第76話、剛人の受難。

 一方、東京の颯コーポレーションの社長室に場所は移る。

 月明かりすら差し込まぬ真っ暗な室内で、剛人は社長の椅子にぐったりとした様子で深く腰掛けている。その瞳は虚ろで、麗華が使用していたデスクに向いている。

 その姿は鬼と喩えられた頃とは違って完全に覇気を失っていた。

 既に全社員は帰宅し、高層ビルのこの階にいるのは剛人だけだ。


 視点の定まらない様子で剛人は考える。

 麗華が姿を消し、剛人が自らの足で探し回った時から既に3カ月。

 タケから麗華の手がかりが掴めそうになった時には、颯コーポレーションは剛人の手から離れてしまっていた。


「ふっ、今更考えても詮無きことか――」


 全てを失った男の呟きがコンクリートの壁に吸い込まれる。

 遡ること2カ月前――。

 剛人が麗華を探し回っている時期に、買収を進めていた企業に多額の負債が発覚した。

 企業買収ではたまにある事だ。そんな事態を防ぐため、これまで信用のおける調査会社に依頼し十分な下調べを行ってきたし、今回もその筈だった。

 購入したのは日本の企業だったが、その会社がまさか大きな負債を抱えている海外の企業を子会社化している事までは分からなかったのだ。

 颯コーポレーションの株価は一気に下落し、剛人は私財を投じ自社株買いに走り、何とか持ちこたえたように思えたのだが、まさかそのタイミングで同業者から買収攻勢を仕掛けられるとは――。

 結果的に持ち株比率は下がり、急遽行われた株主総会で剛人は役員から下ろされてしまった。そして今日が社長としての最後の仕事だった。


「親父が築いた会社を俺がダメにしちまうとはな……す――ない」


 消え入りそうな剛人の声は虚空に消える。

 悲壮感を漂わせながら、ゆっくりと立ち上がると社長室のドアを開き通路に出た。

 ドアが閉まる瞬間、剛人は最後に麗華のデスクに視線を向けると小さく頭を下げた。そこに居ない両親、麗華に謝罪するように……。





 剛人が会社を追われ退社してから1カ月が経過した。

 手持ちの株の一部を処分し、新たな資金を得た剛人はオワコンだった国内の動画配信サービスの会社を買い取り、今はそこのワンフロアにいた。

 社員数は20名弱と颯コーポレーションの100分の1の規模だが、その代わりに各社員との距離は近い。物理的にも精神的にも……。そんな会社だ。

 この会社を購入するにあたり、剛人の中では少なくない予感があった。

 異世界で発見されたタクシー、もしアレに麗華が乗っていたのだとすれば、タケが必ず見つけてくれるだろうと。

 淡い期待かもしれない。それでも剛人にはこれが一番の方法に思えたのだ。

 剛人が社長に就任し、システムをWooTobeに似せたものに作り替えた。

 勿論、この会社に異世界へ人を送り込む事などできない。

 しかし、この業界に居ればいつかは麗華ともタケとも繋がるかもしれない。

 砂浜から一粒の金を探すような僅かな望みにかけたのだ。

 いつかその日が来ることを夢見て。



 剛人は社長だが、その仕事内容は多岐にわたる。


「社長ぉ~レンタルサーバーの契約更新手続きを月末までにお願いします」


「あ、こっちも。銀行の口座から引き落としが出来ないって東京電力から連絡がきてました」


 サーバー構築担当の佐伯とシステムエンジニア担当の五十嵐から声がかかる。


「あぁ、午後一で先方と銀行には振り込んでおくよ。そういえば、トイレの電球が切れてたとか言ってたか、ついでに買ってくるから後で頼む」


 社長の席と社員の席はそれほど離れていない。

 剛人の今の仕事は雑用、経理担当といった所だ。

 たまに商工会議所の集まりにも出席するが、元大手の社長であった剛人に好んで近づくものもいない。落ちぶれた人間とは付き合いたくないのだろう。

 近づいてくるとすれば、怪しい物件の誘いや、別の業種からの投資の誘いくらいだ。

 それでも颯コーポレーションに居た時よりもそういった輩からの誘いは減った。


 社員とのこういったやり取りにも慣れ、颯コーポレーションに居たときの剛人を知る者がいれば、誰、この人。と言われても不思議ではないくらいには社員たちに溶け込めている。


