第40話タケ、逃走する。①
翌日、早朝。俺はしばしばする瞼をこすりながら小鳥のさえずりで目を覚ます。
昨晩は興奮のあまり、熟睡できなかった。
ノートパソコンの時計を確認し、真夜中零時丁度に景品交換ページを開いたが、ポイントの振り込みがされていなかった。
それからというもの、諦めて眠るまで延々四時間は画面とにらめっこしていた。
おい! 運営! 月末振り込みなら日付が変わって直ぐに振り込めよ!
こっちは期待して寝ずに待ってんだからさ!
ネットバンキングだって二十四時間営業してんぞ。ごらぁ!
理不尽とも言える苦情を脳内で告げつつ、景品交換のページを更新する。
現在のノートパソコンの時間は八時。
更新されたページは昨晩と変わらず。
やっぱり九時以降じゃないと振り込まれないのかぁ。
一気にテンションが下がった俺は、出かける支度を始める。
朝から治療院で昼まで回復マシーンと化すのだ。気の早い患者だと、朝七時から外で待っているからな。体調の悪い患者に無理をさせるのも気が引ける。
軽く顔を洗った俺は、急いで治療院に向かった。
患者はいつもの様に超満員。
相変わらず王都からやってきた魔法師は十時を過ぎた辺りでぶっ倒れた。
お陰で、俺の分担が増えた訳だが、歩合給じゃないんで賃金は変わらない。
くそ。理不尽な――。
ある程度、患者の処置も終わり昼を少し回った辺りで、今日のお仕事終了。さっさと賃金をもらって帰ろうと思った矢先にアイツらがやって来た。
荷馬車と比べて、一回りは大きな黒の漆で塗装した馬車が、治療院の正面玄関の前に停車する。やばい、これ貴族の馬車だ。
金を持っている貴族はこんな街の治療院に足を運ばない。
屋敷に魔法師を呼びつけて治療させるのが普通だから。
この一月半で始めての事態に俺は焦る。
もしかして、俺の無限とも言えるマナがバレたか?
院長先生が玄関に出て行くと、馬車から降りてきた執事っぽい人の声が、診察ブースの中まで聞こえてきた。
「ここにタケという魔法師はいるか?」
その言葉を聞いて、慌てて俺は裏口から逃げ出した。
俺はここで働くときに、他国で魔法を学んだ魔法師だと説明して雇用された。
万一、どの国の、どこの学園を卒業したのか、と尋ねられたら、答えられない。
有能でも潜りの魔法師だということは、相手に危機感を与える。敵国の間者が、治療院で情報収集を行っていると疑われても文句は言えないのだ。
万一、俺の身柄が拘束されるような事があれば、ここの治療院に迷惑がかかる。
それなら、仕事も終えたことだし、さっさとずらかった方がいい。
今日の分の賃金はまだもらっていないが、諦めるしかない。
今頃、治療院の中を捜索しているだろうけど、治療院にいないとなれば、院長先生に聞いて宿泊先に押しかけるだろうが、幸いにも坂の上の林檎亭には、俺の荷物は置いていない。
俺が逃げ切るまでの、足止めになってくれればそれでいい。
治療院を出た俺は、一目散に裏通りを駆け出した。
向かう先はサラフィナの魔法師の店だ。万一の事があった時には、あの店に駆け込む手筈になっている。
あの店は、人目に付く大通りから、かなり奥まった場所にあるからな。
あそこに逃げ込めば、まず追っ手が来ることはない。
俺とサラフィナとの関係を知る者は、兄貴とアリシアだけだったのだから。
逃げながら、何度も後ろを気にするが、誰も追いかけてきている様子はない。
サラフィナの店に近づくにつれ、走るのをやめる。慌てて店に駆け込んだ所を目撃されでもしたら本末転倒だ。ここは目立たないように普通の客を装う。
店のドアを軽くノックし、入店する。
サラフィナは相変わらず婆ぁの姿で出迎えてくれた。
「おや、今日はどうされたのじゃ? タケ様」
この婆ぁ口調さえなければ、若い姿が本来のサラフィナだと思えるんだが……。
カウンターにいるときのサラフィナはいつも三角棒を目深に被っているからな、怪しい店の雰囲気を盛り上げすぎだろ。
俺はサラフィナの問いかけには答えず、真っ直ぐカウンターを目指すと、結界が張られている奥の部屋に入った。
サラフィナは俺のただならぬ様子に気づき、カウンターから何やら魔法を詠唱している。恐らく、俺が始めてこの店に来たときに使った風の結界を入り口にかけたのだろう。
「ふぅ、逃げ切れた――」
ようやく落ち着ける場所に到着した事で、緊張の糸がほぐれ思わず、吐息が漏れる。
後れて中に入ってきたサラフィナが、俺の向かいに腰掛け、若い方の声で言う。
「これはただ事ではありませんね。タケ様、どうされましたか?」
俺はサラフィナの翡翠色の瞳を見つめながら、先程見かけた来客の話をした。
あれ? いつのまに女神サラフィナに変身したんだろう?
