第36話Bランクがいない街。

「それでタケ様は落ち込んでいらっしゃるのですね」


 アリシアがサラエルドの街から消えた翌日、俺はサラフィナの店に来ていた。

 アリシアからサラフィナに乗り換えた訳じゃないよ?

 いぁ、ほんとに!

 ただ仲の良かった人たちが、皆、俺の前から消えていくからもしかしたらサラフィナもいなくなってるんじゃ? そんな不安に駆られてやって来ただけだ。

 サラフィナはいつもの店で、いつもの様に店番をしていたわけだが……。

 兄貴の仇討ちが成功した事。

 宿に戻ってみれば、すでにアリシアがいなかった事を告げて上の会話に戻る。


「はぁ。この1週間の俺の決意がぁぁぁぁぁ泡と消えた!」


「ふふ、水にできる泡のごとしで無駄になる事の例えでしょうか? 面白い言い回しですね。こちらの世界でいう所のリフリンの滴は持ち帰れないと同じでしょうか?」


 この世界の高山に存在するリフリンと言う花。リフリンの朝露と薬草を煎じて飲めば視覚障害、視力低下の回復に絶大な効果があるという。ただし問題が1つ。リフリンの滴はくみ取ってから5分で効果がなくなるため、その場で煎じて飲まなければいけない。

 視覚障害を患っているものを現場に連れて行き、その場で薬師が煎じなければ意味はない。そんな理由を知らなかった時代の名残として無駄になることの例えとして使われているらしい。

 水の泡とは若干意味は違うが、無駄になると言う意味では同じだ。


「そんな事はどうでもいいんですよ。はぁ、これからどうしよう……」


 俺の言葉を聞き、サラフィナの唇がわずかにあがる。


「それでしたら、一度アルフヘイムへいらしてみてはいかがでしょう?」


 俺を励ますために、隣りに座っていたサラフィナが、俺の右腕に左腕を絡ませながら妖しくそう言う。その様子は接客をしているクラブのホステスさながらだ。


 上目遣いで誘ってくるサラフィナには悪いが、そんな事されても緊張するだけだから。

 思考停止するだけですから!

 はっ、それが狙いか!


 そうこうしている間に、俺の右太腿にサラフィナの左太腿がぴたりとくっつく。

 あぁ、サラフィナの太腿が当たって、温かい。

 上と下から攻められて俺は陥落しそうになるが、アルフヘイムへ行っても動画を撮らせてもらえないのでは意味がない。

 ノートパソコンを使って動画を撮影する事は、困難を極めるだろう。

 カメラのレンズを向けると異常に警戒しだすサラフィナを見ていれば、予想はつくというもの。日本の若者は、カメラを向けてられて顔をしかめるか、逆に近寄ってきてピースするかのほぼ二択だが、日本とは違うのだよ――日本とは!


 サラフィナの店を後にした俺は、冒険者組合へと向かう。あの状況はやばい、あのまま店にいたら高価なアクセサリーやバッグを強請るホステス同様、なし崩し的にアルフヘイムへ連れて行かれそうだった。

 彼女いない歴イコール年齢の俺に、あの猛攻はきつい。

 高まる脈拍と荒くなっていく呼吸を抑えるので手一杯だった。


 ――ふぅ。


 この世界で生きていくのは、それほど難しくはない。

 俺には回復魔法があるのだから。

 冒険者組合で紹介してもらった治療院には、日々、大勢おおぜいの怪我人や病人がやってくる。半日働いて銀貨5枚。薬草採取の報酬が銀貨2枚と言うことを考えれば、こんなボロい商売はない。

 ちなみに銀貨1枚は日本円で2000円くらい。坂の上の林檎亭が1泊銀貨2枚であるから4000円だ。安い宿だと銀貨1枚の所もあるらしいが、衛生的ではないらしい。

 食事は定食なら銅貨3枚。日本円にして300円。妥当な値段といえる。

 ちなみに銀貨1枚で銅貨20枚が相場だ。

 この前、俺が借りた荷馬車のレンタル料が1日銀貨8枚だった。

 金貨は日本の500円硬貨より少し大きくて、金貨1枚が銀貨50枚分。

 グラム換算だと日本円で2500円前後といった所だ。

 日本の金の相場が4000円から5000円と言うことを考えれば、この世界の金は安い。


 もし日本に帰れる時が来たら、大量に金貨を仕入れておこう。

 日本でそれが換金できれば、倍の価格で売れるはず。

 金の含有量? そんなもの知るか!


 何が言いたいのかといえば、俺の所持金は金貨1枚と銀貨2枚しかないと言うことだ。

 アリシアから渡された金貨には手を付けたくない。俺にはこれを受け取る権利などないと思うから。


 そんな訳で冒険者組合にやって来た訳だが……掲示板に貼られている内容に目を通すが、所々の単語しかわからない。魔法を覚えるのに言語の習得はしたが、一般的に使われている公用語とは別だったようだ。

 しばらく掲示板の前に立ち尽くしていると、カウンターに座る受付と他のギルドに所属している冒険者の会話が聞こえてくる。


「これはまだ公にはされていないんですけどね、護衛の依頼を受けた狂蛇の剣の皆さんが期日になっても戻って来ないって上の者は大騒ぎですよ。それでその対策が話し合われている最中で――」


 どこの世界にも、おしゃべり好きなおばさんはいるものだ。

 俺がカウンターに目を向けると、いつものお姉さんではなく、如何にも臨時雇用ですって感じのおばさんが、カウンター越しに冒険者と会話していた。


「マジかよ。先週キグナスが死んだばかりだって言うのに、じゃこのまま狂蛇の剣が戻らなければ、この街にCランクより上の冒険者がいないって事か?」


 冒険者の男が驚いた表情で声をあげる。


「しっ、ダリーさん声、声大きいから」


 この世界の文明は、中世欧州とさほど変わらない。

 移動には馬か徒歩が一般的で、道は当然舗装などされておらず、砂を踏み固めた粗末なもの。建築物は土を固めた土台の木造建築。街を覆う高さ3mの市壁は砂と岩の混合だ。

 製鉄技術もたかが知れていて、木材を繋ぎ合わせる材料、調理器具、武器防具、貴族の館を囲う柵などに使われているが、鉄製の馬車などは存在しない。

 水は井戸と川から引いたものを使用し、下水道はない。トイレで用を足した排泄物はその建物の地下に一度溜め込まれ、ある程度貯まったら街の外へと運び出される。

 街の外に運ばれた汚物を埋めるというわけだ。

 道を照らすランプは、大通りにか存在せず、それも暗くなってから真夜中までしか灯されていない。毎日決められた量の油を夕方補充し、それが途切れれば翌日まで補充はない。


 話は大分それたが、文明の発達していないこの世界において、強い冒険者がいない街というのは、予想外に強い魔物が現れた時に対処できない。

 街へ魔物が押し寄せる事はあり得ないが、途中の街道に現れることは多々ある。

 ゴブリン程度ならばCランクの冒険者でも余裕で退治できるが、Cランクのオークが3体出没した程度で大騒ぎになる位、深刻な問題となるわけだ。


 ギルドラフランの解散と、ギルド狂蛇の剣の所在が掴めない今、街は不安に包まれていた。

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