「そういえば社長ってどうしてこの会社を買い取ったんすか? 毎年赤字続きの会社じゃ儲からないでしょうに……」


 若手プログラマーの金子がざっくばらんに聞いてくる。

 気が張っていた颯コーポレーション時代であれば、タケに注意した時のように苦言を呈する所だが、今の剛人はすっかり憑きものが落ちている。


「ははっ、買い取った理由は――」と言いかけ剛人は口を噤む。

続けて代わりに「来年こそは黒字を出すぞ。皆も協力してくれよ」という。


「何だかはぐらかされた気もするけど、秘密なんすか?」


 剛人が途中まで言いかけたことで、尚も金子に突っ込まれる事になる。

 社長と金子の会話は当然、他の社員にも筒抜けだ。


「私も気になるぅ、何でですか? 初期は群雄割拠の業態でしたけど今はWooTobeの一人勝ちでしょ、絶対儲からないと思うけど……」


 システムエンジニア担当の五十嵐がぶっちゃける。

 思わず剛人の眉がピクッと動くが、恐らく気づかれてはいまい。


「ふっ、別に話て差し支えがあるわけではないんだが、数ヶ月前にとある動画を見てね、その人のファンになったからだよ」


 剛人は吐息を漏らすと、簡単にきっかけを話して聞かせる。

 もっと意味深な回答でも期待していたのか、五十嵐はそれだけ!? と失礼な事をいっているが、金子の反応は少し違った。


「社長がファンになる配信者ってどんなのなんすか? ちょっと予想がつかないんすけど」


 金子は小首をかしげながらそんなことをのたまう。

 諦めて剛人はこの業界へ飛び込んだきっかけになった異世界配信の話を聞かせた。

 さすがに同じ業界人だけあって、皆から「あぁ、あれかぁ」といった反応が返ってくる。


「でも確か、ほんの2カ月くらいで辞めちゃったでしょ、彼」


「そうそう、しかも動画編集は下手だし実際にカメラワークはブレブレだったすからね。あれは本当に異世界だったのかって今では懐疑的だって有名っすよ」


 五十嵐に続いて半ば、馬鹿にしたような口調で金子も乗ってくる。


「確かに、撮影技術、映像編集は拙かったけどね、でも異世界って聞くと心が弾まないかい?」


 剛人がさりげなくタケをフォローする発言をするが、


「どうせなら宗っちみたいに上手い人の動画の方がスポンサーウケは良いんですけどね」


 ここでサーバー構築担当の佐伯も会話に参加してくる。配信業を生業としている以上は、佐伯の言い分が正しい。


「ははっ」


 剛人もこれには苦笑いを浮かべることしか出来ない。


「そういえば――異世界っていえば、今、アメリカで異世界の国家改革を題材にした内政動画が話題になっているみたいですよ。ただし、会員限定とかで短いデモ動画しか一般には見られないようになってるみたいですけど、それで、デモ動画を見たんですけど、建物が中世的というか、何か昔のフランス映画のような感じだったんですよね」


 何気なく佐伯が語った話に、一瞬、剛人の視線が鋭くなる。


「へぇ、それにはモンスターとか出てくるのかな?」


「やだぁ、社長ったらそんなもの居るわけがないじゃん」


 おどけながら剛人が尋ねると、五十嵐が有り得ないからとけらけら笑った。


「社長はファンタジー物が好きなんですね。残念ながらデモ動画にはそんなもの出てきませんでしたよ」


「そっか、それは残念だ。僕も後でその動画を見てみるよ。有力な情報をありがとう佐伯さん。さて、無駄話はここまでにして仕事にとりかかってくれ。黒字化したらボーナスも出せるからな」


 社員たちはボーナスなんて夢ですよ、とか、仕方ないやるかぁといった反応でデスクに向かった。パソコンのキーボードがカタカタ音を鳴らす中、剛人は密かに思いをはせる。

 異世界への糸口が見つかるかもしれない。そうすれば、麗華の消息も、タケの現状も分かるかもしれないと心に光を灯しながら――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る