ラブコメの予感


 それはもう、ずば抜けた美少女だった。


 肩に掛かるつややかな黒い髪、愛嬌を感じさせる大きな目、形の整った鼻。

 自分だって体に痛みがあるだろうに、俺のことを気遣うような眼差しに、性格のよさがうかがえる。制服を着ているから学生なのだろう。こんな子が学校にいればファンクラブの一つや二つあることは想像に難くない。


 清純派、というイメージをかき集めてぎゅっと凝縮させたような美少女だ。


「……あの、本当に大丈夫ですか?」


 黙り込んでしまった俺を、心配そうな表情でのぞき込んでくる。


「――あ、いや。すまない、ちょっとぼうっとしてしまった。大丈夫、大丈夫。本当に」

「よかった」


 ホッとしたように彼女が笑った。


「私、おっちょこちょいなので、よくこうやって誰かにご迷惑をかけてしまうんです。この間も、寝坊して学校行くときに、車にひかれそうになっちゃって」


 えへへ、と照れ笑いを浮かべる彼女。弾むような口ぶりに、愛想の良さも感じ取れる。


「この間は、雪ちゃんにも気をつけなきゃだめだって注意されたばっかりだったんですけど」

「――雪ちゃんって?」

「あ、雪ちゃんは私の幼なじみです! いま雪ちゃんの家に居候させてもらってるんですけど、愛想尽かされちゃったみたいで、朝起こしてくれなくなって」

「ねえ!」


 横から話を遮られた。リコだった。女の子のことを少しだけ敵視するような目で見ている。若干強めの口調で、


「時間大丈夫なんですか? 学校に遅刻しそうなんですよね!」

「え? あっ、すみません! もう行かなきゃ!」


 彼女が腕時計を見て、目を丸くした。俺の方を振り返り、


「本当にごめんなさい! 今日のことは、また後日あらためてお詫びをさせてもらいます。ではまたっ」


 女の子は頭を下げると、床に落ちているスクールバッグを手にとって走っていった。くるりと翻った瞬間、スカートがめくり上がり、純白のパンツが見えた。


 俺はずっと、かけていった女の子の後ろ姿を眺めていた。手に残る感触が、とてつもなく俺をドキドキさせる。

 ——すごく、柔らかかった。

 

「ゆうにゃん! ゆうにゃんてば!」


 はっと意識が現実に戻される。リコが俺の肩を揺すっていた。


「ゆうにゃん、大丈夫?? 顔にジャムついちゃってるよ」

「え? ジャム?」

 

 リコが手鏡を出してくれた。見ると、確かにイチゴジャムが顔にべったりついている。まるでジョーカーみたいだ。


「ほら、これ。彼女がぶつかった時にくわえてたの」


 リコが地面を指差した。

 食パンが落ちていた。

 なるほど、と思う。遅刻して食パンをくわえて登校する少女。これまた定番のシーンだ。


 ——このお詫びはまた後日させてもらいます。ではっ。

 

 後日、と彼女は言っていたが、俺は彼女の名前も素性も何も知らない。向こうだって、きっと俺のことを知らないだろう。後日というのは、もしかすると社交辞令だったのだろうか。せっかく出会ったのに、ここでさよなら、なんてことがあれば……

 

「あれ? ――これ。さっきの女の子が落としたのかな」


 リコが床に落ちていたものを拾い上げた。


 学生証だった。


 宮森学園。顔写真は間違いなくあの女の子だ。名前には「藍見あいみ心優ここね」と書いてある。


 ——これは、

 これは、なんというラッキーなのだろう。彼女に会いに行くという口実にはもってこいだ。


「これ、さっきの女の子のだよな。今から追って、届けてあげよう。な、リコ」


 俺がそう言ったら、リコが露骨に顔をしかめた。


「……ゆうにゃん」

「どうした?」

「いや、その……」


 歯切れ悪そうにそう呟くと、リコは少し黙り込んだ。やがて、首をふるふると振って、


「ううん、なんでもない。ゆうにゃんがそうしたいならそうしよう。私はついていくよ、ゆうにゃん。ただ、一つだけ、これだけは約束して! 私を絶対に物語から退場させないでね!」


 当たり前だ。


「ならいいや。宮森学園だったら、あっちの方角みたいだよ! ほら!」


 地図の看板をリコが指さした。

 リコの言うとおりだ。学校は今いる場所からそれほど遠くない。それに、今から追えばまだ間に合うだろう。


 ――そういう場所に出向いてたら、自然とそういう話になるかもしれないでしょ!


 リコの言葉が浮かぶ。

 物語の幕が開けて、一番最初に向かう目的地は、学校、ということになった。

 この選択が、この作品のジャンルを決める大きな一歩、ということになるはずだ。


「行こう、リコ」

「うん」


 リコの腕を引き、俺は走り出した。


 ——こちらこそすみません。学校に遅刻しそうで急いでいて、前をちゃんと見てなかったので。お怪我はありませんか?


 なるほど、と思った。

 走りながら、自分の頬が緩んでいるのがわかる。

 俺はいま、気分が高揚していた。


 この物語は、どうやらラブコメのようだ。


 こういった流れはよく知っている、こういう衝撃的な出会いをした後に、再び男女が会って、「あー、あなたさっきの!」とか言って、互いにちょっとだけ意識したりするのだ。そして、いろんなところ助け合ったり、ときどきケンカしたりしながら時間を過ごすうちに、恋心が生まれるっていうあのパターンだ。 


「いたよ! ゆうにゃん」


 横でリコが指さす。

 大通りの横断歩道で、信号待ちしている彼女の背中が見えた。

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