物語のコマ

「助けに? ……どういうこと?」


 夏木さんが呟くように言う。


「殺されてしまうと聞いて、そのまま放っておくことはできない。それに、夏木さん知ってもらいたいんだ。この世界が面白いんだってことを」


 夏木さんがうなだれた。

 そして黙ったままエンジンをかけ直し、タクシーを走らせた。


「なあ、夏木さん」

「いい加減にして」


 夏木さんはロータリーを一周すると、再度タクシー乗り場の列の最後尾についた。


「私はここで犯人を拾うのよ。そうしなきゃだめなの。殺されなきゃだめなの! 私は死ぬの。物語のために」

「物語なんてどうだっていい。とにかく死んでしまうのは絶対にダメなんだって」

「だから、」


 夏木さんの声に怒りが宿り始める。


「私はここにいなきゃいけないの! 殺されるために生まれてきたんだから。せっかくいろいろと伏線も張ったのに、ここでいなくなったら全てが無駄になるじゃない」

「無駄になってもいい。そんなことのために命を無駄にするほうがダメなんだ」

「ダメじゃないわよ! ここで私がいなくなる方がダメなの」

「そんなのはどうにでもなる。だってここは、フィクションなんだから」

「フィクションよ!」


 夏木さんが声を張りあげた。


「ねえ、いい加減にしてくれる? 主人公って生き物は滑稽だって常々思ってたけど、あんたは飛び抜けて滑稽だわ。ねえ、私達の存在理由って分かってるの? どうして自分が生まれてきたのか、きちんと理解してるわけ?」


 夏木さんの強い口調に、俺は少し押されてしまう。


「それは、――物語を作るため、だろ。そんなのは分かってる」

「全然分かってないわ」


 夏木さんが俺を睨んでいる。


「あなたは、物語を作るってことがどういうことか全然分かっていない。あなた、あそこにいるずっと一緒の女の人、何のために存在してるか言えるの?」


 ずっと一緒にいる女の人?

 俺は振り返った。リコは約束通り、タクシー乗り場の近くで、周囲を警戒するように見渡している。


「何のためって。リコは俺の物語の脇役なんだよ。相棒みたいなものだ。――そんなことはどうでもいいから、早く、」

「それで? 脇役として何をしているの?」


 ――脇役として?


「いや、一緒にいるだけだけど」

「ほら、分かってないじゃない」

「え?」


 ――なにを、


「結局、主人公ってみんなそうよ! 何も知らないくせに、知ったような気になって偉そうに物言って。まあそういう立場だから仕方が無いと言えばそうなんだけど、それでもあんたは飛び抜けてるわ。他の誰も言わないようだから、教えてあげるわよ」

「――教える?」


 タクシーが動いた。

 前方のタクシーに客が乗ったらしい。

 列の順番が一つ進む。


 時間がない、とは思いつつ、俺は彼女の言葉を遮ることが出来ない。


「フィクションっていうのは、最初から最後まで筋書きが決まってるのよ。誰が何をするのか、どう行動するのか。登場人物の数も、ストーリーの展開も、言いたいセリフも、全部最初から決まってるのよ」

「最初から?」

「そして私たち登場人物は、その最初から決まっているレールに沿って、ストーリーを作ってるのよ」

「レール?」

フィクションここにいるみんなそう。私たち登場人物は、ストーリーをつくるためのコマなのよ。決められた筋書き通り、きちんとそれにしたがわなければならないの。これは、絶対。絶対、なのよ」

「いや、違う。それは違うんだ、夏木さん」


 俺は首を横に振った。


 夏木さんは勘違いしている。彼女はきっと知らないのだ。

 確かに、推理ものでは謎解きのためにいろいろと守るべきシナリオが決められているのだろう。そのために、いろいろ準備もしたのだろう。だけど、それは本当に限られた物語でのことだ。

 この世界フィクションは決してそんな縛られたものなんかではない。みんな好き勝手にやってるのだ。それが面白いのだ。


「確かにそれぞれ役割はある。そしてストーリーを作らなければいけないというのもその通りだ。けれど、べつに筋書き通り進んでいるわけじゃない。みんな、行き当たりばったりでやってるんだ。この、フィクションというなんでもありの世界で、登場人物がいろいろ技巧を凝らして、ストーリーをもりあげているだけなんだ」

