レッツ、カーチェイス!!

 目の前を通ろうとするタクシーを呼び止め、俺は運転席の扉を開いた。


「タクシーお借りします!」

「はあっ!?」


 ショートカットの女性ドライバーを引っ張り出し、俺は運転席に飛び乗った。施錠。


「ちょ、ちょっと! 泥棒!」

「すみません。絶対に後で返しますから!」


 女性ドライバーが外から窓を叩いている。だが、そんなことを気にしていられる状態ではない。事態は一刻を争う。

 クラッチを踏み、シフトレバーをローに入れた。サイドブレーキをおろし、


「準備はいいか、リコ」

「おっけぃ!」


 助手席のリコが親指を立てる。すぐさまアクセルを踏み、車を発進させる。女性ドライバーが何か叫んでいるのがサイドミラーから見えた。


 大通りは一直線に伸びている。

 制限速度なんてお構いなし、3車線を右へ左へ、飛び交うクラクションを尻目に、前へ前へと進む。


「ゆうにゃんとドライブできるなんて最高だにゃー」

「んな呑気なこと言ってられるかよ」


 はしゃぐリコにツッコむ。奴らの車はまだ見つからない。


 大通りの道沿いにはビルが連なっている。

 車を停めるような場所はない。きっとまだ大通りを走っているだろうと期待して、俺とリコは周囲に目をこらす。


 しばらくして、横からリコが、


「いた! いたよゆうにゃん!」


 リコが指さす方向を見る。——いた。真っ黒な高級外車。

 間違いない。

 一瞬の出来事だったが、傷一つなく磨かれた漆黒のボディも、全面スモークの窓ガラスも、記憶のものと一緒だ。


「よし、よくやったリコ!」

「にゃはは、後でヨシヨシしてね!」


 アクセルを踏み、車を追いかける。奴らの車からは100メートルほど。エンジンの震えで手が痺れ、スピードメータがカンコンと警告音を響かせている。


 もうすぐ奴らに追いつける。あと、4台。3台、2台——


 ぐん、と高級外車がスピードを上げた。


「——くそ、気付かれた」


 負けてられない。ギアを入れ直し、アクセルを踏み締める。最後の1台を抜く。奴らの背後につける。あと一歩で追いつけるかという所まで来て、


 ドリフト。


 タイヤから真っ白な煙を吐きながら、高級外車が急転換し、路地に入った。

 俺もそれに続く、——ことなんかできるわけがなく、やつらが入った路地を通り過ぎてしまう。


「あっ! ゆうにゃん! 曲がったよ! あの路地入っちゃったよ!」


 リコが横で指を差している。

 わかっている。

 わかってはいるが、俺の運転技術でついていけるわけがない。


 スピードを落とす。

 高級外車が入った路地は過ぎてしまったので、その一つ先の路地に入った。路地の両側はビルが連なっており、細く薄暗い。曲がれるところもないので、俺は電柱や野良猫をギリギリで避け、路地を突き進んでいった。


 やがて、大通りに突き当たった。

 目の前の大通りを高級外車が横切った。


「いた! いたよゆうにゃん!」

「りょうかい」


 俺はハンドルを大きく切って大通りに出て、アクセルをグンと踏み、前を走る高級外車を追いかけた。が、


「……速い」


 追いつけない。そもそも、街乗り用のタクシーで高級外車の本気のスピードに敵うはずがなかった。


 徐々に、

 徐々に車が、離されていく。


「くそっ」


 一か八かでアクセルペダルをべた踏む。が、距離は縮まらない。


 ——無理かもしれない。


 頭をよぎる。

 自覚はなくても体は緊張していたようで、信じられないほど肩が凝っている。アドレナリンが吹き出している感覚。奥歯に知らず知らず力が入り、ハンドルを握る両手が震えている。


 ぴちゃん、とフロントガラスに水滴がついた。


 雨かと思った。

 雨ではなかった。


 気づいた、藍見さんが窓から顔を出している。こちらに向かって、何か言っている。言葉は聞こえないが、目には涙が浮かんでいる。雨だと思ったこの水滴は、彼女の——


 ——私、おっちょこちょいなので、よくこうやって誰かにご迷惑をかけてしまうんです。


 ぐい、と藍見さんの体が引っ張られ、彼女の姿は車の中に消えた。真っ黒なスモーク窓が閉まる。


 ——大丈夫だよ。ゆうにゃんは主人公だもん。 


「リコ」


 横にいる相棒の名前を呼ぶ。


「俺が死んだら、この物語はどうなるんだ?」

「それは、——終わっちゃうよ。この物語は、ゆうにゃんの物語だからね。主人公がいなくなったら、もう物語は続けられないもん」

「そうか」


 エンジンの回転音が、まるで車の悲鳴のようにきこえる。

 ぶるりと身体が震えた。

 自分の身の回りで起きていることが現実のことであるとは思えない。脳に血液が集中して、なんだかぼうっとする。こめかみがドクドクと脈打っている。もう、どう考えていいのかわからない。

 いや、きっと答えなんかない。

 どうにでもなれ、と思う。


「車の中にあるものを、全部捨ててくれ」

「え?」

「全部だ。少しでもこの車体を軽くしてくれ」


 にゃは、とリコが笑った。


「りょーかいっ!」


 リコが窓を開ける。ダッシュボード上の後付けカーナビを引きちぎって、窓の外に投げ捨てる。ドライバーの名刺、プラスチックのプレート、無線機、ダッシュボードの書類の束、金庫――


 アクセルをべた踏む。広がっていた車間距離が、徐々に狭まってくる。追いつける。


「リコ、この調子だ。もっと捨ててくれ」

「うんっ」


 リコが後部座席に移動する。ものを捨てられるように、後部座席の窓ガラスを開けようとしたら、リコが悲鳴をあげた。


「ゆうにゃん、拳銃! 拳銃があったよ!?」

「拳銃!?」


 なぜタクシーに拳銃があるのか——当然のようにそう思う。が、俺がそれを口にするよりも早く、


「ゆうにゃん、あのクルマの右側につけて!」


 リコが窓から身を乗り出して、拳銃を構えた。

 

「え? リコ、お前撃てるのか?」

「ううん、使ったことにゃい! にゃはは! でもやってみるよ」

「え、いやちょっと待て——」


 乾いた音が大通りに響く。耳が割れるかと思う。


 外した。


「くっそー! もういっちょ!」

「おいおいおいおい! 待てリコ! 藍見さんに当たったらどうすんだ!」

「でもまずはあの車を止めなきゃ!」


 リコがハンマーを起こす。


「いや、そうだけど——」


 発砲。

 タイヤに当たった。——と、認識した時には、高級外車は制御を失い、右に急旋回していた。


「えええっ!」


 こちらが悲鳴を上げてもどうしようもない。


 黒い高級外車が、傍らの高層ビルに突っ込んだ。

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