第48話侯爵の回復

 トライエンド侯爵の邸宅へ到着するとすぐさまアロマは執事に指示を出す。


「すぐにお父様の寝室に向かいます。レオナルドはアリシアに知らせて頂戴。タケ様をお連れしましたと伝えるのですよ」


 忙しなく要件を済ませたアロマは、俺たちを伴い屋敷の奥へと通路を進む。

 背後では「お嬢様、お召し替えを――」と叫ぶメイドの姿があるが、アロマは手をひらひらと振る事でそれを断る。

 俺が一刻を争うと言ったから、迅速に行動しているのだろう。

 長い通路を進み、一番奥の部屋に到着するとアロマは軽くノックをして室内へと入る。

 俺とサラフィナは一旦ここで待つ様に言われ立ち止まるが、すぐに「お入りください」と中から声をかけられ、室内に入った。


 室内は質素な装いで、侯爵家の当主の寝室とは、お世辞にも思えなかった。

 別に治療師を迎えるために質素にしている訳ではないことは、立てかけられた家族の肖像画から伝わってくる。

 ベッドの横には看護用にと椅子が用意されていて、そこには白銀の髪を頭の上で貝のように巻いた中年のご婦人が、疲れた表情で座ってこちらを見つめていた。


「お母様、こちらがサラエルド一の治療師でいらっしゃるタケ様です」


 アロマの紹介にあずかり、俺は公爵夫人に礼をする。

 俺が挨拶を交わしている間も、ベッドに寝かされている侯爵の体は微動だにする事はない。まるで植物状態に陥った患者を診ているようだった。

 ベッドの脇のテーブルには何とか侯爵に流動食を食べさせようとしたのだろう、おかゆのような物が入った皿とスプーン、水の入ったピッチャーが置いてあった。

 俺は急いで治療に入る旨を居合わせた家族に伝える。


「では、さっそく治療に入ります」


「父を、どうか助けてください。お願いします」


 アロマが恭しく礼をする。侯爵夫人も頭を下げるが、これまで何人もの魔法師に侯爵を見せたのだろう。諦めの混じった表情から、今度も無理なのだろうと思っているのが窺えた。


 これまで多くの魔法師が回復魔法を行い、回復の兆しが現れなかった患者だ。

 俺がやった所で、成功する保証はない。

 俺は公爵夫人とアロマに黙礼すると、公爵夫人が腰掛ける椅子とは反対側に立つ。そして、体の中からマナを絞り出す感じで魔法名を唱えた。


 今回は万全を期してフル詠唱バージョンだ。


「我、慈愛の女神チョコナリーナに願う、かの者へその力の一部を与えたまえ――下級回復魔法フェイルス!」


 これまでとは違い、全力でマナを振り絞った。

 俺の頭上にぶわっと吹き出した青いオーラはこれまで以上に大きな円を構築する。人をスッポリと包み込むまでに成長したそれは、次の瞬間に手を向けている先。ベッドに横たわる侯爵の体内へと入っていく。

 侯爵の体を舐め回すように循環したマナは、頭部に差し掛かると一際激しく輝き消滅した。


 誰もがその光景に固唾かたずをのむ。

 ベッドには虫の息だった侯爵はもういない。

 まだ寝てはいるが、顔色もよく、呼吸をする度に元気に胸が上下する侯爵の姿がそこにはあった。

 一目で回復しているのが分かる侯爵の胸に「あなた……」と抱きつき泣き出す公爵夫人。これまでの気苦労を洗い流すかのように号泣している。

 その光景を目にし、アロマも涙ぐんでいる。


 よし! 俺がこれまで鍛えた魔力操作が実を結んだな。

 サラフィナも良くやったとばかりにバシバシ背中を叩く。

 こうして背中を叩かれるのはいつ以来だろう。

 朧気にそんな事を考えていると、病室の扉がふいに開けられる。

 そこにはやつれた面持ちを浮かべたアリシアが、執事を伴い立っていた。


 俺はあまりに唐突すぎて声もあげられない。

 確かにここはアリシアの家なのだから、アリシアに会うのは必然だ。

 でも、今アリシアを連れてきますと言われ、心構えができている状態と、今のような不意打ちでは、心の持ちようが違って来る。

 まるっきり準備ができていない状況と言った方がいいだろう。

 俺があたふたしていると、アリシアに気づいたアロマが、アリシアに近づき声をかける。


「お父様が、お父様の容体が良くなったの!」


 アロマの言葉に驚いた面持ちを浮かべたアリシアも、侯爵の元へ駆け寄る。

 元気に眠っている姿に安堵したのだろう。アリシアも公爵夫人同様に泣き崩れた。左右から挟み込まれる様に抱きつかれて侯爵も幸せ者だ。


 しばらくして、俺は侯爵家の家族が使用する食堂で遅い朝食を頂いていた。


 あの後、アリシアと公爵夫人の号泣攻撃を受けた侯爵が、慌てた様子で起き上がる珍事が起きたものの、すっかり回復した侯爵直々にお礼を言われた俺はこうして歓待を受けていると言うわけだ。

 さすがにまだ立ち上がる体力は無いが、意識を取り戻した侯爵は言語障害もなく、四肢の痺れもおきていない。

 現代医学界でも為し得ない偉業を俺が成し遂げたと言うわけだ。

 アロマは旅で汚れた体を洗い流す為に、今は席を外している。

 アリシアも泣き崩れて腫れた瞼では――と言うことでお色直しならぬ腫れぼったい瞼を回復する時間で席を外している。

 それならば俺が回復魔法をかけようか? とも思ったが、時間が欲しかったのはアリシアたちだけではない。俺も落ち着いて考える時間が欲しかった。その為にあえて回復魔法は行わなかった、

 公爵夫人に関しては、元気な侯爵の姿に安心したのだろう。

 落ち着いた面持ちを浮かべ、今は侯爵の隣で休んでいると執事のレオナルドさんから教えてもらった。


 何はともあれ、これでアリシアに感じていた負い目も少しは晴れたのではないかと自分でも思える。

 兄貴を殺したのが、狂蛇の剣マッドスネークソードのヤツらだった事実は、アロマの口からは伏せられていると途中で聞いた。兄貴の名誉の為にも話した方が……と言ったのだが「亡くなった事に変わりはないのです。それが魔物であっても同じ冒険者であっても、アリシアの元にもう戻ることはありません。ならばこのままそっとして置いて欲しいのです」と告げられた。


 兄貴を救えなかった俺が、事実をアリシアに伝えた所でどうなるのか?

 俺はただ、仇討ちをしたのだと認めてもらいたいだけなのでは?

 そう考えると、兄貴がゴブリンに殺されたといった不名誉も、知っている者の心の内だけにとどめておくのも悪くないと思えるようになっていた。


 ごめん。


 キグナスの兄貴。


 兄貴はゴブリンごときに殺された冒険者の汚名を着せられて納得は行かないだろうけど、アリシアの心の平穏を守るためだ。そんな汚名を受け入れてくれ。


 ふと、俺の中の兄貴が「仕方ねぇな、タケ、貸し1つだぜ」って笑って言ってくれた気がした。


 そんな事を考えていると、ずかずかと大きな足音を立てて背丈が俺と大差ない、つり上がった目の小太りの男が食堂に入ってきた。


 入ってくるなり――。


「お前が侯爵を回復させた魔法師タケか。ったく余計な真似をしてくれる」


 そう言って蛇のように細い瞳で、俺を睨んだ。

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