「なんでもありの世界?」

「そうだ。ハプニングが起きたり、魔法が使えたり、空を飛んだり。何でもありだろ? そんな世界で、現実世界では体験できないようなことをして、読者に擬似的に楽しんでもらうんだ。突発的なハプニングも起きる。だから、別に最初からレールがあるわけじゃないし、俺たちはコマなんかじゃない。ストーリーに固執しなくたっていいんだ」


 夏木さんが諦めにも似た笑い方をした。


「確かにフィクションはものすごく柔軟な世界観を持つことができるわ。過去にも未来にも行けるし、舞台だって様々だし、ゴブリンみたいな生き物を登場させることもできる。必殺技も出せる。ロボットや動物と会話をすることもできるわ」

「そうなんだ。だから、そういう何でもありの世界で、俺たちが自由に、」

「最後まで聞きなさい」


 すぱっと夏木さんが言い放った。


「なんでもできる世界観だからこそ、フィクションには厳密な筋書きが決まっているのよ」

「え?」

「私達、登場人物はきちんとその筋書きと、その世界観を守るための規律に沿って行動しなきゃいけないのよ」

「……規律?」

「そう。ちゃんとその世界観をまもるように行動しなきゃいけないのよ。それは推理小説やサスペンスに限らない。アクションも、異世界も、コメディもホラーもそう。フィクションは全部そう。フィクションの世界に生まれ落ちた以上従うしかないのよ」


 タクシーの列が、また一つ進む。


「……フィクションは全部?」

「そうよ。全部よ。全部、決められたレールの上を進んでいるだけなのよ」

「いや、でも――」


 確かに、あったのだ。

 宮森学園でもあった。心優たちの物語で、予想外の出来事が起きてしまったけれど、みんなが機転を利かせてなんとかその場を凌いだのだ。そして心優はこう言ったのだ。


 ――フィクションはこうでないと。予定調和ばっかりじゃつまらないですもんね。


 そうだ。

 俺はそれをみたじゃないか。

 

「だから、大丈夫なんだって。嘘だと思うなら、だまされたと思って今すぐここを離れよう。俺たちと一緒に物語を作ろう。きっと楽しいに決まってる。だってここは、フィクションなんだから。なんとでもなるんだ」


 は、と夏木さんが鼻で笑った。


「だから、主人公って滑稽なのよ」


 吐き捨てるような雑な口調。


「まあ、仕方がないんだけどね。あの探偵さんだってそう。主人公はそういう役割だから、ストーリーのことを何も知らされてない。本人は自分の意志で物事を進めているって思ってる。でも、そりゃそうよね。読者は主人公の目線で物語を見るわけだもの。いちいち、『僕は物語を盛り上げるためにあえてこうします』なんて俯瞰的に言われたら、読者は興ざめしてしまうものね」

「いや、だから、」


 伝わらないのがもどかしくて、ちょっとだけ口調が強くなってしまう。


「それは知ってるんだって。これまで、いろんな作品に参加させてもらってきたんだ。読者は主人公の目線で物語を見るから、主人公だけはフィクションだと認識してないんだって。俺はそれをみてきたんだよ。それを踏まえた上で――」

「だから、あなたもそうなのよ」

「――え?」


 夏木さんが、こちらを見据えている。

 まるで全てを見透かしているかのように。


「なにを、……言ってるんだ?」

「どんな物語でも、主人公は自分が操られていることに気付いてない。そしてそれは、あなたも同じなのよ、主人公くん」


 指を指されている。戸惑う。


「……俺も同じ?」

「そう、私みたいな脇役は、ストーリーを作るためのコマ。そして、あんたたち主人公は、そのコマに踊らされてるなのよ。ぜんぶ物語を作るために、ストーリーという波の上であっぷあっぷさせられてるだけなのよ」


 頭をフル回転させる。夏木さんの言っている言葉を、なんとか理解しようとする。

 ——が、脳が処理できない。


「――どういうことだ? 俺が操られている? 俺は……、俺は自分の意思で、自由に行動してきたつもりだ。そもそも、誰に操られてるっていうんだ」

「だから言ってるでしょ」


 夏木さんの視線が、窓の外に移る。


「あなたの物語の脇役よ」

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