変わり身の術が早すぎて変身シーンを見逃した!
「――はぁ。今更ですが……やはり治療院で働くのはマズかったですね。地方の冒険者として活動するのならまだしも、王都の国家魔法師が配属されてくる治療院では、いつかは情報が漏れるんじゃないかと思っていました。タケ様が貴族と交流を持ったことが無いと言うのなら、間違いなく国家魔法師の口から漏れたと推測するべきでしょう」
サラフィナは嘆息すると、危惧していた事が起きたと説明する。
「やっぱりかぁ……。だよなぁ、王都から来る魔法師ってすぐ気絶して、俺が帰る頃も寝てた筈だけど、それでも自分の所に並ぶ患者が一気に減れば、しかもそれが何度も続けば怪しまれてもおかしくはないか――」
俺からすれば、どの魔法師が喋ったのか想像もできないけど、そういう事なんだろう。国家魔法師の矜恃を踏みにじられた腹いせに、俺の情報を売った可能性もある。エリートってヤツは無駄にプライドだけは高いからな。
「それでタケ様はこれからどうするのです?」
テーブル超しに身を乗り出してサラフィナが尋ねる――って顔近いから。
そんな近づけたら、前髪が、ゆるふわのサラフィナの前髪が顔に当たるから!
今ので一気に心拍上昇したわぁ。
「俺としてはほとぼりが冷めるまでここで匿ってもらおうかと、ってのは無理かぁ。治療院は押さえられているし、宿もとなれば、戻った所で今度は不意打ち食らう可能性があるもんな。かぁ~やっぱ街を出るしかねぇか――」
あの貴族の馬車にのっていた人が去ったとしても、治療院には国家魔法師が滞在している。そいつらに貴族が見張りを頼めば、戻った所でまたすぐ貴族がやってくるだろう。
宿もまたしかり。冒険者に金でも握らせて、俺が戻ったら教えろなんて言われていたら――おぉこわっ!
無いとは言い切れないのが怖いな。
「では、私も店じまいの準備でもしましょうかね?」
サラフィナが妖艶な笑みを浮かべてそんな事をいう。
「えっ? 俺、まだアルフヘイムに行くとは言ってないけど?」
「勿論、存じ上げておりますよ。でもタケ様がこの街を出られるのでしたら、私もここにいる意味がありませんからねッ」
見知らぬ土地を一人で旅するのは心細いからなぁ。
婆ぁ姿のサラフィナさんで無ければ、二人旅もありかな……。
一応、聞いてみるか――。
「一緒に行くなら条件があるんですが……」
「なんでしょうか?」
サラフィナが可愛らしく小首を傾げ返答する。
「姿は婆ぁじゃない方でお願いします!」
言った瞬間、俺の頭上には水の塊が落ちてきた。
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