第35話そして俺は一人になった。
2時間かけて街に帰ってきた俺は、馬車を持ち主に返すと、坂の上の林檎亭へ足を向けた。
兄貴を殺した犯人を倒せば、仇討ちをすれば、少しは気持ちが晴れると思っていたが、そんな事はなかった。当然だ。普通の日本人が人を殺して平気な訳がない。
俺は無理にでも気持ちを上向かせようと、空を見上げる。
異世界で見る空も、日本で見た空と同じで、青く、雲は白い。
変わらぬ空をぼーっと眺めながら、アリシアに伝える内容を思い浮かべる。
兄貴を死に追いやった矢が実は、狂蛇の剣の仕業で、その仇討ちを俺がしたこと。
兄貴は死んでしまったが、ギルドはそのまま残し、生前兄貴が購入した家でアリシアには生活して欲しいということ。
えっ?
タケが兄貴の代わりにアリシアの面倒を見るのかって?
アリシアは美人で、俺からすれば高嶺の花。
俺を選んでくれるなら誠心誠意、大切にしたいとは思うけど、それは無理だ。
俺に兄貴の代わりは務まらないよ。
でも、アリシアにはあの家で子供を育てて欲しいと思っている。そこに俺が住む必要はない。もともと、兄貴がアリシアと生活するために購入した家だから。
兄貴がいた時なら、俺が同居する事も許されただろうけど、兄貴亡き今、俺があの家に住むのは何か違う気がする。うん、どう考えても違う。
日本の恋愛事情でよく、傷心の女性を慰めているうちに付き合いだしたとかいう話を聞いたことがあるけど、それは慰める側が当事者では無いからだ。
彼氏と別れる原因となった男が、慰めるふりをして近づいてきても普通は相手にしない。女性からすれば、自分の幸せを破壊した憎き敵みたいなものだ。
それとは違うが、俺がもっとしっかりしていれば、兄貴が死ぬことは無かった。
それは事実で、現在でも俺と会おうとしてくれないのは、アリシア自身、少なからずはそう思っている部分があるからだと俺は思う。
だから俺があの家に住まなくても、残りのローンと毎月の生活費を援助するって形で、アリシアとこれから生まれてくる兄貴の子には、あそこで生活して欲しいと思っている。
俺にしてあげられる事を考えたら、それしか思いつかなかった。
サラフィナさんから聞いた話では、魔法を覚えた今の俺ならば、護衛の依頼でも、討伐依頼にしても引く手あまたらしいしね。
ただ問題は、現時点で部屋にこもっているアリシアをどう説得するかだが。
これまでの人生で女性経験が皆無な俺だ、うまい言葉を思いつかなくて、こうして考えながら宿までの道のりを歩いているわけだ。
結局、良い言葉が浮かばないまま坂の上の林檎亭に帰ってきた俺は、女将さんから鍵を受けとり2階へと上がる。女将さんが何か言いたそうにしていたが、今はそれどころじゃない。とにかくアリシアに会って話を聞いてもらわないと。
軋む廊下を歩き、俺が宿泊している部屋を通り過ぎると俺は、角部屋の扉の前で止まる。
ゆっくりと肩で深呼吸をして、心を落ち着かせてから小さくドアをノックした。
しばらく待つが、中からの反応はない。
俺は意を決して口をひらく。
「アリシア、兄貴の事で見てもらいたい物、聞いて欲しい事があるんだ。少しで良いから話を聞いてくれないか?」
中から鍵が開くのを待っていたが、これまでと同様、反応はなかった。
俺はもう一度中に聞こえるように、ドアを強く叩き、音量もあげた。
中からの音を拾えるように耳をすますが、やはり反応がない。
もう一度ドアを叩こうとした所で、いつの間に階段を上ってきていたのか、バツの悪い表情を浮かべた女将さんから声をかけられた。
「タケさん、アリシアさんから言伝を預かってるよ『短い間だったけどありがとう。さようなら』って――」
アリシアからの伝言を聞いた俺は、すぐに宿を飛び出した。
俺はまだ何も伝えていない。
兄貴の死の真相も、今後の話も。
俺は大通りを駆け冒険者組合へと向かった。
アリシアも冒険者である以上は、この街から本拠地を変更する場合には必ず届け出をするはずだ。そう考えたからだが――。
大通りの路地で、何度か通行人にぶつかり、罵声を浴びせられながらも冒険者組合に到着すると、驚いた面持ちの受付のお姉さんに迎えられ、アリシアからだと金貨1枚を手渡された。
事情が飲み込めず尋ねると、今朝、アリシアがやって来て貯金を解約し、俺が来たら渡して欲しいと頼まれたそうだ。
兄貴が死んでギルドマスターになっていたアリシアは貯金の解約と共に、ギルドの解散手続きも行っていた。当然、本拠地の変更手続きもだ。
受付のお姉さんに、アリシアの行方を尋ねたが、今朝月2の時間に出発する乗合馬車で田舎に帰ると言っていたそうだ。
アリシアの田舎なんて俺、聞いてねぇよ。
お姉さんに、アリシアの田舎を尋ねたが、個人情報は教えられないと頑なに断られた。
月2の時間と言えばほとんど朝一番で、この街を出た事になる。
今から馬車を借りて後を追う事は物理的に不可能だ。
ただでさえ乗合馬車は乗車賃が高く、速度も早いのだから。
それに何より、向かった方角がわからないことには話にならない。
俺が狂蛇の剣を待ち構えた街道を通った馬車はいなかった。少なくとも東へ向かったのではない事だけは確かだが、他の街道といえば、南と西へ向かう2つの街道がある。
騎乗馬単騎で駆ければ追いつける可能性もあるが、生憎と俺は馬には乗れない。
手詰まりだった。
諦めて宿へ戻る途中、少し遠回りして例の物件を見に寄った。
兄貴が頭金を支払った物件の入り口には『販売中』の新しい看板が打ち付けてあった。
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