主人公

 どのくらい経っただろう。

 窓の外で日が昇り、沈み、それを何度も繰り返して、今ではもう日付の感覚も無くなった。人と話さないから声も出せないかもしれない。体の節々が痛い。


 俺はいつになればエンディングを迎えることができるのだろう。

 もう駄作でもなんでもいいから、早く物語が終わってほしかった。


 代わり映えのしない天井をぼんやりと眺めていると、何かが震える音がした。


 顔だけ動かして音がする方を見た。

 勉強机だった。

 かたかた、と引き出しがなっていた。と気づいたときには、引き出しが勢いよく開いた。


「パンパカパーンっ!」


 リコが出てきた。


「久しぶり、ゆうにゃん! ——って、わあ、ゆうにゃん。荒れてるねぇ」


 リコは薄暗い部屋を見渡すと、机から降りて俺の横まできた。


「ゆうにゃん、元気? 大丈夫?」


 顔を見たくなかった。

 布団をかぶって、俺はリコに背を向けた。


「ゆうにゃん、ゆうにゃんってばぁ。お話ししよー?」

「……話すことはない」


 リコの顔を見ることなく、俺は答えた。自分のものとは思えないしゃがれた声だった。


「ゆ、ゆうにゃんが冷たい……。久しぶりに会ったのに。——あのね、そろそろ物語が終わりそうなの。だから、それを教えにきたんだよ」


 リコのちょっとだけ遠慮がちな言葉。


「……終わり?」

「うん。ゆうにゃんが何かするかなぁって待ってたんだけどなぁ。でも、ゆうにゃん、本当にこのまま何もしない気でいるでしょ」

「ああ」

「だから、もうおしまい」

「……そうか」


 俺は寝返ってリコの顔を見た。

 ちょっと痩せたのかもしれない。相変わらず髪の色はピンク色だし、メイド服を着ているが、顔にはいつもの元気がないように見えた。


 もしかしたら、想定していたエンディングが迎えられなかったのが、ショックなのかもしれない。


「俺は今、最高に気分がいい。どうだ、ストーリを止めることができたんだ。脇役に操られず、物語を終えることができるんだ」


 リコは反抗しなかった。


「にゅふふ、さすがだにゃあ」


 リコは伏し目がちに言った。


「お疲れさま、ゆうにゃん」

「疲れてない」


 敢えて煽るような口調で答える。


「疲れないように過ごしたからな。あれだけいろんなことをしたのに、最終的には成長も友情もない物語になった。こんな意味のない物語、だれも想像してなかったに違いないだろ。これは、間違いなく、俺が選んだストーリーだろ。このまま俺は、エンディングを迎えてやる」

「……そっか。じゃあ、これで、私の役目は終わり」


 リコは少しだけ寂しそうな笑みを浮かべていた。


「ゆうにゃん、ありがとう。あともう少し。エンディングまで頑張ってね」


 なにが、「ありがとう」だ。本当は一ミリも思っていないくせに。どうせ本当にこういう結末を迎えたのが悔しくて仕方がないのだ。


 俺がやろうと思えば、こんな後味の悪い物語だって作ることができるのだ。


「ゆうにゃん。私はゆうにゃんのバディになれてよかったって思ってるよ。これは本当だよ」


 じゃあね、と言って、リコは引き出しの中に入っていった。

 ぴしゃ、と引き出しの閉まる音が部屋に響いた。

 俺は、その勉強机を見ている。しんとした静寂が周りを包み込んだ。


 ふん。


「……どうだ、みたか」


 俺は立ち上がり、勉強机に向かってつぶやいた。


 山場も見せ場もない物語になった。主人公が部屋に閉じこもって、発見も成長も起きない物語なんて聞いたことがない。

 まさか、こんなストーリーになるだなんて、誰も想像していないだろう。テーマだって、ありゃしない。


 それが、何よりも嬉しかった。


 自分しゅじんこうの意思一つで、行動一つで、ストーリーは大きく変わるのだ。

 主人公がいるから、物語は動くのだ。主人公の生き様に、テーマがついてくるのだ。俺たちがレールを引いて、その後ろからストーリーが追ってくるのだ。それをきちんと自覚することが出来た。


 俺は勉強机をけり倒した。


 ただの木製の勉強机はとても軽く、呆気ないほど簡単に倒れた。ける。ける。ける。机の脚が折れる。ける。ける。夕日がカーテンの隙間から差し込んで、俺は目を細める。まぶしい。まぶしいのが、心地いい。ければけるだけ、机が壊れていく。引き出しが割れる。突き板が曲がる。体が軽い。もうこうなってしまったら、机が跡形もなくバラバラになるまで、けり続けてやろうと思う。もうエンディングだ。怖いものなんて、何もない。


 俺を止めるものは、もう何もないのだから。



 

 チャリン。




 ポケットから、何かが落ちた。

 机を蹴っていた俺は、足を止めた。床に転がっているソレを、何気なく拾う。


「――これ、」


 鍵だった。


 この物語の最初。

 控え室で目を覚まして、物語の扉を開けるときに使った、あの鍵だ。


 どこにあったのだろう、俺のポケットの中にずっと入っていたのだろうか。

 こんなものがあったこと自体、今の今まで忘れていた。


 なんだか懐かしい気がして、俺はその鍵を見ていた。


 金色のリングがついた、太くて丈夫そうな鍵。リングにはタグがついていて、そこにはこう書かれていた。



『フィクションの役割』


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