロインとして失格なんです。私にはラブコメのヒロインとして役割を与えられているんです。『主人公と絶対に結ばれろ』と。だから私たちは、私の見た目や言動、行動、性格、それらを全力で駆使して雪ちゃんの好感度をあげさせなければならないんです」


 心優はリコが持っているノートを見た。


「そのために、自分の現状をちゃんと把握して、魅力を全力で探して、足りないところは補って、魅力的なキャラクターになるしかないんです。あざといと思われようが、下品だと言われようが、主人公に積極的にアピールし続けなきゃいけないんです」


 心優のその言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。


 ——ラブコメのヒロインって、体力も知力も使うんです。入念な準備と絶え間ない努力も。


 車の中で心優が話していた言葉を思い出す。

 心優と初めて会った時、呑気に「ラブコメになるかもしれない」とウキウキしていた自分が恥ずかしくなった。

 

「というわけで、リコさん」

「えっ、はい!」


 突然名前を呼ばれて、リコが素っ頓狂な声を上げた。心優のノートをとても熱心に読んでいただらしい。


「ラブコメをするのであれば、リコさんは絶対に裕介さんから好きになってもらわなければならないんです。リコさんは自分にどんな魅力があるのか、教えてください」

「え? ええ? ——えっと、」


 リコの眉毛がきれいなハの字になっている。

 リコの反応はもっともだと思う。俺だっていきなりそんなことを聞かれて、すぐに答えは出てこない。突然面接が始まって自己PRさせられているようなものだ。


「か、かわいい!」

「何が可愛いんですか?」

「え? ぜ、全部!」

「全部というのは、具体的にどこですか?」

「具体的に……?」


 リコの目が泳ぐ。


「——か、顔! 笑顔!」


 リコは頬に人差し指を当て、「にゃは」と笑顔を作った。

 が、どう考えても引き攣っている。


 心優の追求は続く。


「他には?」

「他? ええっと、」


 引き攣った笑顔のまま悩むリコに対して、心優はしばらく回答を待っていた。しかしなかなか返答がないので、リコに対してこう言った。


「リコさん。とりあえず、そのメイド服を脱いでください」

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