ナイトメア・ハント

 引っ越してから、悪夢を見る。


 いや、悪夢なのだろうか? あいつ等の気味の悪い笑い声が耳に残っている、あいつ等の気味の悪い手に掴まれた跡がある、あいつ等の血やヨダレに塗れた口に噛まれた跡がある、幽霊? 悪霊? バケモノの巣だろうか、この部屋は。


 毎日だ、眠れない、この部屋に何かあるのだろうか? 事故物件を掴まされたのか? やたら家賃が安かったのはそのせいだろうか。


 眠れない、どうしたらいい? 眠れない、恐ろしい。

 このままでは殺されてしまう、あいつらにあいつらに。


 仕事をしていても、寝不足でまともな事ができない、あまりにひどい顔をしていたのだろう、休めと言われた。

 知り合いに霊能者など居るはずもなく、相談する霊感の強い友人など当然いない、いる方が稀だろうが。


 会社を出て昼間の日差しが照中、フラフラと公園に向かいベンチに腰を下ろす。

「はぁ」と短いため息をつく、子供が遊具で遊んでいる、あぁ、子供は悩みが無くていいな。


 不意に、手元に影が差す、横を見ると男が立っていた。

 中東の方の人だろうか、浅黒い肌、大きな鷲鼻、猛禽のような鋭い目、髭を蓄え、歳は中年くらい五十から六十代、皺は刻まれているが、体中から生気が溢れている様だ、疲れた自分とは大違いだ。

 その人が話しかけてきた。


「こんにちは、お話させてもらってよろしいかな?」

「いや、宗教の勧誘とか間に合ってるんで、他、当たってください」

 俺は余程嫌な顔をしていたんだろう、彼は目を細めて何とも言えない愛嬌のある笑顔で話を続けてきた。

「ハハハッ、そんなものではありませんよ、あなた質の悪いモノに憑かれてますね?」

「え?! わかるんですか?! お願いします、助けてください」

 俺は必死だ、余程参っていたんだろう。


「少し見せていただけますか?」

 あいつ等にやられた跡の事だろうか? 俺は手や足のつかまれた跡や噛まれた歯形を見せてみた。

「なるほどなるほど」

 彼は、フムフムと頷きながら、俺の手形や歯形に手を軽く当てていくと、まるで何もなかったように跡が無くなっていく。

「すごい! どうしたんですかこれは!」

 俺は、後が消えた手足を見ながら驚いて言う、彼は本物だ。


 彼は、まるで汚れた手を払う様に振りながら。

「ここでは何ですので、私の店に行きましょう」

「お店ですか?」

「あぁ、はい、私ペットショップを商っておりまして、アルハザードと申します」

 彼は、愛嬌のある笑顔で、優雅にお辞儀をしながらそう言った。


 ******


 アルハザードさんに、彼の店に案内された。

 意外なことに、ペットショップだった、名前は『アラブの詩人』。

 お洒落な名前なので謂れがあるのか聞いてみたら「ご先祖がそんな風に呼ばれていた」らしい。

 置いてある子たちが、極端に少ないのも気になって聞いてみたが、必ず飼い主が見つかって行くらしい。

 彼に言わせると「そうゆう子達しか来ない」そうだ


 店内にある丸テーブルをはさんで座り、俺はアルハザードさんに経緯を話した。

 彼は、フムフムとうなずくと。

「悪いものが集まる場所に住んでしまったようですね、いや、そこは建物を立ててはいけない場所だったのでしょう」


「何とかなりますか?」

 もはや彼が何者でもいい、藁にも縋る思いで、この現状から救ってほしかった。

 彼は、またフムフムとうなずくと、席を立ち奥の部屋から何やら持って来て、俺の目の前に並べた。

「えっとこれは?」


 一つは見た事がある、ドリームキャッチャーと言う奴だ、クモの巣状の目の粗い網に羽で飾られている、悪夢から守ってくれる魔除けのお守り。

 もう一つは、拳大の乳白色をした丸い球だ、パワーストーンってやつだろうか。


「この二つを差し上げましょう、きっとあなたの助けになるはずですよ、枕元にでも置いて寝てください」

 アルハザードさんは、ニッコリ笑ってそう言ってきた。

「ありがとうございます……えっとお金とかは」

 おずおずと切り出した俺に、アルハザードさんは。

「それは、あなたの所に行く運命だったので、お金などいりませんよ」

 そう言って、愉快そうに笑った。


 ******


 その日の夜、藁にも縋る思いでアルハザードさんからもらった物を、枕元に置いて寝ることにした、こんな物でどうなるのかとも思っているのだが、彼の人懐っこい笑顔を思い出し、何故か不安が消えていった。


 悪夢が来た。

 足元から這い上がるように、眼窩が落ちくぼみ口を大きく開け、嫌らしい笑みを浮かべた血まみれの女。

 ズルズルと這い上がってきた女の動きが止まる、落ちくぼんだ眼窩の濁った眼は驚愕に広げられ、醜い笑みは凍り付いている。


 俺の顔を見ている? いや微妙に視線がずれている、何を見ているんだ? そう思った瞬間、女の体が急に浮き上がった。


 バケモノ女の顔が恐怖で引きつっているのがわかる。

 バケモノ女の体に白い筋が入って行き、みるみるうちに白い繭が出来上がった。

 そして、白い繭の後ろから、ビロードのように美しい黒く短い毛に覆われた、丸く愛らしい両手を広げたぐらいの大きさの蜘蛛が姿を現した。

 赤い宝石のような目を光らせ、可愛らしく挨拶をするように小首を傾げ、また姿を消した。


 俺はそのまま、何日かぶりに熟睡した。


 その次の日も、そのまた次の日も悪夢は襲ってきた、崩れた姿の子供、上半身だけの男、鬼のようなバケモノも居た。

 だが、ことごとく黒く美しい蜘蛛に絡めとられ、繭にされていった。


 俺は気がついた、アルハザードさんからもらった乳白色の白い石、アレは石ではなかったんだと。

 手に取ると時々コツコツと何かが叩くような音がする、内側からだ、それも段々と強く。

  そう、これはアノ蜘蛛の卵なんだ、俺の悪夢を喰らって力を付けて生まれようとしているんだろう。


 この部屋は悪いものが集まるらしい、餌はたっぷりと集まってくる。

 この子が卵から出てきたら、愛おしいこの子と共に、アルハザードさんにお礼を言いに行こう、俺は美しく光る卵を撫でながらそう思った。


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