第50話アリシアの気持ち

 客間のテーブルの上には、紅茶が3人分用意されていきます。

 1つは俺、2つ目はアロマ、3つめはアリシアの分です。

 ゆったりとした所作で紅茶を注いだ執事のレオナルドさんは、注ぎ終わると壁際へと移動し控えます。

 さっきの第四王子の会話もそうだけど、控えている執事さん絶対に話聞いているよね?

 聞かれても大丈夫なんだろうか?

 レオナルドさんは温厚そうな見た目で、信用できそうな人だけど、サラエルドに来た執事は正直、俺は好きにはなれないタイプだった。

 あからさまに侯爵家の執事は偉いんだ、下民風情がって雰囲気の口調だったしね。

 まぁ、アロマさんたちが信用しているからこの部屋の中に控えているんだろうから、構わず俺も話すけどさ。


「アリシアさん、だいぶお痩せになられましたね。そんな事では兄貴が心配しちゃいますよ」


 アロマからは、1月前よりは食べるようにはなったけど、まだまだ食が細い話は聞いている。お腹の子供のためにも、早く元の元気な姿に戻って欲しい。そう思い声をかける。

 アリシアは俯いたまま口を開く。


「ごめんなさい。タケくんに心配かけて」


 俺の顔を見ないのは、直視すると兄貴と俺のふざけあっていた光景が思い出されるからなのか、わざとこちらを見ないようにしている気がした。

 兄貴を思い出すのがつらいのはわかる。だからといって兄貴と暮らした楽しい思い出から目を反らして欲しくはない。

 だから俺は言う。


「俺、兄貴が死んでから必死で魔法を覚えたんです。今更ですけど……一人でもあの3人で見に行った家のローンを支払えるようになりたいと思って。兄貴がアリシアさんと暮らすために購入したあの家で子供を育てて欲しかったから。でも、アリシアさんが消えたあの日、あの家を見に行ったら売却中になっていて、俺悲しかったんです。兄貴との思い出が消えていくことが……アリシアさんはこのままでいいんですか! きっと兄貴だったら――」


 俺が思いの丈をぶちまけていると、俯いていたアリシアが突然叫び出す。


「――やめて! キグナスの事を考えるだけでもうつらいの。お腹の子供の事を彼に話す前に死なれて、私、どうしていいのか分からなくなって――子供の事を考えれば、栄養のあるものを食べなくちゃって何度も思った。でも、いざ食べ物を口に入れようとすると、彼との楽しかった食事風景が思い出されて、手がつけられなくなった。そんな私が、彼が楽しそうに選んだあの家に住めると思う? この間取りにはフカフカのベッドを置いて、この台所には色々な種類の料理を乗せられる位大きなテーブルにしよう、もし子供ができたらここは子供部屋にして、この庭で俺が子供に剣を教えるんだ。アリシア、お前は俺と子供の稽古をそこから見守っていてくれ。そんなどこにでもある些細な幸せを一つ一つ思い浮かべながらキグナスが楽しそうに笑ったあの家に――私と子供だけでどう暮らせというの? あの街の坂の上の林檎亭だってそう。キグナスが好んで食べた甘辛い味付けの鶏肉。とても一人では食べきれない鳥の丸焼き。その一つ一つが、彼の顔を、彼の笑い声を思い出させるの。いつも私がこういうと、こんな反応を返してくれたなとか、ちょっと意地悪をするとおろおろして誤ってくれた。私の中には生前のキグナスがまだ生きているの。忘れられないの。亡くなったなんて嘘、そう何度も自分に言い聞かせてこの1月生きてきたの。この家に帰ってくれば、ここから連れ出してくれたあの時のように、こっそり窓を開けてくれるんじゃないか――そんな思いに今も取り憑かれているの。こんな私に、タケくんはどうしろと? 悲しかった? 私の方が余程悲しいの。まだ付き合いの浅いあなたが、キグナスを分かった風に言わないで! お願いだから……もうそっとして置いて。父の事は感謝しているわ。ありがとう。私からの話はそれだけよ。それじゃお元気で、さようなら。タケくん」


 アリシアは思いの丈をぶちまけると、客間から飛び出していった。

 その場に残された、俺たちの間には静寂が流れる。


「そうだよな。俺よりアリシアの方が兄貴との付き合いが長かったんだ。俺が踏み込んでいい問題じゃなかった。アロマさん、すみません。お騒がせしてしまって――」


 俺はアロマさんに頭を下げる。

 兄貴が死んでからもう1月も過ぎている。

 時間が経過すれば、アリシアの気持ちも少しは軽くなっていると勝手に思い込んでいた。

 でもそんなのは、俺の勝手な妄想だ。

 自分に都合がいい思い込み。

 アリシアの気持ちも考えず、兄貴との思い出を大切にするためにあの家のローンを払うなんて、思い上がりも甚だしい。


 はぁ。

 一気に頭ん中が冷えた気がする。

 多分、目の前のアロマからすれば、今の俺の顔は青いんだろうな。

 サーッと血が引くってこういう感じなんだ。


 俺は、落ち着こうとして冷め切った紅茶に口を付ける。

 アロマも何か考えているようで、俯いたまま黙り込んでいる。

 客間には俺とアロマの息づかいしか聞こえない。


 そんな時だ――突然ノックもなく客間のドアが開かれたのは。


 開いたのは見たこともない立派な甲冑を着込んだ騎士3名。

 騎士の背後には、第四王子がだらしなく腹を突き出して立っている。

 何だこいつら。

 今はお前に構っている心の余裕はねぇぞ。

 そんな心持ちが態度に表れる。

 俺は第四王子を睨んでいた。

 すると王子は俺を指差し、騎士へと命令を下した。


「アイツだ! あいつが僕に暴力を振るったんだ! 今すぐ引っ捕らえろ!」

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