第79話、ある雪の日に……(閑話2)
トライエンド侯爵家の朝は早い。
だが、雪が降り積もるようになると、寒さのせいか侯爵家の使用人さんたちの活動も遅くなったみたいだ。
どれ位遅くなったのかと尋ねられれば、1時間と答えるだろう。
え、この世界にそんな正確な時計があるのかって?
いやいや、ある訳ないでしょう。
では、なぜ俺は知っているのか聞かれれば、これのおかげだ。
枕元に置いていた5.5インチのスマホの――。
先日、麗華さんたちと約束したスキーに行こうと思い、日本時間で6時30分にアラームをセットしておいた。
楽しみで早起きしたわけではない。多分……。
最初、このアラームを使った時は、侯爵家でチョットした騒ぎになったものだが、今では慣れたのか、誰かが駆けつけることもない。
まぁ、さすがにまだ暗い内から緊急地震速報が鳴り響けば騒ぎにもなるか……。
話はずれたが、いつもであれば使用人さんが扉を開く音が聞こえてくるのだが、そんな気配は全くない。起床してから既に30分たったというのに。
窓から、薄らと明かりが入ってきている事からわかるように、既に日は昇っている。
それにしても寒い。
息を吐き出す度に、タバコの煙を吐き出しているみたいだ。
昨日の夕方からちらついた雪のせいだろうけど、雪国育ちでもない俺に、この冷え込みは正直きつい。
だが起きるしかない。今日は楽しいスキーの日だからな。
十分に温まった布団から、のそのそと這い出し、俺は窓を開けた。
「なんじゃこりゃ!」
思わず目が点になる。
粉雪が舞っていたのは昨日の午後からだった。30センチも積もれば最高だなとか思っていたが、窓から下を覗き込めば手が届くところまで雪が積もっている。
こんな大雪では、俺のイムニーでも進めない。クソッ。
ちなみに俺たち3人の部屋は二階にある。ちなみに使用人の部屋は一階だ。
どうりで誰も起きてこないはずだよ。
きっと使用人さんたちも起きて窓が開かなかったから諦めたんだろう。
二度寝に入りたい所だが、寒さで目が覚めちゃったからな。
仕方ない。とりあえず起きるか。
ここには宿屋によくある、顔を洗う桶は用意されていない。
タオルを持って一階へ下りる途中で、メイド頭さん発見。
「タケ様、おはようございます」
「クミンさんもおはよう。しっかし寒いねぇ。しかも外は大雪だし」
「ここの冬は毎年こんな感じでございますよ」
猫背気味に丸まっている俺とは大違いだな。このおばさん。最高齢だけあってこれだけ寒くてもピシッと背筋も伸びてるんだよね。
これで普通といわれたら余計に身震いしてしまう。
「でもこれだけ雪が積もったら、食料の買い出しとか行けないんじゃ?」
まさか2mは積もった雪をかいて進むのかな。まさかな――。
「いえ。地下道を使って商会まで買い出しに行くんですよ」
クミンさんに聞いた所、雪が積もった時は地下通路を使うらしい。人の屋敷の中とか探検した事はなかったから俺が知らなかっただけか。
もっとも地下通路が通っているのは、王城、貴族家、商会だけみたいだが。この通路を使って移動するのは、珍しい話ではないらしい。
他の都民たちはどうしているのかと尋ねれば、人海戦術で朝早くから街の雪かきを行っているらしい。なんとも逞しいものだ。
侯爵家の広い庭園と、門からここまでの通路は冒険者組合に雪かきを依頼するそうだ。
そんな依頼は嫌すぎる。
クミンさんと分かれて洗顔場に行くと、桶にはお湯がはってあった。
さすが、メイド頭。仕事が早い。
クミンさんに感謝しながら顔を洗い、身だしなみを整えた俺は自室へと戻る。
それにしても困った。これじゃ何もすることがない。
こんな大量の雪を生で見たのも始めてだし、どうしていいのかわからん。
確か窓の外は芝生が広がっていたはず。何か魔法でも撃ち込んでみるかな。
何がいいか……ん、おっ、これがいいかな。
(【
さすがにこの量の雪を消し去る事はできないだろうけど、ものは試しだ。
「
すぐに魔法は発動し、赤い炎の塊が空中へ飛んでいく。
屋敷からの距離はちゃんと計算してある。
狙い通りの場所へと到着した炎の塊が、空中でくるくると回転を始める。
目視出来ないほどの速度まで回転すると、水をたっぷりと含んだタオルを振り回し飛び散る水滴のように、火球が周囲に散らばっていった。
厚い雪の絨毯に呑み込まれていく火球。
火球が沈み込んだ場所から、嫌な音が聞こえる。
ジュボッツ、ジュボッツ、ジュッ、と音を奏でながら次々と火球が沈んでいく。
あれ、これで終わりかと思った矢先。ドカドカドカッと激しい地鳴りとともに一気に庭先が燃え上がった。
火の勢いは収まらず、どんどん屋敷に向かってくる。
俺は慌てて生活魔法水を撃ち込むが、あ、間違えた。しょぼい生活魔法で消せるはずもなく、屋敷まで後1メートルと迫った時に、背後のドアが急に開いた。
「タケ様ぁ、何やっているんですか! チッ、
飛び込んできたのはサラフィナで、室内へ入り状況確認を済ますとすぐさま魔法を詠唱した。
青い玉が窓から放出され、次の瞬間――炎を囲む様に水の障壁が展開される。
屋敷中が騒がしくなり、廊下を誰かが駆けてくる音も聞こえる。
――やばっ。
「どうしました!」
「いったい何が――」
「タケくん、これはいったい」
「きゃぁー」
同じ階のアロマ、侯爵、麗華、若い使用人の順で次々と部屋に飛び込んでくる。
火の勢いは未だ収まらず、サラフィナが放った魔法をジワジワと蝕んでいく。
侯爵邸の庭からモクモクと水蒸気が周囲へ広がる。恐らく街へも流れ出している事だろう。
「タケ様も水の障壁を――」
そうは言われても、俺の水魔法の中にそんな物はない。
おっと、良いのがあった。
「
サラフィナが俺の詠唱を聞いて、眉を吊り上げる。
「タケ様、それっ――」
水の塊が窓の外へ飛んでいくと、徐々に巨大化していく。
すっかり溶けきった地面へと巨大な水色の塊が足を付けた瞬間、そこには侯爵邸よりも高い竜が立っていた。横幅だけでもかなりある。頭がでけぇ。
顕現した竜は、魔法を発動したものの思考を読み取り行動する。
俺は炎を消すため、ブレスを吐き出すイメージを固めると、竜は大口を開き大量の水を吐き出した。満遍なく鎮火させるため、首をゆっくり回している。
さっきまで押され気味だった水障壁が、竜の援護射撃で生き返ったように勢いを強めた。
そして俺は今、侯爵の書斎にいる。
侯爵は頭を抱え苦しそうだ。
俺が回復魔法をかけた方がいいのだろうか……。
「タケくん、頼むから余計な事はしないでくれ」
「はい……すみません」
侯爵のお説教は短かった。
客人の不始末は主人の責任だからかな。
まぁ、次は気を付けよう。
翌日、食事の時間に侯爵から1枚の羊皮紙を渡された。
書かれていた内容は、あぁ、思い出したくもない。そこには麗華を身請けした時以上の額が記載されてあった。
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